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1984年2月1日 帰国 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア各国を旅して 282日目

韓国・釜山港から下関港行きフェリーに乗って帰国, その後, 初めて広島に行き3泊し, 1984年2月4日にとりあえず静岡県の田舎に戻った。計285日。9ヶ月半程度だからバックパッカーの旅としてはそれほど長かったわけでもないが, まだソ連があった時代, そしてベルリンに壁があった時代, そのほか諸々, 現在とは違う, つまりもう「歴史」になっているようなものを見た面はあったわけだし, まぁそんな堅苦しいことを言わずとも, いま振り返って, あの当時の「世界」(の一部!)を自分の眼で見られたことは, 後の自分(の一部!)を作るような価値ある体験となった。やっぱこれも堅苦しい言い方か(笑)。とにかく, めっちゃ面白い旅だった。

旅のテーマ・ソング, "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) 〜 歌詞和訳

以下は, 本 note 第5章にリンクを貼る自分の過去 note の第2章から転載。

"Every Picture Tells a Story" は 1971年5月28日にリリースされた Rod Stewart 3枚目のアルバムのタイトル・トラックで, LP の A面 の 1曲目。このアルバムは当時イギリスでもアメリカでもチャート 1位を記録し, B面 2曲目の "Maggie May" も両国それぞれのシングル・チャートで 1位になったという大ヒット作だった。
この歌(Rod Stewart と Ronnie Wood の共作), 音, メロディだけじゃなくて, 歌詞も素晴らしい。筆者が若いころ旅に出たかった気分の「おおよそ」のことなら, この歌の中に見事に描かれている。
筆者は特別劣等感に苛まれていたのではなかったし, 親父に勧められたのでもなかったが, でも自分の親父もこの歌の歌詞の中の親父みたいな人で, ああいう類のことを言う人だった, 「だった」と言っても, 92歳の今現在も健在・元気!

拙者の親父殿は 1928年9月生まれで, 2022年2月1日の今現在93歳, そして嬉しいことに 1931年8月生まれの「前略おふくろ様」今現在90歳とともに, 健在・元気!

そういう「訳」(ワケ)で, この歌とその歌詞と歌詞の和訳(今年 2月4日に訳した, 本章の最後にリンク)を今, あらためてここに載せるのだ ♫

「今年 2月4日」は, もはや 昨年の 2月4日。

Every Picture Tells a Story 〜 the title track on the third album by Rod Stewart, released on May 28, 1971

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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しばらくの間 おれってダメな奴かもって思ってた
鏡の前に立って
何百回と髪をとかしても(*1)
結局は代わり映えしない俺がそこにいるだけ

親父がおれに言ったのさ、「息子よ、世の中を見てくるがいい
家を出て行ったって咎めたりしない
だけど覚えておけ、現を抜かすんじゃないぞ
お前の金を掠め取るような女にはな」(*2)
で、おれは出かけたってわけさ

パリは身を隠せる場所だった
周りに馴染めないって思ったらね
だけどフランスの警察は平和をくれなかったのさ
連中はおれのことを汚らしい奴だって言うんだ
セーヌの左岸に降りて物思いに耽ってて(*3)
押し寄せてきた群衆にノックアウトされたら
平和的な暴動を扇動したって罪で逮捕されちまった
おれはその時ほんとはお茶一杯飲みたかっただけだぜ
なのに責任取らされたってわけさ、ったく
その後も旅を続けたよ

ローマに行ったけど何か物足りなかった
若い奴が生きてくための何かがね
おれの体は悪臭を放ってたけどそのまんま、憂鬱だった(*4)
まさに運も尽きて落ち目って時にね
ほんとに破れかぶれ、やけになって
観光客用の見せ物みたいになってた
それで思ったよ、ここから出なくちゃってね
バチカンに行ったって認められるわけないし
そんな気もなかったさ、あるわけない

東に向かって出かけたぜ、聞いてくれよ
北京のフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ(*5)
こっちに戻る船の中のことさ
切れ長の目の女と恋に落ちたってわけ
東洋の月明かりに感謝しなくちゃね
上海のリルは決してピルを使わない
ピルなんて自然じゃないわよって言うんだ
で、おれを甲板に連れて行って首に歯を当ててきたよ(*6)
なんてこった、彼女と出会えたなんて上出来だよ
ほんとさ、最高の気分だったよ
ちょっと待ってくれ

おれはいま固く信じてるよ、結局大事なのは自分だってことさ
マジで思ったんだ、おれはほんとに完璧だってね
人間、どんだけおかしくなれるのかな
おれが今まで知った女たちには靴紐一つ結ばせなかったよ(*7)
ああいう女といると自由な気分でいられないんだ(*8)
だけどあの切れ長の目の女には心底やられたよ(*9)
彼女に出会ったことは神にでも感謝しなくちゃな
おれが伝えられる彼らの言葉の中に(*10)
旅してる最中のあんたに役立つものがあるとしても(*11)
彼ら、つまりディケンズやシェリーやキーツの言葉は使えないな(*12)
そんなの散々言われてきて手垢まみれだろうよ
どんな悪い状況でも最善を尽くす、でもって笑い飛ばすんだな
とにかくこんなとこまで来なくてもいいよ

覚えおくことさ、どう見えるかで何が起きたのか分かるんだ、だろ?
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
百聞は一見にしかずって言うよな
百聞は一見にしかずってね
百聞は一見にしかずって ...

