本能寺の変1582 見えてきたもの 漸く、夜も明け方に罷りなり侯 第1~12話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
漸く、夜も明け方に罷りなり侯 第1~12話
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光秀は、沓掛に到着した。
分岐点である。
ここで、道が二つに分れた。
右、中国毛利へ。
左、京。
六月朔日、夜に入り、老の山へ上り、
右へ行く道は、山崎・天神馬場、摂津国皆道(街道)なり。
左へ下れば、京へ出る道なり。
そして、桂川へ。
光秀は、躊躇せず。
「左」の道をとった。
明智軍は、前進する。
爰(ここ)を左へ下り、
漸く、夜も明け方に罷りなり侯。
光秀は、川を越えた。
目指すは、「本能寺」。
「信長の首」。
桂川打ち越し、
漸(ようや)く、夜も明け方に罷りなり侯。
(『信長公記』)
【参照】◎第1話 第1話
◎第2話 第2話
◎第3話 第3話
◎第4話 第4話
光秀は、実に、用意周到だった。
世間の誰もがこのことに気づかなかった。
⇒ 次へつづく
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