本能寺の変1582 目次小 16光秀の雌伏時代 1光秀と越前 第151~154話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
目次小 16光秀の雌伏時代 1光秀と越前 第151~154話
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重要 ◎目次
第151話
永禄元年1558~永禄七年1564
光秀、三十五±四歳~四十一±四歳の頃。
光秀は、越前に居住していた。
その根拠は、四つ有る。
光秀の雌伏時代である。
◎明智の再興。
◎この一事が光秀の原動力になった。
◎光秀は、忍耐強く、執念深い。
第152話
◎光秀は、知識欲が旺盛だった。 『日本史』
◎光秀は、権謀術数に長けていた。 『日本史』
◎光秀は、兵法を究めた人物である。 『日本史』
◎光秀は、典型的な戦国武将だった。 『日本史』
光秀は、美濃へ目を遣った。
次ぎに、尾張へ。
そして、京へ。
第153話
◎光秀は、没落した。
◎光秀は、貧しかった。
「立入左京亮入道隆佐記」「遊行上人三十一祖京畿御修行記」
◎三人の娘たちは、この時期に生まれた。
◎光秀には、守らねばならぬ者たちがいた。
◎光秀は、逞しい男だった。
第154話
◎嫡男十五郎光慶は、元亀元年1570の生れ。
◎光慶は、生まれて来るのが遅すぎた。
◎明智の将来は、暗い。
◎細川忠興は、永禄六年1563の生れ。
◎細川家の将来は、明るい。 『信長公記』
⇒ 次へつづく 16光秀の雌伏時代 2美濃と越前 第155~158話
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