本能寺の変1582 見えてきたもの 7-2 危急存亡の秋 第1~12話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
見えてきたもの
7 光秀の決意 2 危急存亡の秋 第1~12話
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信長は、粛清の人。
信長は、不意を衝く。
信長は、恐ろしい男であった。
光秀は、出来る男。
光秀は、洞察力に優れていた。
光秀は、信長の心の内をよく知っていた。
【参照】見えてきたもの 2 人物像 1 信長の人物像
【参照】見えてきたもの 6 光秀の苦悩 8 粛清の怖れ
光秀は、信長と同じ穴の狢。
それ故、よくわかるのである。
光秀は、信長の粛清を怖れていた。
これすなわち、明智存亡の危機。
打つ手を一手違えれば、明智は滅ぶ。
ならば、それは、いつ、・・・・・。
光秀は、己に問うた。
そして、己に答える。
「明智が用済みとなった時」
光秀が、その役目を果たし終えた時。
佐久間信盛を見よ!
光秀の脳裏に、あの時の情景が甦る。
光秀は、その一部始終を見ていた。
信盛は、石山本願寺が退城した直後に粛清された。
【参照】重要 ◎第11話 信長の人物像 粛清の人 恐ろしい男
すなわち、「天下布武が成った後」。
なれど、それは、今すぐにあらず。
もう少し、先のこと。
「五年後」、「否、六~七年後」。
甲斐へ出陣する前まで、光秀は、そう、思っていた。
それ故、光秀には、余裕があった。
その頃は、まだ、切迫感が薄かったのである。
だが、しかし、状況が一変する。
瞬く間に、武田が滅亡。
信長にとっては、嬉しい誤算。
だが、光秀にとっては、由々しき事態。
明智の将来展望に大きな狂いが生じた。
これについては、後述する。
光秀は、「隙」を見せない男。
光秀は、猜疑心が強く、用心深い男。
=「隙」を見せない男、なのである。
しかし、理由など、どうにでもなる。
佐久間信盛は、「隙」の多い男。
信長は、それらを一つ一つ事細かく覚えていた。
そして、十九条にも及ぶ折檻状を突き付けた。
【参照】重要 ◎第11話 信長の人物像 粛清の人 恐ろしい男
中国出陣の意味するもの。
これについては、後述する。
信盛は、大坂で粛清された。
【参照】重要 ◎第11話 信長の人物像 粛清の人 恐ろしい男
光秀は、信長の不意討ちを警戒していた。
ならば、如何にして、これを防ぐべきか。
難題である。
だが、光秀は、・・・・・。
信長は、信盛の不意を衝いた。
これが、信長の常套手段。
最も、有効かつ確実な方法であった。
【参照】重要 ◎第11話 信長の人物像 粛清の人 恐ろしい男
⇒ 次へつづく
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