本能寺の変1582 重要Point 信長の油断 ◎P1~ 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
重要Point 信長の油断 ◎P1~
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信長の油断 まとめ ◎P1~6
本能寺の変 最大の要因
武田効果
絶大な自信 我ながら驚き入る計りに候
己の武威の強大さ 天下統一 目前
成功体験 裏目
おごれる人も久しからず 傲慢
人間五十年
さらなる夢
先を急ぎすぎた=焦り 隙=油断
冷静さを失った
一生の不覚 自業自得 是非に及ばず
天下布武 一歩及ばず 残すところは一年余り
本能寺炎上 夢幻の如く也
◎P2 ◎第2話 1信長、死す 是非に及ばず 2/3
◎P3 ◎第3話 1信長、死す 是非に及ばず 3/3
◎P4 ◎第4話 2信長と「敦盛」 人間五十年
⇒ 次へつづく
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