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本能寺の変1582 第114話 14信長の甲斐侵攻 4勝頼の首 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第114話 14信長の甲斐侵攻 4勝頼の首 

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信長は、浪合で勝頼の首と対面した。

 同三月十四日。
 浪合に到着(長野県下伊那郡阿智村浪合)。
 静かな山中の小集落。 
 今で言えば、四月頃。
 新緑の谷あい。
 桜の咲き始める季節である。

 この日の行程、凡そ五里(20km)。
 信長は、ここで、勝頼の首と対面した。

  十四日、平谷(同平谷村)を打ち越え、なみあひに御陣取り。
  爰にて、武田四郎父子の頸、関与兵衛・桑原介六、もたせ参り、
  御目に懸けら侯。
  則ち、矢部善七郎に、仰せつけられ、飯田へ持たせ遣はさる。

光秀も、浪合で勝頼の首を見た。

 光秀は、信長に同行している。

 これが、武田の最期。
 信長に逆らった者の末路。
 「哀れなものよ」
 時は、滔々と流れていく。

信長は、戦後の処理について考えた。

 思った以上に、早い決着。
 後継者、信忠の手腕。
 滝川一益の手柄。
 諸将の勇戦。
 等々。

 信長は、機嫌がいい。
 満足していた。

 となれば、次。
 甲斐・信濃・上野・駿河。
 四ヶ国の国割。
 恩賞。
 諸将の配置。
 家康のこと。
 関東・奥羽の仕置き。
 北条のこと。
 等々。

信長は、飯田で勝頼の首を晒した。

 同三月十五日。
 浪合を出発。
 行軍、凡そ六里半(26km)。
 飯田に、到着した。
 ここで、勝頼の首を晒す。

  十五日、午の刻より雨つよく降り、
  其の日、飯田に御陣を懸けさせられ、
  四郎父子の頸、飯田に懸け置かれ、上下見物仕り侯。
 

信長は、武田の滅亡を世に知らしめた。

 敗れた者、斯くの如し。
 「無念」
 その形相(ぎょうそう)。
 光秀の、脳裏にこびり付いた。

 同十六日。
 信長は、飯田に滞在した。

  十六日、御逗留。

武田信豊の最期。

 同じ頃。
 武田信豊が家臣下曽根浄喜によって殺害された。
 「裏切り」 
 信豊は、信玄の弟典厩信繁の忘れ形見。
 勝頼の従弟である。

  信州さくの郡小諸に、下曾根覚雲軒楯籠り侯。

  武田典厩、下そねを憑み、纔(わずか)廿騎ばかりにて罷り越され候。
  肯(うけこい)申し、二の丸まで呼び入れ、無情に心を替へ、取巻き、
  既に、家に火を懸け侯。

  典厩が若衆に、朝比奈弥四郎とて候ひキ。
  今度、討死を究め(覚悟し)、上原(長野県茅野市茅野上原)在陣の時、
  諏訪の要明寺の長老を道師に憑(たの)み、
  戒(かい=仏教の戒律)を保ち、道号をつけ侯て頸に懸け、
  最後に切つて廻り、典厩を介錯し、追腹仕り、
  名誉、是非なき題目なり。

信豊の首。

 信長、これを検分。

  典厩を憑(たの)みし姪女(めい)聟、百井と申す仁、
  是れも一所に腹を仕る。

  侍分十一人生害させ、典厩の頸、御忠節として、下曾根持ち来たり、
  進上仕り侯。
  則ち、長谷川与次(丹波守)もたせ参る。

  三月十六日、飯田御逗留の時、典厩の首、信長公へ御目に懸けられ侯。

信長は、勝頼の乗馬大鹿毛を信忠に与えた。

 同日。
 申し分ない戦ぶり。
 「見事」
 そう、思っていただろう。 

  仁科五郎乗り侯秘蔵の蘆(あし)毛馬・武田四郎乗馬大鹿毛(かげ)、
  是れ又、進(まい)らせられ侯ところ、
  大鹿毛は、三位中将信忠卿へ参らせられ、

信忠は、自慢の後継者だった。

 信長は、目を細めた。
 大満足である。
 織田家の将来は、明るい。

信長は、武田の消滅を実感した。

 勝頼の愛刀を手に、・・・・・。

  武田四郎勝頼、最後にさゝれたる刀、
  滝川左近かたより、信長公へ上せ申され侯。
  使に祗侯の稲田九蔵に御小袖下され、忝き次第なり。

信長は、執念深い。

 思えば、十年前。
 元亀三年1572、十二月。
 信長が窮地に陥っていた時。
 武田信玄が裏切った。
 「三方ヶ原の合戦」
 信長は、煮え湯を飲まされた。
 大敗を喫す。 

 積年の怨み。
 今、ここに晴らす。

信長は、勝頼の首を京へ送った。

 同日。
 「京にて、獄門に懸けよ」
 使者は、長谷川宗仁。

  武田四郎・同太郎、武田典厩・仁科五郎、
  四人の首、長谷川宗仁に仰せつけられ、
  京都へ上せ、獄門に懸けらるべきの由侯て、御上京侯なり。
                          (『信長公記』)

長谷川宗仁は、首の配達人。

 天正元年1573、八月。
 信長に命じられ、朝倉義景の首を京へ送り届け、獄門に懸けている。

 これについては、後述する。


 ⇒ 次へつづく 第115話 14信長の甲斐侵攻 5潮目の変化 


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