本能寺の変1582 重要 ◎第24話 時代の風潮 相互不信 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
重要 ◎第24話 時代の風潮 相互不信
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*以下は、第24話から重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。
◎義昭は、美濃と尾張の和睦を進めた。
すべては、上洛のため。
双方が、望んだからではない。
一、濃・尾間のこと、先書に申し入る如く候、
公方様御入洛につきて、織田上総(信長)、参陣御請け申すの条、
尾州に対し此方矢留の儀、同心せしむれば忠節たるべきの由、
仰せ出だされ候、
◎斎藤氏は、信長を信用していない。
親の代から、敵同士。
他に、言葉はない。
(信長の)参陣一向不実に存じ候と雖も、
【重史088】(「中島文書」一部抜粋)
◎信長もまた、斎藤氏を信用していない。
◎「相互不信」
◎これが、この時代の風潮だった。
一手違えれば、そこは地獄。
「消滅」
これが、戦国時代。