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注釈 *1~ 12 はこの歌の歌詞和訳 既出 note の中。

海外「放浪」蔵出し写真集 〜 "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) [歌詞和訳]

さてさて, 

1979年, 大学入学で札幌へ, その年の夏辺りには既に「インド・ネパール旅の絵本」を買って読んでいた

以下は, 次の次の更に次の章にリンクを貼る自分の過去 note の第3章から転載。

これは大学3年の時, とある同人誌の1982年1月号(手前は前年の号)。もちろんこんな委員会は外界には実在せず, この note 筆者の頭の中にだけ存在していた(でも堂々と名刺広告出稿してる, 笑)。委員会のメンバーは委員長 兼 平委員の自分一人だけ。

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1981-82年ごろの話, ただし, 旅そのもののことは殆ど書いてない, 殆ど書いてなかった(と思う!)。

札幌, 深夜の大通公園1981-82, 大人の「はないちもんめ」 〜 花いちもんめ(はっぴいえんど)

旅立つ前と後に読んだ本, そして 旅立つ前に聴いていた曲 ♫

1983年4月26日 ユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行への出発(旅立ち) 〜 旅立つ前と後に読んだ本、旅立つ前に聴いていた曲 ♫

さて, いよいよ,

1983年4月26日, 旅立ち

旅立ち, 

いや, 旅立ちとは出発なり, 「出発(たびだち)の歌」聴こう ♫

ええ歌やなぁ。

1983年4月26日, 横浜よりソ連, 今のロシアのナホトカに向け, フェリーで 旅立ち

2年後の1985年にカミさんと横浜で知り合って, 山下公園辺りもよく行ったから, いろんな意味で懐かしの横浜港。

さて, 

ソ連・欧州 の旅(イタリアまで)

1983年4月26日 に日本を発って, ソ連から北欧を旅し, さらにヨーロッパを南下, イタリアの旅に至るまで, 日本を出る前についての note と旅の間の各国各都市の旅 note それぞれへのリンクは, 以下リンク先 note の第3章以降に。

多いので都市名ほかは省略, 国・地域名だけ書くと, ソヴィエト社会主義共和国連邦(今はもちろん無し, 現在はロシアやウクライナ他けっこう沢山の国に), フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ(ドイツ連邦共和国, 東西統一後の現在も国名は同じ), 当時アメリカ合州国・イギリス・フランスの占領下だった西ベルリン, そして東ドイツ(ドイツ民主共和国, ただし東ベルリンのみ, 西ベルリンから歩いて越境), フランス, スイス, 西ドイツ再訪, オーストリア, ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国(ご存じの通りその後 分裂), オーストリア再訪, イタリア(ローマ市内にあるヴァチカン市国にも訪問したが法王には会えなかったなぁ, 笑), おっとヴァチカン市国は13番目の訪問「国」ではないか, omg, Oh My いない God, そんなこと(ってどんなことだ, 笑)は法王殿, 気にせぬようにね。

イタリアからギリシャに渡った, 1983年7月10日 〜 同年4月26日の日本出国以降を振り返り

さて,

ギリシャ の旅

1983年7月11日 から 30日間滞在した ギリシャ(アテネとサントリーニ島)の旅 note それぞれへのリンクは, 以下リンク先 note の第2章に。

飛んでイスタンブール, じゃなくて 列車で アテネ から イスタンブール 〜 1983年8月9-11日

ちょっと脱線, 1983年8月10日, Maneaters に襲われた夜 〜 あの夜の出来事は幻だったのでありましょうか ♫

まぁなぁ(笑)。

Maneater 〜 Hall & Oates (Daryl Hall & John Oates, 1982)

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞・全編を削除し, 歌詞の一部(最後のヴァースの最終部分)のみの掲載に改めました。歌詞・全編に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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Watch out, watch out
(Oh-oh, here she comes)
(Yeah, yeah) she's a maneater
(Oh-oh, here she comes)
(She's a maneater)
She's watching and waiting, ooh-oh
(Oh-oh, here she comes)
Oh, she's a maneater

