書評・経済参謀 Thinkers50殿堂入りからみた日本経済とは
まえがき
書店に行き、thinkers50関連の書籍を探したところ、本書があったため購入した。今回は、thinkers50殿堂入りの大前研一氏の本書についてまとめる。
実際に役立つ書籍には、アカデミック(理論)とアントレプレナー(実践)の両方が必要となる。アカデミック(理論)だけだと、統計的優位だが効力が弱いものを省けない。行動経済学のナッジは効果はあるものの大して強くないことが判明している。
逆に、アントレプレナーだけだとn数が少なすぎて特殊事例を省くことができない。スティーブジョブズやイーロンマスクのやりかたが、自分に、これからの時代に合うとは限らない。
この両方を統合し、実際に役立てることができる経営手腕を出したものが、thinkers50だ。あのドラッガーから、ビジョナリーカンパニー、リーンスタートアップ、コストリーダーシップ、バランススコアカードなど多くの経営用語がこのthinkers50由来である。
すごくざっくりとした内容(本文メイン書評)
まずは、すごくざっくりと本書の内容をまとめる。
日本の三大問題は、①少子化②教育③国民国家問題
にあるとした。少子化は2017年頃から謎の加速を見せ、日本の高かった教育水準は下落、国民国家問題へと直結している。
そこで解決策をそれぞれ出している。
少子化は、
「若者の将来不安を取り除くことが優先」とした上で、
1.フランス型の子育て優遇の税制改革(単に親支援ではなく、子供の方を中心に支援。さらに子供の数に応じて支援を拡大)
2.子育てに結婚が必要という価値観の破壊
3.優秀な人材の移民受け入れ
4.これまでの戸籍制度の見直し
を訴えている。
教育問題は
1.文部科学省の根本的な改革
2.見えないものを見る力、理系中心教育の実施
3. zero to oneの構想力を育てる
としている。これは、これまで解説してきたthinkers50殿堂入りな野中郁次郎氏の「構想力の方法論」や、ピーター・ティール氏の「zero to one」のような教育方針という意味である。
そして最後の国民国家問題は、今は国ではなく、スタートアップエコノミーに企業が集中していることに着目し、新・地域国家論(スタートアップエコノミーの形成)による解決を目指している。
補足
大前研一氏は経営学者であるが、本書は長期視点のイノベーションについて、経済学の視点から詳しく解説がされている。
非常に長期的な視点で見れば、経営学と経済学はイノベーション学という分野に統合される。金融緩和・引き締め、緊縮財政、財政出動やデフォルトさえも、イノベーションほど長期の影響はない。日本は幕末と、戦後に二度の実質的なデフォルトしたが、むしろそれがきっかけで大きく成長を遂げている。つまり、非常に長期的な視点、イノベーションからすれば財政破綻など些細な問題である。この超長期的な視点こそが重要だ。
そして、日本は300年~400年程度停滞するのではないか、と大前研一氏は本書で日本に危機感を抱いている。これは国の財政破綻だけでは説明ができないほど長い停滞である。筆者は恒常的イノベーション(後述)の力があるだけでも、同氏ほど危機感を抱いてはいないが、経済参謀としては相当に厳しい目が向けられている。
本書の特色
本書では、スタートアップエコノミーに関して深掘りされている。教育問題と出生率問題に限って言えば、大前研一氏でなくとも同様の意見を述べる人は五万といるかも知れないが、このスタートアップエコノミーの創出に関しては、やはりThinkers50殿堂入りとして特に鋭い意見が述べられている。本書を購入する場合は特にその点に注目して頂けるとありがたい。
より詳しい解説と個人的な解釈
ここからはより詳しい解説を、個人的な解釈を含め説明していく。
個人的な意見も多く入ってしまったため、この本の内容のみの要約でない点はご注意頂きたい。
①少子化問題 地球温暖化と同じタイプの問題
少子化問題は、地球温暖化と同じ種類の問題だ。数万年前の地球は今より遥かに暖かく、縄文時代の海水は大宮近くまで広がっていた。それが江戸時代前には自然の変化で東京都まで下がった。
数万年単位で見れば、今の地球が暑すぎるわけではない。135年で0.85℃上がった急激な変化が問題だ。それと止まらないのではないか?という懸念ものしかかる。
これと少子化は同じで、人口が江戸時代の3000万人に戻ることはそこまで問題ではない。むしろ、今日本に1億人以上いるほうが長期的に見れば異常だ。減少が今後150年で起こること、止まるか不明なことが問題なのだ。
ということは、①人口が3000万人に減るのを150年から300年くらいに延長すること②いつか止めることが重要である。
そして①②両方に必要な政策を本書は説明している。
①出生率UPのための政策とは?
