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本能寺の変1582 見えてきたもの 漸く、夜も明け方に罷りなり侯 第1~12話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

漸く、夜も明け方に罷りなり侯 第1~12話 

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重要 ◎目次 
→重要 ◎目次小 抜粋区分 第1~20話 第21~40話 第41~ 話 

光秀は、沓掛に到着した。

 分岐点である。
 ここで、道が二つに分れた。
 右、中国毛利へ。
 左、京。

  六月朔日、夜に入り、老の山へ上り、
  右へ行く道は、山崎・天神馬場、摂津国皆道(街道)なり。
  左へ下れば、京へ出る道なり。

そして、桂川へ。

 光秀は、躊躇せず。
 「左」の道をとった。
 明智軍は、前進する。
 
  爰(ここ)を左へ下り、

漸く、夜も明け方に罷りなり侯。

 光秀は、川を越えた。
 目指すは、「本能寺」。
 「信長の首」。
 
  桂川打ち越し、
  漸(ようや)く、夜も明け方に罷りなり侯。

                          (『信長公記』)

  【参照】◎第1話 第1話
      ◎第2話 第2話
      ◎第3話 第3話
      ◎第4話 第4話

光秀は、実に、用意周到だった。

世間の誰もがこのことに気づかなかった。




 ⇒ 次へつづく


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 「本能寺の変」
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