本能寺の変1582 重要 ◎第2話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
重要 ◎第2話
1信長、死す 是非に及ばず 2/3
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*加筆修正 240119
◎明智の軍勢が本能寺を取り囲んだ。
光秀は、少し離れたところに本陣を構えた。
既に、信長公御座所本能寺取り巻き、
◎大喊声が沸き起こった。
攻撃が始まった。
勢衆、四方より乱れ入るなり。
◎信長は、猜疑心が強い。
◎信長は、用心深い。
それ故、ここまで生き延びた。
父、信秀は、四十二歳で亡くなったと云う。
それに比べれば、七年も長く生きた、・・・・・。
そう、思っていたのかもしれない。
◎なれど、完全無欠にあらず。
信長も、同じ人間。
これもまた、当然のこと。
◎稀に、「隙」を見せることがあった。
◎「ときは今」
◎光秀は、そこを衝いた。
光秀は、「卑怯至極の表裏者」「典型的な戦国武将」。
そこを衝いた。
不意討ちである。
◎信長は、ようやく気がついた。
何やら、外が騒々しい。
小姓たちが走った。
慌ただしい空気が流れる。
「もしや」
・・・・・。
不吉な予感。
信長も御小姓衆も、
当座の喧嘩を下々の者ども仕出(しだ)し侯と、
おぼしめされ侯のところ、
◎「謀叛」
明智勢が鉄砲を打ち込んだ。
「謀叛」
信長は、これで、わかった。
「ならば」
頭脳が激しく回転する。
「何者ぞ」
・・・・・。
一向さはなく、
ときの声を上げ、御殿へ鉄炮を打ち入れ侯。
是れは謀叛か、如何なる者の企てぞと、
御諚のところに、
(『信長公記』)
光秀は、謀叛人。
紛れもない事実である。
◎信長の油断であった。
これが最大の要因である。
信長が油断しなければ、本能寺の変は起きなかった。
ここがポイント!!
注目すべし!!
◎信長は、絶大な自信をもっていた。
武威を以って、天下を制す。
◎「我ながら驚き入る計りに候」
武田の滅亡。
信長は、これを、我が目で見た。
光秀も、同じである。
◎「武田効果」
正に、我が意を得たり。
凄まじい波及効果を目のあたりにした。
「百万の味方を得たに同じ」
そう、思っただろう。
これが、「武田効果」。
そして、その意味することを知っていた。
光秀もまた、これに同じ。
◎天下統一は、目前にあった。
信長は、確信した。
ならば、「天下布武」は、成る、・・・・・。
先のことに、あらず。
思いの外、早く、・・・・・。
【参照】10信長の甲斐侵攻 3信長、出陣
第66話
信長は、戦わずして、上野一国を手に入れた。 『信長公記』
信長は、わずか一月で四ヶ国を手に入れた。 『信長公記』
信長の勢威、恐るべし。
信長の勢威は、丹波では通用しなかった。
光秀は、甲斐攻めが長引くものと思っていた。
信長の勢威は、確実に成長していた。
「長篠効果」
「本願寺効果」
信長は、自分の実力に気づいていない。
「武田効果」
【参照】14信長の甲斐侵攻 5潮目の変化
第115話
☆⑦我ながら驚き入る計りに候。
「武家事紀」「織田信長文書の研究」
信長は、己の勢威を再認識した。
光秀も、驚いた。
ここで、潮目が変わった。
光秀の心の内には、大きな不安が湧き上がった。
信長は、大いに満足していた。
◎この成功体験が裏目に出る。
◎「おごれる人も久しからず」
信長は、傲慢になっていた。
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす、
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし、
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ、
(「平家物語」)
◎「人間五十年」
◎「信長のさらなる夢」
◎信長は、先を急ぎすぎた=「焦り」。
「五十年」「さらなる夢」→「急」→「焦り」→「隙」=「油断」
◎信長は、冷静さを失っていた。
【参照】
◎第4話 第4話
信長の油断 人間五十年
◎これが信長の生き様であった。 『信長公記』
◎信長は、己の人生と重ね合わせた。
◎信長は、「五十年」を強く意識していた。
◎そして、桶狭間へ。 『信長公記』
◎だが、この「五十年」が信長に先を「急」がせた。
◎そして、それが「焦り」になった。
◎そこに、「隙」が生じた。
◎これすなわち、「油断」。
◎「五十年」→「急」→「焦り」→「隙」=「油断」
◎光秀は、そこを衝いた。
◎これが本能寺の変である。
◎信長、一生の不覚。
◎一歩、及ばず。
全ては、己の蒔いた種。
「自業自得」、である。
◎「自嘲」
信長は、全力を尽くした。
その結果が、これである。
◎是非に及ばず。
「惟任光秀」
一瞬、その顔が脳裏を過(よぎ)った。
信長は、覚悟を決めた。
森乱申す様に、明智が者と見え申し侯と言上侯へば、
是非に及ばずと、上意候。
時は、容赦なく流れていく。
◎明智勢が御殿へ殺到した。
信長方は、表御堂の番衆と一手になった。
これを迎え討つ。
透(すき)をあらせず、御殿へ乗り入れ、
面御堂の御番衆も御殿へ一手になられ候。
◎本能寺は、修羅場と化した。
奮戦すれども。
虚し。
衆寡敵せず。
家臣らは、次々に討死していく。
◎御厩、無惨。
以下、討死の衆。
忠義の者たちである。
御厩(うまや)より、矢代勝介・伴太郎左衛門・伴正林・村田吉五、
切つて出で、討死。
此の外、御中間衆、藤九郎・藤八・岩・新六・彦一・弥六・熊・
小駒若・虎若・息小虎若を初めとして廿四人、
御厩にて討死。
◎御殿では、死闘が繰り広げられた。
なれど、及ばず。
同じく、討死の衆。
信長の近習たちである。
主君のために、身命を捧げた。
御殿の内にて討死の衆。
森乱・森力・森坊兄弟三人、小河愛平・高橋虎松・金森義入・
菅屋角蔵・魚住勝七・武田喜太郎・大塚又一郎・狩野又九郎・
薄田与五郎・今川孫二郎・落合小八郎・伊藤彦作・久々利亀・
種田亀・山田弥太郎・飯河宮松・祖父江孫・柏原鍋兄弟・
針阿弥・平尾久助・大塚孫三・湯浅甚介・小倉松寿。
御小姓衆、懸かり合ひ懸かり合ひ、討死侯なり。
斯く戦えり。
湯浅甚助・小倉松寿、此の両人は、町の宿にて此の由を承り、
敵の中に交(まじ)り入り、本能寺へ懸け込み、討死。
御台所の口にては、高橋虎松、暫らく支へ合ひ、比類なき働きなり。
(『信長公記』)
戦国の世である。
下剋上が罷り通る時代だった。
⇒ 次へつづく
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目次 が更新されました。
これで、全体像がよくわかる!!
毎日更新!!
原因・動機の究明は、この一歩から!!
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「本能寺の変」
原因・動機は、この中にあり!!
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これで、さらに、一歩、近づいた!!
ご期待ください!!
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