【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第二章「性愛の山」 38

【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第二章「性愛の山」 38

 権太は、黙って坊主についていった。  男は、何も話さない。  大股で早足なので、ついていくのがやっとだ。  ときどき、こちらを振り返り、権太がついてきているか確認する。  遅れていると、立ち止まって権太が追い付くのを待ってくれた。  山に続く道は、はじめてここに来た時と同じ光景が広がっていた。  表通りとは違い、今にも朽ち倒れそうな小屋が立ち並ぶ。  道すがら、何十人もの痩せ細った男や女たちが、ぼんやりと座り込んでいる。  坊主を見ると、物を乞うため集まってくる。  男は、

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【関ヶ原合戦 年表②】慶長5年(1600年)1月~6月

【関ヶ原合戦 年表②】慶長5年(1600年)1月~6月

豊臣秀吉の死去の慶長3年(1598年)8月16日を起点として関ヶ原合戦の全体像を年表としてまとめています。 関ヶ原合戦の研究は、笠谷和比古氏の「関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制」をはじめ多くの研究成果が発表されており、新事実が明らかになっています。そこで私は、個々の学説を「関ヶ原合戦」という通史として捉えた時に、はたしてどのような流れになるのか、自分なりに内容を吟味しながら全体像を把握してみたくなり、年表としてまとめることにしました。 (前回の記事はこちら) 慶長5年1

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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第二章「性愛の山」 37

【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第二章「性愛の山」 37

 翌朝早く起こされ、おみよに身体を洗われた。  あの行為や、昨日の安寿とのことなど、聞きたいことは沢山あったが、おみよは淡々と無表情で仕事をするので、声をかけづらかった。  飯を食わされ、綺麗な着物をきせられ、女たちから化粧までさせられた。 「いやん、この子、ほんま可愛いわ」 「こうした方が、もっとええんやない?」  などと、女たちは、きゃっきゃっ、きゃっきゃっとはしゃぎながら、権太を玩具にしていた。  昼前に寺から迎えがきた。  昨夜の坊主ではなかった。  八郎の倍はあろう

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戦国武将は、戦国時代の経営者。

戦国武将は、戦国時代の経営者。

若いころ、「戦国武将は英雄やヒーロー」だと思っていました。 正義のために悪を討つ姿を求めて、潔いか卑怯かの二元論で、戦国武将を色分けしていました。 しかし、中小企業診断士として、企業の経営支援したり、家族や社員の生活を守るために日々戦う経営者の悩みに触れるうちに、戦国武将たちも、現代の企業経営者と同じように、一族郎党を守るために、必死に生き残りを懸けて戦っていたのだと気づきました。 正義がどう、卑怯かどうかというレベルではなく、戦国時代という不確実性の高い環境で、いかに

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歴史・人物伝~エピソード編⑦:井伊直政「徳川家康より由緒ある家柄出身」

歴史・人物伝~エピソード編⑦:井伊直政「徳川家康より由緒ある家柄出身」

井伊直政は、徳川家康の家臣団の中で四天王の一人とされる武将でした。関ケ原の合戦後、井伊家は西国大名と京都の監視役として彦根藩に封じられ、譜代で最も石高の多い大名として江戸幕府を支えてきました。 直政は若くして重臣に列したのですが、それは家康の寵童だったからだとよく言われます。ただし、そればかりではありません。もともと井伊家は、現在の浜松市北部を支配した領主で、その歴史は平安時代にまでさかのぼるそうです。 家康も「源氏の末裔」と称していましたが、本当のところは数代前くらいし

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徳川家康

徳川家康

 三河の国に生まれた家康は今川義元の人質になった。それからしばらくは人質生活を送っていたが、桶狭間で義元が横死して独立する。そして義元を討った信長と同盟を結んだ。この清洲同盟のおかげで家康は領土を広げることができたが、そんな家康に最大のピンチが訪れた。武田信玄が攻めてきたのである。信玄は半端じゃなくすごかった。凄すぎて家康軍は蹴散らされ、家康自身もビビってうんこを漏らしてしまった。信玄は家康を捉えようと家康の後を追った。後を追うのは簡単であった。家康が逃げるときに漏らしたうん

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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第二章「性愛の山」 36

【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第二章「性愛の山」 36

 しばらくすると、奥からあの声が聞こえてきた。  はじめは誰の声だろうかと思っていたが、おみよの声だと気が付き、驚いた。  おみよが、あの坊主と、あのことをしている?  おみよは、権太と夫婦になったのではないのか?  これは裏切り?  いや、これでおみよと夫婦にならずにすんだのだ、ほっと安堵した。  が、同時に、おみよとの行為を思いだし、下半身がむくむくと起き上がってしまった。  流石に、近くに老婆がいたので、弄ることはしなかったが……………… どのぐらい経っただろうか?  

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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第二章「性愛の山」 35

【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第二章「性愛の山」 35

 その後、おみよとの関係はなかった。  おみよも飯の世話などはしてくれるが、夫婦のように馴れ馴れしく接してこなかった。  権太も、恥ずかしくて、必要以上は話しかけない。  だが、おみよとの行為が忘れられず、女は狡い、女になりたかったと思いながらも、あそこは大きくなり、弄ることがあった。  老婆のところに来て、十日ぐらいだろうか? 「ごめん、婆はおるか?」  夕暮れ間近、女たちが筵を持って出かけようとしたところに、男がやってきた。 「これはこれは安寿(あんじゅ)様、こんなむさ苦

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忌み嫌われる「呼び込み」

忌み嫌われる「呼び込み」

呼び込み相撲の世界に古くから伝わる言葉の一つに 「呼び込み」というものがある。 ご存知の方も多いと思うが、今でも相撲中継を見ていると割と頻繁に出てくる言葉で、中継のアナウンサーが 「呼び込んでしまいましたねえ」 解説の親方が 「悪い癖が出ましたねえ」 などとやられてしまう。 最悪の結果この「呼び込み」こそが 土俵の上で戦う力士の相撲の中で最も忌み嫌われる行為である。 私が考えるに相撲の技には基本的に積極技と消極技がある 積極技とは、押したり、投げたり、吊ったり・・・

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戦国トライアスロン

戦国トライアスロン

 トップを駆けているのは足利三人衆だった。三人衆のうち義輝と義昭は兄弟で義栄は遠い親戚だ。彼らはいろいろ揉めながらも自分たちの誰がトップになるだろうと信じていた。彼らはその地位と名誉を利用して他の選手に自分らをトップにしてくれた女でもなんでもくれてやると口約束をしていたからである。しかしその目論見は一瞬にして崩壊した。舎弟の三好が裏切って三人衆のトップの義輝を下痢でダウンさせたからだ。他の二人のうち義栄は三好に泣きつきどうにか形だけでもトップにしてくだせえと泣きついた。一方義

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