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#向き合い
愛されたかった私から愛したい私になる~感覚を感じて時々考える日々~
私が体験した成育環境での被害者意識や愛情不足感に固定してしまった視点からは、長年条件つきの愛情だったと見えましたし、そう思えていた両親なりの愛情表現を、両親から私へ対しての視点では実は無条件の愛情だったと捉えられると気づき、そう感じる事が出来て、受け取れた私は、喜びを感じました。
これからは、私が愛を返していく番なのではないか...と思いました。
両親への無条件の愛、どうやったら返せるのだろう..
両親への未完了の感情との再度の向き合い~最善のタイミングで深く腑に落ちる~
幼い私は、無条件に愛されたかった。安心したかった。だから、
「無条件に愛されなければ生きられない」と
思い込んだ、と。
でも、与えられたのは条件つきの愛情だ(と捉えた)から、体験している環境が過酷だと捉えた私が、そこで安心感を得て生きていく為に、
私が生きていく環境は条件つきの愛情の中だと、
私が生きる為にはこの条件つきの愛情が必要なんだと思い、
「無条件に愛されたら生きられない」、
弱さを受容する事①~弱い自分もありのままの自分~
自分と向き合っている事は、自分の中の見えにくい深い部分や、普段気づきにくい自分の物事の捉え方に気づき直す事のようで、しかも気づく事はいつも当たり前にわかっていた事のようなので、家族にも友人にも、事細かく深い部分までは、なかなか話せず、相談も出来ない(伝えきらない、伝わりきらない)ものでした。
私は、時々ですが義妹と連絡をとり、深い部分までは話せなくても、その時話せる素直な気持ちを吐露して、親身にな
こういう私が私なんだと腑に落ちる事②~バランスをとる~
私にとって、色々考える事は、幼い頃から身に着いた事だったと思います。
特に、幼少期から児童期の生育環境での体験は、通常の感覚で感じると辛く苦しかった為に、感覚を閉じて生きなければ、その環境で生きられなかった気がします。
感じる、という事をやめた為、必然的に思考優位になっていき、物事を自分流に考える事や、考え過ぎてしまう癖が付いたのかもしれません。
持って生まれた気質に、育った環境からの影響が加わっ
こういう私が私なんだと腑に落ちる事①~自己承認~
自分の内側に、静かな情熱を感じた後日、アドレナリンが分泌していたのか、今までで1番効率よく仕事が出来て、無理なく予定以上の仕事をする事が出来ました。同僚と労い合って、嬉しさと達成感を共有しながら帰りました。
ただ、その後日は、仕事内容や、場の状況によって、そのような成果は出ず。残念に感じる日々でした。
モチベーションを常に一定に保つとか、いつも同じように成果を出す事はやはり難しい、現実は甘くない、
恐れの気持ちに向き合う事③~生きてても迷惑掛けない。生きててもいい~
そう考えながら、感じた時、不意に自分の中から何かが込み上げて、涙が溢れてきました。
急に自分の中から込み上げたものと、涙が溢れた事に自分で驚きました。
...え?... ...どうして?.......
そう思いながら、
...私、生きてていいんだ...
...私、ここで、生きてていいんだ... ...と、泣きながら言っていました。
ありがとうございます... と、そう感じて手を合わせ、繰り返し、感
ご縁の意味 学びに気づく事③~心の奥の見えない気持ち~
介護の不安に対して心持ちを整えた後も、義父母と会った後、なぜかまた腹痛になったり気持ちのモヤモヤを感じました。
心身に無理をしていない範囲なのに、会い関わると、何かに苦手意識があり、私の内側が反応して、私の心身に症状が現れる。...何なんだろうと思い向き合いました。
何が苦手なのか、何が嫌なのか。
そしてそれは、なぜ嫌なのか。心がモヤモヤするのはなぜだろうと自分の内側に問いかけて感じました。