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心がざわつく理由と、その先に広がる可能性。

生きてたら悲しい出来事が起きたり、つらい気持ちになることもあるね。
でもその理由が分かって、生きるのが楽になる可能性があるのだとしたら。

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3月末に投稿した「なぜ今こころ騒ぐのか、その先に広がる可能性」の記事が削除されてしまったため、再編集して投稿します。

生きているなかで世界は刻々と変化して、目に映るものは様々に移ろっていくね。
そこから私たちはは必要な情報を拾って瞬時に判断して、自分にとって最善と思われる選択肢を半無意識的に選んでるんだって。

そうやって私たちは毎日を送っているけど、瞬時に行う判断や選択の癖によって、毎日が楽しかったり苦しかったりするものに変わるのだと、認知療法を学んで知りました。

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認知療法を勉強し始めて最初にショックに思ったのは、目の前に起きた出来事に対して選べる感情は複数選択肢があって、その中から自分で選択しているということでした。
自分の抱える悲しさや苦しさは、その感情を自分自身で選択しているからその気持ちになっているのだと言われて、頭殴られたみたいなショックでした。

え?
悲しさや苦しさはこんなに辛いのに、自分で選んでいるなんてどういうこと?
初めはとても憤りました。

でも、次のように考えた時に納得せざるを得なかったのです。
 

例えば、雨が降ったとします。

雨が降ったという出来事に対して、立場が変わると感じ方が変わります。
日照り続きの農家であれば恵みの雨として喜ばしいことでしょうし、髪のうねりやすい天然パーマの女性であれば、まとまらない髪をブローしないといけないと憂鬱になるでしょう。
雨音が好きな人には嬉しいことで、傘を持ってくるのを忘れた子にとっては腹立たしいことでしょう。

同じ雨が降ったという現象に対しても人が変われば湧き起こる感情は違うし、同じ人間だとしても状況によって選ぶ感情が変わります。
傘を忘れて腹立たしく感じた子でも、行きたくない遠足の日に降る雨には喜ぶでしょう。

雨でも喜ばしかったり憂鬱だったり腹立たしかったり、起きた出来事に対して選べる感情は複数選択肢があって、その中から自分の考え方のクセで選択しているんだ。

でもこれを逆の視点から見ると、自分を不快にさせない感情の選択肢を選ぶことができるはずなのだと気付いたときに、目の前が明るく晴れ渡ったような気持ちになったのでした。

私は辛くなる以外の感情の選択肢を持ってる!
もっと楽に生きられる可能性があるこの気付きは、私にとって大きな救いだったのでした。

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そこからは夢中で認知療法の勉強をしました。
もちろん初めは下手くそで、上手くいかずに辛くなってばかり。
なんで私は幸せな気持ちを選択できないの?と何度も自分を責めました。

でもその気持ちすら私自身が自分で選んだことなのだろうし、この自分で感情を選べるという概念を知ってしまったら、もう逃げられないと諦めにも近い気持ちもあって、自分の気持ちを心地よい選択肢に変更するように挑戦し続けました。

特に初期は知識もなかったので全然進めず、認知療法に詳しい人のところへ行って勉強したりしながら少しずつコツをつかんでいき、失敗もたくさんしながら徐々に上達していって、今ではおかげさまで自然とできるようになるまで来ました。

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知ることが自分の生きづらさを楽にすることは、私にとって大切な自分の変化のきっかけでした。
それを引きこもりだったときの自分に伝えたくて、それがもし誰かの役に立つことができるなら幸いだと思って、ここで書かせてもらっています。

認知療法の記事をまとめたマガジンです↓

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目の前に起きた出来事に対して選べる感情は複数の選択肢があって、その中から自分で選択しているのなら、自分を不快にさせないで楽にいられる感情の選択肢を選ぶことができる。
知ることが自分の生きづらさを楽にする救いだったのでした。

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