さてさて, 困ったもんだ(笑)。

トルコ・シリア・ヨルダン の旅 

ギリシャ・アテネからの2泊3日の列車旅で 1983年8月11日 にトルコ・イスタンブールに着いた後, その日から同年9月28日 までのトルコ・シリア・ヨルダンの旅, その各国各都市の旅 note は, 以下リンク先 note 及びその第2章(note リンク)。

再びの アンマン(ヨルダン), 1983年9月26・27日 〜 トルコ・シリア・ヨルダン振返り note

さて,

パレスチナ/イスラエル の旅

1983年9月28日, ヨルダン川を渡り, 当時も2022年の今もイスラエルによる国連安保理決議違反の軍事占領下にあるヨルダン川西岸地区に入り, パレスチナ/イスラエル 3週間の旅を開始。

パレスチナ, 1983年9月28・29日 〜 ヨルダン川を渡り イスラエルによる国連安保理決議違反 軍事占領下の西岸地区に入る

パレスチナ/イスラエル 3週間の旅 note 15本は, 以下リンク先 note とその第1章に付したそれぞれの旅 note へのリンク。

ガザ地区, 被占領地パレスチナ 〜 1983年10月16-18日

ピラミッドと大都会の喧騒と 〜 エジプト, ギザとカイロ, 1983年10月18-26日

古代エジプト文明のピラミッドがあるギザと, 現代のカオスの大都市カイロ。

さて, 

トルコ・イスタンブール 再訪

1983年4月26日に横浜港を発って, 最初の半年間はソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル, そしてエジプトの旅。そこまで飛行機は一度も使わなかったが, エジプト・カイロからトルコ・イスタンブールに戻る際に初めて飛行機を使用。

さてさて,

再びのトルコ, 続いて イラン, パキスタン の旅, そして インド に入国

以下のインド・アムリトサル 旅 note の第1章には ソ連からパキスタン, つまりインドに入る前までの道のり, その各国各都市・街・遺跡などの旅 note へのリンクに関する説明あり。トルコ再訪(イスタンブール, アンカラ, ドグバヤジッド), イラン・イスラム革命から4年後のイラン・イスラム共和国(テヘラン, エスファハン・ザヘダン), パキスタン・イスラム共和国(タフタン・クエッタ, ラホール)の3ヶ国の各国各都市旅 note に関しては直リンクを付した。 

インド入国, まずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサル へ 〜 1983年11月29日-12月3日

さてさて,

インド, タイ の旅

さてさて, サテとはナンぞや, サテはタイを含む東南アジア諸国で食べられている美味しい串焼き料理, 

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ナンはインドの美味いパン!

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それはサテおき,

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それはさておき,

以下の タイ旅 note の第1章に貼ってあるのは, インド旅 note へのリンク 8つ(アムリトサル, ダラムサラ, デリー, アグラ, ヴァーラーナシーは 2つ, そして ブッダガヤ, コルカタ)。

タイ・バンコク 〜 1984年1月7-21日, 日本を発ってから約9ヶ月経過

韓国 1984年1月の11日間 〜 1983年4月に日本を発ってから足掛け10ヶ月目, 全斗煥軍事独裁政権時代に旅した初めての韓国, 板門店も

あの時の旅の, 最後の訪問国。

いよいよ, 帰国だ。

江ノ島が見えてきた ♫ 〜 いや違った(笑), 下関が見えてきた

見えてきたぞ, 

だからこれは「江ノ島が見えてきた」だって!

下関が, 見えてきた。

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おーい, 日本よ。元気にしとったんかい?

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という, 1984年2月1日 の帰国であった。

2月1日, 海外「放浪」もどきの旅から帰国 〜 僕は一寸 ♫ 明日あたりはきっと春 ♫

というわけで, 

さて,

どんな話をしゃべりましょうか, 日の出づる国の明日の事でも 〜 帰国したから 細野さんの 「僕は一寸」♫

これはこれは, 前章にリンクを貼った自分の過去 note 第2章からの転載。

帰国したってのは今日の今日じゃなくて、37年前の今日だけどね。前章を少なくともちら見した人にはしつこいけれど。

ってか, 2022年2月1日現在で語ると「38年前の今日」。

細野さんとはもちろん、あの細野さん、細野晴臣。いまや細野晴臣翁。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた歌詞・全編を削除し, 歌詞のごく一部分のみの掲載に改めました。歌詞・全編に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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ひなたぼっこでも していきませんか, そこにまあ すわって, お茶でも飲んで 話を

どんな話を しゃべりましょうか, 日の出づる国の 明日の事でも

...

どんなところを 歩きましょうか, 日の出づる国の輝く道でも

...

外の日溜まり 枯木に埋まり, だまりこくる 家の中の午後, 僕は一寸 だまるつもりです

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