婚外子を受け入れない価値観の破壊、子育て税制優遇などは少子化を止めるほもの力は無いものの、確実に出生率を改善する政策だ。
個人的に重要なのは3000万人では止めるという政策。これには、やはり移民が必要だ。
とはいえ、移民を入れすぎれば大和民族が絶滅してしまう。それが少子化の一番の問題だ。
人口が3000万になったとき、流動的な移民が1000万人、大和民族が2500万人、かつて移民orその子孫の永住者が500万人程度といった塩梅にできるかが争点になる。
このように、人口を3000万人に時間をかけてゆっくりと着地させ、3000万人に減った頃には出生率を人口置換水準2.1にする政策が求められる。
この時やはり日本では、戸籍制度と古い価値観が邪魔になっているとは言える。日本が皇室を中心とした国家であり、オーナー系企業の男系継承が3000万人で出生率を止めることに一役買う。さらには、沖縄は古の伝統が残っているお陰で高い出生率を保てている。
このため、男系継承の良い部分の価値観を残しつつ、それ以外のLGBTQの結婚制度を整え、婚外子への法的冷遇を避ける必要がある。
このためには、結婚だけが子育て優遇制度であることから脱却し、子供そのものへの支援へと転換が重要になる。
②教育問題 イノベーター教育を
日本の教育問題の根底は、日本が実施する教育のSQが低すぎる(視野が狭すぎる)ことにある。子供をある職種に押しやってしまい、イノベーターとして育てる気概がないのだ。
だからこそ、「イノベーターとそうで無いものには、無限倍の世界を変える力がある」という観点から「zero to one」や「one to zero」の教育が必要になる。
本書はかなり日本の政策にダメ出ししているが、本書では文部科学省が関わってない分野ほど成長していることを挙げている。
そもそも日本の省庁が無能すぎるため、関わることはただの邪魔でしかないと、かなり厳しい言葉で説明している。しかし、政府が民間よりも基本的に無能になるのは経済の原則でもある。餅は餅屋であるためだ。
しかし、教育に関してはやはり行政が教えるしかない。
そして、日本が停滞した理由には何より、教育問題がある。
②教育問題 全員理系教育
ようは、日本教育のSQが低い(視野が狭い)がために、教育問題は起こっているのだ。日本の教育は、多様性こそ否定しなくなってきたが、横並び的で傑出を避ける傾向にある。
そこで本書では、全員理系教育の推進を勧めている。たしかに、理系の知識は文系にも役立つ。そしてイノベーションには理系の知識が必須だ。
また、理系の知識は、そもそも文系に対して大いに役立つ。例えば、本シリーズが初期に挙げたABC予想を経営学に使うといったアイデアもこれに当たる。
ABC予想と宇宙際タイヒミュラーもし社会に使えるならば、大きな革命だと言われている。そこで、ABC予想を経営学に無理矢理落とし込んだ。
ABC予想とは、a+b=cの関係をもつ互いに素となる自然数a、b、cをおく。このとき、c>rad(abc)は無限に存在するが、c>rad(abc)^k、2>k>1は高々有限個しか存在せず、c>rad(abc)^k、k≧2は存在しない。
これはもちろんその証明の過程を筆者が知るわけもないが、これをどう使うかにはアイデアがある。
ABC予想と経営学
結論から話すと
「ウォーターフォール=リニア思考=総当たり的なより世界観」が 1≧kの状態。
「アジャイル=毎日少しずつ強くなる=複利・指数関数的(エクスポネンシャル)になる」という世界観が2>k>1の状態で、これがセレンディピティ(偶然の一致、引き寄せの法則による幸運)を使う世界観と一致する。しかし、それより更に先に「真のウォーターフォール=エクスポネンシャル思考=宇宙に凹みを付ける、意味のイノベーション、センスメイキング理論=確信に向かって突き進む」的な世界観がある。これがk≧2の状態にあたる。
まず、数字には選好性がある。
素数は2→3→5→7→11→13→17→19→23→29→31となるが、その間の差は、2や5、あるは2×3などが現れ小さい素数で節約しようとするのだ。
このため、c>rad(abc)^kとなる組み合わせを考えることは、この整数の指向性を使って考えていくことになる。
ある数字を当てずっぽうに進めるのが、リニア思考で、ウォーターフォール的な世界観だ。総当たり的な考え方である。
その一方で、この数字の選好性に任せて、数字に自ずと作ってもらうことがアジャイルでセレンディピティー(偶然の出会い)的な価値観になる。
