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日本と世界、世界と日本、なんとも大風呂敷なタイトル

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1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集 〜 完成

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集 〜 完成

22-23歳の時のバックパッカー海外「放浪」もどきの旅 note リンク集, 完成1983年4月26日 に横浜港を発って, 「国」名だけ挙げると当時のソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ, 東ドイツ(東ベルリンのみ), フランス, スイス, オーストリア, (当時のチトーの)ユーゴスラビア, イタリア(ローマ市内のバチカン市国も), ギリシャ, トルコ, シ

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911 記念 〜 自分の誕生日(1960), シリアの現職・独裁大統領の誕生日(1965), アメリカがチリの民主主義を殺した日(1973), シリア・パルミラの都市遺跡を訪問した日(1983), アメリカが「宗教」狂信者に攻撃された日(2001), 拙者の note 開始日(2019) 〜 誕生日リクエスト(2021), 今日は 歌詞和訳付きで この歌で締め, "Ol' '55" (Tom Waits) ♫

911 記念 〜 自分の誕生日(1960), シリアの現職・独裁大統領の誕生日(1965), アメリカがチリの民主主義を殺した日(1973), シリア・パルミラの都市遺跡を訪問した日(1983), アメリカが「宗教」狂信者に攻撃された日(2001), 拙者の note 開始日(2019) 〜 誕生日リクエスト(2021), 今日は 歌詞和訳付きで この歌で締め, "Ol' '55" (Tom Waits) ♫


ナンセンス込みの前説9月11日は 62年前の拙者の誕生日でもあり, 3年前の拙者の note 開始日でもあり, そして他にも ... 。というわけで, 今日の拙者の note は, 911 記念 note リンク集「の・ようなもの」。

あ, あの映画は 911 とは関係ないですね。「リンク集のようなもの」と書こうとしたら, というか「のようなもの」と言おう・書こうとするといつも思い出してしまう

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1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。

さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2

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1984年2月4日 帰郷 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅して 285日目

1984年2月4日 帰郷 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅して 285日目

前説1983年4月26日, 1960年9月11日に「秋葉路や, 花橘も茶の香り。流れも清き太田川, 若鮎躍る頃」から3ヶ月ぐらい後だろうか「松も緑の色も冴え」た時期は過ぎ, 夏が終わった頃に「遠州森町良い茶の出どこ, 娘やりたやお茶積みに, ここは名代の火伏の神。秋葉神社の参道に, 産声あげ」た「快男児」(だったかどうか判然としないが, 笑)「昭和の」じゃなくて令和の「御代」(って俺は天皇制要らな

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1984年2月1日 帰国 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア各国を旅して 282日目

1984年2月1日 帰国 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア各国を旅して 282日目

韓国・釜山港から下関港行きフェリーに乗って帰国, その後, 初めて広島に行き3泊し, 1984年2月4日にとりあえず静岡県の田舎に戻った。計285日。9ヶ月半程度だからバックパッカーの旅としてはそれほど長かったわけでもないが, まだソ連があった時代, そしてベルリンに壁があった時代, そのほか諸々, 現在とは違う, つまりもう「歴史」になっているようなものを見た面はあったわけだし, まぁそんな堅苦

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イラン, 革命から4年後のテヘラン 〜 1983年11月15-17日, Teach Your Children ♫

イラン, 革命から4年後のテヘラン 〜 1983年11月15-17日, Teach Your Children ♫

1983年4月26日に横浜港からのフェリーで日本を発って, 半年かけてソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, 同年10月26日にあの旅で初めて飛行機を使ってカイロからイスタンブールに飛び, 2度目のトルコでは 2度目のイスタンブール, 初めてのアンカラと旅を続け, その後, イランとの国境の町ドグバヤジッドに滞在, そこから陸路, 11月15日に1

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ヨルダン, アンマン で パレスチナ難民キャンプ を訪ねて 〜 1983年9月19-23日

ヨルダン, アンマン で パレスチナ難民キャンプ を訪ねて 〜 1983年9月19-23日

1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ・トルコ・シリアを旅し, 同年9月19日にシリア・アラブ共和国の首都ダマスカスを発って陸路, ヨルダン・ハシミテ王国の首都アンマンへ。ヨルダンではアンマンの他, アカバとペトラに行き, ペトラからアンマンに戻り, その後, アンマンから陸路, というかヨルダン川を渡って, イスラエルによる国連安保理決議違反の軍事占領下ヨルダン川西岸地区に入り,

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パルミラ(シリア, 古代ローマ帝国の都市遺跡) 〜 1983年9月11日(ISによる破壊の32年前)

パルミラ(シリア, 古代ローマ帝国の都市遺跡) 〜 1983年9月11日(ISによる破壊の32年前)

写真は, 西暦紀元32年に建造され, 2000年近くこの姿を保ちながら, 今から6年前, 2015年に "宗教" 原理主義者 IS「イスラム国」がこの地域を制圧した際に破壊された, パルミラのベル神殿(1983年9月11日, 筆者撮影)。この写真を含む 1983年のパルミラの写真は 本 note 第2章にて。

謎の東洋人, パルミラに現わる1983年4月26日に「極東」日本を発った怪しげな東

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イスタンブールは「旅心」の琴線に触れる街 〜 トルコ, イスタンブール 1度目の滞在・旅 note 第3編(1983年8月18日から8月31日)

イスタンブールは「旅心」の琴線に触れる街 〜 トルコ, イスタンブール 1度目の滞在・旅 note 第3編(1983年8月18日から8月31日)

前説トルコ入国は 1983年8月11日(ギリシャ・アテネからの 2泊3日の列車旅でイスタンブール着)。日本をバックパックひとつ担いで出たのは 1983年4月26日。横浜港から 2泊3日の船旅で当時のソ連・ナホトカに着いて, それから先はソ連・北欧諸国を旅し, さらに南下しながらヨーロッパ諸国の旅を続け, ギリシャにはアテネとサントリーニ島に計30日滞在。そこまでの旅については以下リンク *1 と

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イタリアからギリシャに渡った, 1983年7月10日 〜 同年4月26日の日本出国以降を振り返り

イタリアからギリシャに渡った, 1983年7月10日 〜 同年4月26日の日本出国以降を振り返り

ナポリから夜行列車でブリンディジ, ブリンディジでフェリーに乗って, ギリシャ側パトラへ1983年4月26日に横浜港をフェリーで発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅(完全網羅の一周ではない一方でエジプトにも行ったからアフリカ大陸その北東の端にも8泊9日), イタリアは12番目の旅国(造語, 訪問国とほぼ同意)で7月1日から9泊10日, ヴェネツィア, フィレンツェ, ローマとヴァチカン市国(

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ポンペイの遺跡を歩いた, 1983年7月8日(写真11枚) 〜 "Echoes" Pink Floyd LIVE at ポンペイ, 1971年10月(歌詞和訳)

ポンペイの遺跡を歩いた, 1983年7月8日(写真11枚) 〜 "Echoes" Pink Floyd LIVE at ポンペイ, 1971年10月(歌詞和訳)

1983年4月26日に横浜港を発って日本を出てから74日目, 同年7月8日, その日まで 4泊5日滞在していたローマを発ってナポリへ移動, ナポリに宿をとってその日は列車で「現代の」ポンペイ市方面へ。目指したのは「古代都市」ポンペイの遺跡。

ポンペイに辿り着くまで冒頭書いたように, ポンペイにはナポリから日帰りの旅をした。ナポリの前にいたところはローマで, ローマを 1983年7月8日朝に列車で

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