こんなに苦しいのに、何のために生まれたんだろう

生きづらさにがんじがらめになって身動き取れなかった時期は、苦しさ抱えながらも生き続けないといけない理由をいつも求めていました。

でも、どんなに考えても納得のいく理由は出てこなくて。
何ならそんなの宗教家さんや哲学家さんたちが2千年以上考え続けてきてくれてるんだろうに、明確な答えは出ていない現状があるのだとしたら、理由なんてないのかもしれない。

でも、理由もないのにつらいなんて、納得がいかない。
納得いかないけど生きづらさの毎日はあって、その埋まらないものに悶々する。

そこから抜けるには、理由が見つからないなら生きづらさの方にアプローチするしか、方法が残されてなかったのです。
諦めに近い気持ちで何故自分がこんなに生きづらいのか、向き合うしか選択肢がなくて。

でもここで言う諦めは、大切な要素なんじゃないかと思うの。
諦めの境地にいけるぐらいにもがききらないと次のステップには行けない程に、メンタルが変わることはハードル高いことではあるんだろうなと。

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自分の生きづらさの理由が認知療法に取り組むことで分かってきて、少し自分に精神的な余裕ができてくると、哲学の勉強する中で出会った師匠にどう生きたら良いのか考え方のヒントをもらって、少しずつ生きるのも上手くなっていった結果、今の私があります。

何のために生まれたか納得のいく理由が見つからないなら、私はこのために生まれてきたんだって自分で納得できる生まれた理由を、大きくなくてもいい、ささやかなことで良いから、見つけられるように動きたいと思っています。

生きづらさ応援の活動をしています。