それこそ、アジャイル方式とは昨日より少し強くなる開発方法でもある。つまり、毎日ほんのわずかでも指数関数になることこそが、アジャイルの本質だ。指数関数思考がzero to oneの最後にも描かれており、シンギュラリティにとってもこの指数関数思考が肝になる。
そして、数字の選好性と複利(指数関数)の関係を示した数式だからこそ、ABC予想は数学の中でも特に統合的なものになっている。複利になったかどうかの境目が重要な定理がABC予想なのだ(最低でもそうは言える)。
ひとまず、より本質的なABC予想の意味は当然筆者も分からない。十進法だから、数字は2と5が好き、と考えて頂ければいい。
そして、セレンディピティーの力を使うことと、少し指数関数になることは同じことなのだ。そうすれば、自ずと答えは定まってくる、ということを数学は示している。
一方で、k>2ではc>rad(abc)となる関係は存在しない。ということは、より強力な指数関数を使う世界ではセレンディピティーの力ではない別の能力が必要だ、ということを示しているのだ。
それこそ、a+b=cが互いに素である関係を崩してしまうような「宇宙に凹みをつける」発想が必要になる。ある意味、法則さえ無視した無茶苦茶が必要というわけだ。そして、これこそがエクスポネンシャル起業家に必要な、真のウォーターフォール思考である。
関係性を超える力、センスメイクする能力、意味のイノベーションを起こす能力、フィクションを語り現実にする力だ。そして、そこにはセレンディピティーやアジャイルはなく、ただ確信に向かって突っ走る力が必要になる。
ワンピースを連載し始めた頃の尾田栄一郎氏が、生き残ることなど微塵も心配せず声優を誰にするか考えていたような、確信して行う力が大事なのだ。
このように、(これが正しい世界の関係性なのかはともかくとして)理系の知識は非常に文系にも役に立つ。
エクスポネンシャル教育
特にエクスポネンシャル起業家の多くが理系であることは特筆に値するだろう。とはいえ、日本に限って言えば、宮崎駿監督が経済学部卒、新海誠監督が文学部卒など文系出身によるアートの力も馬鹿にはできない。
やはり、ここにもサイエンス→クラフト→アートの関係があるようだ。アートに長けるものはサイエンスで、サイエンスに長けるものは、クラフトで、クラフトに長けるものはアートで成果を出す(CAIサイクル)。
このため、もはやその分野に固執せずに越境していく力が大事なのだ。そういう意味で、今の日本の教育はサイエンスにはサイエンスしか教えない、といった偏屈さがある。
これを克服し、全員イノベーターにすることが求められる。もはや世界が真のウォーターフォール的な世界観を作る中で、未だに文部科学省はアジャイルな世界さえ教えられていない。このことが問題の根幹にある。
そのことを本書は鋭く指摘している。
ただ筆者としては、まずは最低でも「イノベーターはそうで無いものと比べ、無限倍に世界を変える力がある」ということ、これが組織構造によって制約されうることは教えて欲しいと思っている。
こうして、教育のSQを高めていくのだ。
③国民国家問題
世界はスタートアップ中心の世界観へと変わった。この時大事になるのは、国家ではなく、スタートアップエコノミーである。ある国全体が盛り上がるのではなく、ある地域がスタートアップエコノミーとなって盛り上がる。
このスタートアップエコノミーを日本は作れていない。このスタートアップエコノミーを日本に作る方法を示したのが本書だ。
もしも、スタートアップエコノミーを作れれば小国は急成長を遂げることができる。アイルランド、ルクセンブルク、シンガポール、台湾、香港、マカオ、イスラエルがその例だ。
スタートアップエコノミーは、今後ヨーロッパ各国の首都を中心に、トロント、オタワ、ハワイ、ウェリントン、ゴールドコースト、クアラルンプール、バンコク、ハノイ、ジャカルタ、ソウル、ケープタウン、カイロ、リオ、カタール、廈門、釜山などで作られていく。
空港が充実、海に接している(近い)、政治が腐敗していない、規制が少ない、首都圏といったことが必要になる。
現時点でスタートアップエコノミーは、シリコンバレー、シアトル、ニューヨーク、ボストン、テキサス、ロンドン、パリ、ベルリン、ダブリン、ルクセンブルク、上海、北京、深圳、マカオ、香港、台北、ソウル、シンガポール、UAE、ニューデリーにあると言われている(抜けがなければ)。
