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本能寺の変1582 第115話 14信長の甲斐侵攻 5潮目の変化 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第115話 14信長の甲斐侵攻 5潮目の変化 

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信長は、伊那谷を北上した。

 三月十七日。
 飯田を出発。
 天竜川に沿って北上。
 飯島に到着。
 移動距離、凡そ八里(24km)。

  三月十七日、信長公、飯田より大島を御通りなされ、
  飯島に至りて御陣取り。
                           (『信長公記』)

信長は、松井友閑へ戦勝を伝えた(①~⑪)。

 同日。
 信長は、友閑へ以下の黒印状を送った。
 友閑は、堺の代官である。   

①穴山梅雪は、内通していた。

 梅雪(信君=のぶただ)は、すでに、妻子を甲府から下山舘(山梨県南巨摩郡
 身延町下山)に避難させていた。

  此の表のこと、最前、穴山、忠節を抽んずべきの条、朱印をなし、
  信長、信州に至って出馬の刻(きざみ)、色を立つべきの由、
  路次・日限を相計り、堅く申し聞かすところ、
  早々、風聞せしめ、穴山足弱(あしよわ=女・子供・ろうじん)等、
  甲斐府中より、彼等が館へ引き越し候ひき、

②勝頼の首。

 小山田信茂の裏切り。

  四郎、諏訪に居陣せしめ候間、則ち、甲州の構へ引き退き候、
  其外、彼の国の者ども、我も々々と忠節すべきの覚悟に付きて、
  右の構にも相堪えず、山中へ北(にげ)隠れ候を、
  小山田以下心を合せ、
  滝川左近人数をも、去る十一日四郎父子を討ち捕り、首到来候、

③典厩信豊の首。

 下曽根浄喜の裏切り。 

  典厩の事、西上野近辺の小諸城に楯籠り候、
  是も出羽守忠節として、切り首到来、其首を飯田城に懸け置き候間、
  飛脚見候て物語るべく候、

④仁科信盛の首。

 奮戦すれども、虚し。

  四郎の弟仁科五郎も高遠城相抱え候を打ち果し、是も首到来候、

⑤歴々の者ども。

 信長は、その多くを殺害した。

  甲州の歴々の者ども、大略首を刎ね候、
  又、降人に出で候族(やから)、数知らず候、
  是は、生害させ候者、数多く候、
  自然、助け置く輩(ともがら)も之れあるべし、

⑥土岐頼芸他。

 かつて、信長に敵対した者たち。
 武田氏が彼らを庇護していた。

 土岐頼芸・織田信賢・織田信安。
 これは、追放。
 佐々木承禎の子次郎(不明)・若狭の武田五郎(不明)。
 これは、切腹。 

  亦(また)、尾濃の浪人、土岐美濃守を始め、岩倉・犬山等、
  小屋に蟄居候、
  是は、それ々々に、相計(はから)い候、

  佐々木承禎の子次郎并(ならび)に若狭の武田五郎、
  是も小屋に蟄居候を、搦め取り、腹を切らせ候、

⑦我ながら驚き入る計りに候。

 信長は、瞬く間に、四ヶ国を手に入れた。
 これには、自身も、驚いている。  

  北は越後境、東はうすいが峠・川中島等、信州中に一所も残らず、
  侘言せしめ、落着候、

  西上野、同前に候、

  此の如く、卅日・四十日際(きわ)に、一偏に属するの事、
  我ながら驚き入る計りに候、
          (「武家事紀」「織田信長文書の研究」①~⑦/⑪)

信長は、己の勢威を再認識した。

 織田の武力。
 「これ程までとは」
 圧倒的な強さ。
 「戦わずして勝つ」
 勝頼の首。
 「あの武田ですら」
 最早、この国(日本)に、対抗し得る勢力は存在しない。
 ならば、・・・・・「次」。
 「天下布武」は、目前だった。 

光秀も、驚いた。

 光秀は、洞察力に優れている。
 「これまでとは、違う」
 そう、直感した。
 ならば、・・・・・「早まる」。
 中国出陣は、近い。 

ここで、潮目が変わった。

 ここからである。
 時の流れが、急変した。
 急激に、加速し始めたのである。

 信長は、鋭い感覚も持ち主だった。
 「機を見るに敏」
 この変化を見逃さず。
 「時節到来」
 いよいよ、その時が来たと思った。

 光秀は、これに翻弄される。

光秀の心の内には、大きな不安が湧き上がった。

 一、土佐の事。
   「それまでに」
   間に合うだろうか。 

   光秀は、石谷頼辰(よりとき)を土佐に派していた。
   長宗我部元親との最終交渉。      
   何としても、聞き容れてもらわねばならなかった。

   【参照】8光秀の苦悩 6守るべき者 50       

 一、中国の事。
   急に、慌ただしくなって来た。
   安芸の毛利。
   これとて、武田に同じ。
   二の舞となるだろう。
   「武田効果」
   さ程、時間はかかるまい。
   ならば、その先は、・・・・・。 

   光秀は、武田の滅びゆく姿をその目で見ている。
   これと毛利を重ね合わせた。
   信長の目線と同じである。

   【参照】10信長の甲斐侵攻 3信長、出陣 66      

 これらについては、後述する。

信長は、大いに満足していた。

 すべてが順調。
 うまく行っている。
 信長は、そう、確信していた。

 なれど、好事、魔、多し。
 一寸先は、闇。
 人生、何が起きるかわからない。



 ⇒ 次へつづく 第116話 14信長の甲斐侵攻 5潮目の変化 


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