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2024年1月の記事一覧
【短編】『完パケ日和』
完パケ日和
真っ暗闇の中で四角い小さな光が部屋の輪郭を微かに縁取っていた。窓の外からは強い雨風がガラスに激しく打ち付け、ここ最近の私の心情が具現化されているようだった。私は残りのコーヒーを全てカップに注いでから、ゆっくりと一人用のソファに腰掛けてその四角い小さな光の中を覗いた。まだ時間には早く、見たいと思っているものとは違うものが映っており再びソファにもたれかかってコーヒーの苦味を味わった。妻
【短編】『遠い散歩』
遠い散歩
気づいたら私は過ぎ去る景色を目の前に電車の中で揺られていた。よくあるのが通勤通学路を何度も行き来するうちに脳が距離感覚を覚え、ある日家を出てから考え事をしているとすでに駅にたどり着いているという現象であるが、それが電車に乗ってから気づくまでとなるとこれは何かの病気なのではと思ってしまう。私の中で時が過ぎ去るのがあっという間であるのは、年々他人と比較していくうちにそうなのだと自覚し始め
【短編】『計画』(後編)
前編はこちら
計画(後編)
今度の紙切れには、前の時間より一時間遅く時刻が設定されていた。これを書いたのが以前と同じ人物だとするならば、協力者の他に脱獄を計画している者と、少なくとも二人の人物が関与していることは明白だった。つまり、グループ犯ということになる。私はすぐに所長にその紙を見せ、書いた人物の特定を急ぐことを助言した。
「いや、だめだ」
「なぜですか?これではまた脱獄を許してしま
【短編】『計画』(中編)
【前編】はこちら
計画(中編)
脱獄が行われた部屋は、私の管轄である別棟にあった。そこは重罪を犯した者のみが収容される部屋だった。現場には特に穴を掘ったり、壁を破壊したりした形跡は見当たらず、単に扉を開いて逃げたようだった。扉は厳重にセキュリティーがかかっており特定のカードを使わない限り扉を自力で開けることが難しいことから、考えられる脱獄方法は三つに絞られた。囚人が最終点呼の際にどこかに隠れ
【短編】『計画』(前編)
計画(前編)
ここ最近曇り気味だった空に久しく星が並び、橙黄色から深い青へとキャンバスの色を変えていた。一定間隔で聞こえる波の音が何とも心地よく、徐々に明るくなっていく空の下で黒のスバル車を走らせていた。何とも清々しい朝を肌で感じながら私は自分の管轄の刑務所へと向かっていた。刑務所に勤めて10年で看守長という役職を与えられ、異例の速さでの出世だった。それも全ては今の所長に付き従ってきたからこそ
【短編】『もう一つの人類』
もう一つの人類
我々が暮らす地球には様々な人種がおり、あらゆる民族が特定の地域で文明を発展させてきた。現在に至っては世界各地にあらゆる民族が分散するようになり、グローバル化と言われる時代に突入している。我々人類は互いに共通する面もあるが、一方で違いに一層重点を起き、その違いをもとに個々のアイデンティティーを形成してきた。その形成過程は時代ごとの社会通念の影響を受け、時には紛争や外交問題、個人間
【短編】『ジョルティン・ジョーの鼻』(後編)
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ジョルティン・ジョーの鼻(後編)
私は度々、冷蔵庫をこっそり開けては白トリュフを一欠片ちぎって用意した袋に入れた。白トリュフからはほのかに燻さたような上品な香りがした。これを犬は毎日嗅げるなんて、どれほど幸せなのかとひどくジョルティン・ジョーに嫉妬した。それも、私はこのトリュフを使ってジョルティン・ジョーの訓練を試みようとしていたのだ。どのようにしてトリュフを嗅ぎ分ける嗅覚
【短編】『ジョルティン・ジョーの鼻』(中編)
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ジョルティン・ジョーの鼻(中編)
今ではトリュフハントに犬を使うことが主流となっていた。以前は豚が使われていたそうだが、トリュフを見つけると同時にそのまま食べてしまうため商売にならなかったのだ。トリュフハント界隈では秘密主義が徹底されていた。自分がトリュフの菌の繁殖地を見つけると、そこを独り占めするために外部に情報が漏れぬよう皆細心の注意を払うのだ。イタリアでトリュフハント
【短編】『ジョルティン・ジョーの鼻』(前編)
ジョルティン・ジョーの鼻(前編)
家を出てからかれこれ5年が経とうとしていた。私は20歳を迎えても自立せずのらりくらりと親の脛をかじってばかりいたためにとうとう愛想を尽かされ親勘当されたのだ。私に唯一残されたのが愛犬のジョルティン・ジョーだった。ジョルティン・ジョーは私が家を出ると悲しそうな顔を見せのこのこと私のあとをついてくるので、仕方なく親はジョルティン・ジョーを手放したのだ。そのジョルテ
【短編】『罪ってなんだろう』
罪ってなんだろう
結論から言うと、罪とは社会が生み出したものである。個人は生まれてくるときには罪意識はない。成熟していくにつれて社会の中で教育を受け、罪というものを知り、そして罪を犯すのである。要するに罪を知らなければ罪は犯せないのだ。
犯罪という行為は少々チック症や失笑恐怖症などに類似性を見出すことができる。意図せず汚い言葉を発してしまう。あるいは意図せず不謹慎な場面で笑ってしまう。これ
【短編】『じんぶんがく論』
じんぶんがく論
個人というのはとても無力だ。有名になれば多少なりと言葉に力を得られるだろうが、その名声も社会の信用があってこそのものだ。つまりその信用がなくなった瞬間、いとも簡単にその力は消滅するのだ。人間はなぜ力を得ようとするのか。その答えの一つとしてあげられるのは、人間という存在が貧しい生き物だからである。人間の日常は目まぐるしく便利になっていく一方で、人間の欲求もそれに伴って高まっていく
【短編】『戦争の終わり』(完結編 下)
【前編】はこちら
戦争の終わり(完結編 下)
戦争の幕開けとでも言うような不快な警報音に襲われながら、私は施設内から飛び出す隊員たちに紛れて緊急時の集合場所へと向かった。皆はいったい何事かと慌てふためいている様子だったが、緊急時の訓練通りになんの迷いもなく機敏に移動を続けていた。中にはいかにもすでに寝ていたであろう格好の者までおり、私の破壊行為によって起こしてしまったことを気の毒に思った。私
【短編】『戦争の終わり』(完結編 上)
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戦争の終わり(完結編 上)
気づくと、再び私は教卓から身を乗り出すように、生徒たちを前に熱心に何かを唱えていた。
「三、常に戦争以外の解決策を模索すること」
秘密訓練学校で少佐に教わった校訓であった。すると、以前と同様に眼鏡の青年が疑問を呈した。
「先生、戦争以外の解決策とは一体なんですか?」
私は彼の真っ直ぐな眼差しに昔の自分を投影していた。少佐はあの時なんと言っ
【短編】『戦争の終わり』(後編)
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戦争の終わり(後編)
気がつくと私は教室にいた。黒板を背に何人もの生徒を前に戦争とはなんたるかを教えていた。それはなんともおかしな情景だった。私は戦争を知らない者たちに戦争について教えているのだ。生徒全員が若い男で中には丸刈りにしている者さえいた。その中の一人が尋ねた。
「戦争ではどんな武器を使うんですか?鉄砲ですか?ナイフですか?」
「そうだな、時と場合による。接近戦