日本がスタートアップエコノミーを形成するべきなのは、東京だけではない。
候補となるのは、各都道府県の県庁所在地とそのすぐ近くを除くと、旭川、帯広、千歳、函館、弘前、八戸、庄内、鶴岡、釜石、石巻、日立、筑波、木更津、鎌倉、八王子、長岡、上越、松本、高岡、小松、厚賀、富士、浜松、豊橋、四日市、長浜、堺、加古川、明石、舞鶴、倉敷、福山、尾道、呉、下関、松江、今治、鳴門、北九州、久留米、唐津、鹿島、佐世保、大牟田、うるま、名護の辺りになる
中でも、スタートアップエコノミーになりそうなのは、筑波、木更津、日立、浜松、豊橋、堺、加古川・明石、倉敷・福山、北九州・下関だ。
それ以外にも注目は、
帯広、函館、八戸、鶴岡、鎌倉、高岡、小松、厚賀、富士、四日市、唐津、名護である。
中でも本書ではエリアが特に重要だとしている。
エリアとして作られており注目できるのは、
札幌、八戸、秋田、仙台、新潟、日立、東京湾、藤沢、富山、静岡、浜松、伊勢湾、大阪、岡山、広島、北九州、有明、大分、鹿児島、那覇
周辺のエリアが挙げられる。
エリアごとでは、スタートアップエコノミーとして、東京湾、大阪、伊勢湾が最有力候補だが、ある特定の市だけでなくその周辺が重要になるようだ。
このため、本体と同じくらい小樽、三沢、石巻、いわき、大洗、木更津、横須賀、高岡、沼津、伊勢、明石、丸亀、今治、鹿島、霧島が重要になってくる。これらの市をスタートアップエコノミーにできるか?がこの国に掛かっているようだ。
日本の新興IT企業はエムスリー、楽天、サイバーエージェント、メルカリ、カカクコム、パーソル、freee、shift、ラクス、preferred networks、ペイディ、Dena、サイボウズなどが挙げられる。
これらは1997年1998年に出来た企業が多い。メルカリやペイディのような例はかなり稀である。IT企業としては20年はむしろ老舗の部類。そう考えると、まずはIT企業だけでもスタートアップエコノミーを作る必要がある。
ITエンジニアは多いけどSIerに吸われる日本
実は日本のITエンジニアは少なくはない(もちろんかなり不足しているが)。しかし、その多くがいわゆるSIerか、技術派遣などになってしまうため、真にイノベーションを起こすIT人材が少ないのだ。
slerは、常に少しずつ持続的イノベーションを起こしているだけ、非イノベーターより社会貢献度は高いかも知れない。しかし、意味のイノベーションや破壊的イノベーション、日本が得意とする恒常的イノベーションは苦手な職業になっている。職業柄、現場の改善に執着し、新たな価値を作るとこまでは深掘りできないケースが多いからだ。
恒常的イノベーションの力をなんとか活かせないか
中でも、日本は失われた30年の中でも恒常的イノベーションだけは加速することができた。むしろ、世界的にも驚くペースで成長した。問題はそれをマーケティングする側が弱かったことに尽きるだろう。
恒常的イノベーションとは、破壊的イノベーションをものともせずそれどころかそれを乗りこなすイノベーションである。
例えば、ポケモン、ワンピース、東方プロジェクトなどはIT革命の序盤に現れた代表的な作品だが、ネットの普及、スマホ・SNSの普及など破壊的イノベーションが進むたびに弱るどころか強化されていった。YouTube、ソシャゲ、Web3やメタバースの登場も追い風となり、コンテンツが強化されていった代表例と言えるだろう。
ここ30年で出来た恒常的イノベーションは、同人文化、コミケ文化、アニメ・漫画・小説・ゲームでの数々の表現(BL、百合、ラノベ、なろう系、日常系、新日常系)、メディアミクス、ゆっくり、ボーカロイド、MMD、Vtuber、アイドルグループ、新たな食品(食べるラー油など、創作系飯、創作系ラーメン、ご当地名物)、ご当地ゆるキャラ、聖地巡礼、新たな音楽表現、踊ってみた、MAD動画・替え歌などの面白系動画、数々の表現など数えてもきりがない。ジャンプや任天堂のキラーコンテンツもここ30年で作られたものが多い。
全員イノベーターになれた日本文化
というのも、こうしたITを使い倒して新たな表現をつくる分野に限って言えば全員がイノベーターであったからだ。他のクリエイターと差別化するというだけでイノベーターになることができた。適当な動画を上げるだけでイノベーターになれた。そして、ボーカロイド→MMD→Vtuberや、ライトノベル→なろう系といった順でイノベーションを連鎖させることに成功し、より多くの媒体を作り出すことに成功している。
