与えさせてもらったことを、受け取ってもらえる幸せ
高齢者のお体の施術の仕事をしていると、施術を受けてもらえることは当たり前ではないと感じることが度々起こります。
その方のご体調の問題だったり色々理由はありますが、もっと施術したくても叶わないことあるため、出来るだけその瞬間の施術を大切にしたいと考えています。
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施術をはじめ、何かしらさせていただけることは、相手がそれを受け入れてくれるからなのだと改めて考えなおした昨日だったのでした。
このnoteも、自分が整っていないとついアクセス数やいただけるスキの数を気にしすぎてしまいますが、まず読んでいただけるだけで有難いことなんですよね。
私の発信の投稿を読んでくださること、感謝です。
ありがとうございます。
拙い私の自分掘り下げ投稿で、これからもゴリゴリ自分掘り下げていく所存です。
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少し話は変わりますが、
今やっているお仕事や生活に概ね満足はしている筈なのに、淡いモヤモヤとしたような違和感をここのとこ感じることが多いです。
それは何だか漠然としていて、掘り下げても全然上手く拾えなかったのだけど、捻り出したのはどうやら「これじゃない」ということらしく。
何が「これじゃない」のかはまだよく分からなくて掘り下げ中なのですが、何事も腑に落ちてないことが苦手な生真面目タイプでもあると思うので、落としどころを早く見つけたくて余計モヤモヤしてるのです。
それでも今やってることは間違ってはいないという感覚はあるので、紆余曲折することも良しとして少しウダウダしながら研究してみたいと思います。
次のステージはあまり紆余曲折せずにシンプルにストレートに答えに辿り着くのが目標。
このステージにも近々いけるという感覚が根拠はないけど何故かあるので(根拠ないとスピリチュアルっぽくなるからここも掘り下げたい)、今は思う存分モヤりたいと思います。
生きづらさ応援の活動をしています。