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本能寺の変1582 目次小 16光秀の雌伏時代 2美濃と越前 第155~158話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 16光秀の雌伏時代 2美濃と越前 第155~158話 

はじめに ←目次 
←前回 目次小 16光秀の雌伏時代 1光秀と越前 第151~154話 
重要 ◎目次 

 第155話
 
◎「美濃の争乱」に見る土岐氏と朝倉氏の関係。
 ◎明智氏は、この争乱に巻き込まれた。
 ◎土岐頼武は、朝倉孝景の妹を妻に迎えた。
 ◎光秀と越前の関係は、ここに原点があった。
 ◎土岐頼純の誕生。
 ◎同じ頃、光秀、誕生。
 ◎光秀は、長じて後、この頼純の家臣となる。

 
第156話
 
◎美濃は、斎藤道三の時代。
 ◎光秀の少年期~思春期の頃。
 ◎道三は、下剋上の道を突っ走った。
 ◎天文三年1534、織田信長が生まれた。
 ◎光秀は、信長より十±四歳ぐらい年上である。
 ◎この年齢差が、本能寺の変の一因になった。
 ◎土岐頼純の反撃が始まった。
 ◎光秀は、まだ、頼純に仕えていない。

 
第157話
  
土岐頼純が越前から美濃大桑城に入った。
 ◎天文十二年1543、鉄炮伝来。
 ◎光秀は、土岐頼純の家臣だった。
 ◎光秀にとって、越前は、馴染み深い国だった。

 
第158話
 
◎最初は、頼純が優勢だった。
 ◎道三が頼純を篭絡した。
 ◎天文十六年1547、頼純は、道三に殺された。
 ◎光秀は、これを見ていた。
 ◎光秀は、この様な時代を生きた。
 ◎光秀は、牢人になった。
 ◎斯くして、道三は、美濃を我がものとする。



 ⇒ 次へつづく 16光秀の雌伏時代 3信長と越前 第159~177話 


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本能寺の変

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