ただ、こうした表現媒体の収益性があまりに低かったがために、日本経済を支えるほどの力は無かった。とはいえ、こうした分野についても文部科学省の手が及んでいないから成長したと本書では結論づけられている。
大和民族はどうやら、こうした恒常的イノベーションが特に得意なようだ。世界の方から見ると大和民族が絶滅してしまっては、こうしたイノベーションを生み出す力そのものが無くなってしまう。これを避けるには、少子化を止めなければならない、という話につながる。ひとまず、少なくとも日本は恒常的イノベーションにおいて驚異的な力を持っていると言えるだろう。
とはいえ、こうした媒体にはどうやって付加価値に変えるかという問題は常に山積している。日本は円安だからという理由ではなく、「好きで、得意で、貢献できて、価値がある」つまり、生きがいがあるのだから観光立国になる必要はある。今後、恒常的イノベーションがGDPに占める割合も世界的に増えていくことだろう。しかし、それでもそれだけで生計は立てられない。
といことで、やはりSlerがこうしたイノベーションの力を手にするのかは、日本にとって重大な課題となるようだ。
SIerをどう革命するのか?
SIerを使ってITを構築する仕組み自体が、社内SEでITを完結させるシステムの完全劣化などということはない。もはやSlerによるITシステムは日本特有のものだが、もう取り返しもつかないほど固定されてきている。
このSIerを全て社内SEに変えるには、それこそ日本をスタートアップ大国に変え、企業を総入れ替えする他ない。しかし、実際にスタートアップの力で企業を総入れ替えしたアメリカは、大きく成長したものの、激しい格差拡大に見舞われた。その結果、上位1%などいないに等しいのだから、ほとんどのアメリカ人は日本人よりも貧しいという状況が生まれてしまった。
こうならないためには、社内SEにシステムを完全移行するというよりは、Slerを活かす方法も考えなければならない。どちらかと言えば、社内SEを発展させることと、Sler企業を発展させることの両方の統合できた部分を進める必要がある。
そして、今後Web4.0で重要となる個人別採算方式の導入には、オービックやラクスのERPパッケージや、サイボウズのノーコード・ローコード技術などが活躍することとなるだろう。SHIFTのソフトウェアテストも役立つことになる。
しかし、あくまでSlerかと言われればこれらの会社は、ソフトウェア企業(SaaS系。Slerと呼ばれても収益はソフトウェアがメイン)である。世界の潮流がSaaS×社内SEで固まっている以上、日本はSlerでどう立ち向かうのかは考えなければならない。
最低でも、全部社内SEにとっかえひっかえすることや、社外Slerだけで済ますというやり方では追いつくことができない。だからこそ、Slerと社内SEの双方でWeb3.0を超え、Web4.0にキャッチアップしていく方法論が求められている。
Web4.0の主力は個人別採算方式と、CaaC(Cloud as a Cloud)、需要すれば供給になるシステム(マスカスタマイゼーション)だ。
ということは、システムを需要しシステムに独自性を組み込むのが社内SEで、統合された部品を作るのがSlerの仕事になる。
Slerはシステムインテグレーター。ということは、システムを統合するのが仕事だ。このため、あらゆるソフトウェアやシステムの統合された部分を発見し、Web4.0のマスカスタマイゼーションに必要な部品を作ることが、重要になる。また、CaaCでは、大クラウドそのものの使用価格は非常に安値となり、その中でどうやって個々のクラウドを作るかが重要となってくる(Cloud版ショッピファイだと思っていただければよい)。
そうして、3Dプリンター的にソフトウェア開発を行える環境を整えることで、ノーコード・ローコードの力が最大限に発揮され、ITを使う難易度が一気に下がる。
あとは、そのカスタマイズを社内SEが行う、という流れになるのだ。このことがどうやらSler業界で生き残っていくには、特に重要な価値観となるらしい。
先の未来を考え、自らの答えを作っていく大スタートアップ時代を生き抜く上で、本書はその指針を出してくれる書籍である。
この世界観では、中でも特に、確信に突き進む力(センスメイキング力)が物をいうようだ。
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