本能寺の変1582 第3話 1信長、死す 是非に及ばず 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
第3話 1信長、死す 是非に及ばず
信長は、弓を取った。
程なくして、弦が切れた。
押し寄せる敵。
明智の兵、兵、兵。
さながら、雲霞の如し。
信長、初めには、御弓を取り合ひ、二、三つ遊ばし侯へば、
何れも、時刻到来侯て、御弓の絃(つる)切れ、
次、槍。
だが、負傷した。
奥へと退く。
「その時」が迫っていた。
其の後、御鎗にて御戦ひなされ、
御肘に鎗疵を被(こうむ)られ、引き退き、
女は、くるしからず。
信長は、女たちを脱出させた。
是れまで御そばに、女どもつきそひて居り申し侯を、
女はくるしからず、急ぎ罷り出でよと、仰せられ、
追ひ出させられ、
家臣らは、懸命に堪(こら)えた。
「上様の御ために」
時間を稼ぐ。
次第に、煙が立ち込めて。
・・・・・。
ついに、「その時」がやって来た。
本能寺、炎上。
御殿に火の手が上がった。
既に、御殿に火を懸け、焼け来たり侯。
信長は、納戸に入った。
ここが最期の場所となる。
己の死に様を見せたくなかった。
御姿を御見せ有る間敷(まじ)きと、思し食(め)され侯歟(か)、
殿中奥深く入り給ひ、
内よりも御南戸(納戸)の口を引き立て、
夢幻の如く也。
燃え盛る炎の中で。
自らの命を絶った。
無情(なさけなく)、御腹めされ、
(『信長公記』)
程なく、本能寺は焼け落ちた。
全てが灰燼に帰す。
享年、49。
斯くして、信長の「天下布武」は終わった。
実に、あっけない最期であった。
諸行無常。
万物流転。
時は、流れるを止めず。
その終焉は、次代の始まりにすぎない。
戦国の世は、つづく。
⇒ 次へつづく 第4話 2信長と「敦盛」
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