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マガジン3 #教育

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教育について書いた記事をまとめています
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記事一覧

点数が伸びる先生は良い先生か

点数が伸びる先生は良い先生か

僕は、進学塾などの教育環境に手の届かない家庭環境の子どもたちに教育を届ける仕事をしています。

生活保護、1人親世帯、不登校、ひきこもり、発達障害、様々な背景を持った子どもたちと関わっています。

実際に生徒を直接担当することもありますが、指導のほとんどはアルバイトの先生たちに任せて、先生たちの勤務の管理や保護者とのやり取り、生徒と講師の配置を考えるなどの教室運営の仕事がメインとなっています。

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先人たちの遺産を無視して議論することの愚かさについて

先人たちの遺産を無視して議論することの愚かさについて

教育業界に身を置いていて、
頻繁に耳にする「時代遅れの教育」という言葉。

ある教育セミナー、ワークショップのようなものに参加したときのことです。

明治時代の学校の教室の写真がスライドに映し出され、
その後に現在の教室の写真が映し出されます。

それを見て、「何も変わってませんね。教室の風景だけでなく、やってる内容もあまり変わっていませんよね。」
という論が始まる。

その時の僕は珍しく素直に「

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答えのない世の中について

答えのない世の中について

答えのない世の中になった。
正解のない世の中になった。

そう誰もが口を揃える。

しかし僕はこう思います。

答えは有る無しではない、と。

答えは1つじゃないから。

答えのない世の中。

それを実状に沿った言い方に直せば、
「1つの確固たる答えのようなものは無くなった世の中」
「1つの確固たる答えがあるという幻想が暴かれた世の中」
となるでしょうか。

はじめから「確固たる1つの答え」なんて

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意味の事後性 意味のあるなしは事前にはわからない?

意味の事後性 意味のあるなしは事前にはわからない?

「これって覚えて意味あるん?」

教育の世界に身を置いていて、生徒に聞かれることランキングでベスト3に入るであろうフレーズです。

これを言われて返答に困る先生は多いのではないでしょうか。

上手いこと言いくるめるか、理由を懇々と説明するか、「やらなあかんもんはやらなあかんねん!屁理屈言うな!」と勢いで押し通すか。

きっとこれらのどれかでしょう。

なぜこのような質問が生まれるか。

そしてなぜ

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自己を受け止める

自己を受け止める

電車などの公共の場で、あたり構わず大声で泣き散らかす小さな子ども。

そしてそれを睨みつける人。

きっと彼らは羨ましいのだ。

心が狭い、不寛容なのでは決してない。

自分も大声上げて泣きたいのに、それが叶わないから嫉妬するのだ。

人は年を取れば成長していく。
みんな無条件にそう思っているように感じる。

けっしてそんなことはない。

赤子や幼子のほうが優れている、鋭敏な感覚はたくさんある。

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自立とは依存先を増やすことである

自立とは依存先を増やすことである

東京大学先端科学技術研究センター准教授、医師で科学者の熊谷普一郎さんの言葉です。

生後間もなく脳性麻痺により手足が不自由となりながら、小学校から高校まで普通学校へ通い、東京大学に進学。医学部卒業後、小児科医として10年間病院に勤務。現在は障害と社会の関係について研究するとともに、月2回ほど診療現場に出ている熊谷さんは、当事者研究の第一人者とも言える方です。

そんな熊谷さんは、障害を抱えながらも

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歩いて旅したことで電車の有り難さを知った

歩いて旅したことで電車の有り難さを知った

僕は基本的に電車では席に座りません。

ガラガラの各駅停車などでは流石に座りますが、基本的には座りません。

理由はいくつかあります。

まず、譲るのが面倒だから。
自分が乗ったときに空いていても、どうせその内いっぱいになって譲るのならば、
最初から立っておいて1席空けておけばいい、という考え方です。

次の理由としては、「良いことしたな感」が嫌だからです。
座らない=譲らない。
こうすれば「座っ

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「自分はこんなことのために生きてるわけじゃない」という気持ち

「自分はこんなことのために生きてるわけじゃない」という気持ち

タイトルにあるような気持ち、抱かれることはありますか?

「あれ、俺こんなことのために生きてたんだっけ」
「あれ、私こんなことするためにこの会社入ったんだっけ」
もしくは歳を召された方であれば
「自分の人生はいったい何だったんだろうか」
といった思い。

今現在がとても充実していて、幸せだという方は読み飛ばしてもらって大丈夫です。

今まさに不幸だ!という人はもちろん、
「不幸ってわけではないけど

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対極の価値観を否定するのではなく…

河合隼雄さんの「子どもと学校」という本を読んでいます。

河合さんは
「二つの原理があって、それが簡単には相いれないとすれば、一方の原理を正しいとしてそれを強化することを考えるのではなく、原理を深めるということを考えるべきだ」
と言います。

それではその「原理を深める」とはいったいどういうことでしょうか。

以下、引き続き引用です。

自分の思想や言論、意見や価値観に対立するものに対して、
自分

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機会の平等に潜む罠

機会の平等に潜む罠

機会の平等。

聞こえだけはとても良い言葉です。

男女雇用機会均等法。
社会の勉強で皆さん暗記したことでしょう。

平等や均等といった言葉を出されると、私たちはつい勘違いをして「良いことだ」と思い込んでしまいますね。

しかし、そうではありません。考えてみてください。

機会の均等、平等の先に待っているものは、
「チャンスは与えたんだから後は自力で頑張ってね」
という世界です。

弱肉強食、競争

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「100%自分の選択」なんてあり得るのか

「100%自分の選択」なんてあり得るのか

僕は日本の教育を変えたい。

そしてそれを通して社会を変えたい。

それは揺るぎない。

けれど「自立して自分で人生を選び取る人を育てる」という軸は、
今大きく揺らいでいる。

果たして「100%自分だけで下す選択」なんてあり得るのだろうか、と思ってきているからだ。

自分で自分の行動を決め、理由を言えるようになる。

これを僕が行う教育改革の肝だと思っていた。

その為に出来るだけ多くの選択肢を

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ベビーカータブレット赤ちゃん

ベビーカータブレット赤ちゃん

僕にとって衝撃だった話です。
ある種目撃証言になります。

その日もいつもと同じように、出勤するために塾の校舎に向かって歩いていました。

すると、向こうから赤ちゃんを乗せたベビーカーを押して歩くママさんが。

あまりベビーカー自体には詳しくないのですが、
きっとベビーカーって、前後ろどちら向きにも進めるようになっていると思います。

その赤ちゃんは、お母さんと向かい合う形でベビーカーに乗せられて

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共に食べることの大切さ

共に食べることの大切さ

食育という言葉があります。

孤食という問題が存在します。

しかし、僕はそれをあまり大きな問題だと思ってきませんでした。

というのも、食育によって得られるものは「感覚」の機微や、家族の温もりで、
孤食は寂しさや孤独感を生むという、
それだけを表面的に捉えていたからです。

けれど、「共に食べる」という行為はそれ以上に大きな意味を持つことを、
恥ずかしながら最近知りました。

鷲田清一さんの『「

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能力は個人のもの?

能力は個人のもの?

今日は「能力」というものについて話していきます。

その前に何かと話題の「能力主義」について。

社会問題に興味がある方や、教育に携わる人などは、この言葉とそれに伴う「自己責任」という言葉はもはやお馴染みかと思います。

ですので今回は「能力主義」の是非については問いません。
問答無用で「能力主義はNG」というスタンスからスタートさせていただきますので悪しからず。

さて、ではその「能力だけで人生

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