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本能寺の変1582 第151話 16光秀の雌伏時代 1光秀と越前 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第151話 16光秀の雌伏時代 1光秀と越前 

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重要 ◎目次

永禄元年1558~永禄七年1564

 美濃は、斎藤道三死して、義龍・龍興の代。
 尾張は、織田信秀の没後、信長が台頭する時期。

光秀、三十五±四歳~四十一±四歳の頃。

 光秀は、大永四年1524±四年ぐらいの生れと思う。
 とすれば、この様な年齢*になる。 

 *【参照】目次小 11光秀の年齢 5結論  小
    第77話
     
「当代記」には、六十七歳とある。「当代記」
     結論として。
     下限は、五十五歳ぐらい。
     上限は、六十三歳ぐらい。
    ☆光秀の年齢は、五十九±四歳ぐらい。

光秀は、越前に居住していた。

 そのように、思う。

その根拠は、四つ有る。

 1 「美濃の争乱」に見る土岐氏と朝倉氏の関係。
 2 光秀が信長の越前侵攻作戦に深く関わっていたこと。
 3 「服部七兵衛宛光秀書状」天正元年1573八月二十二日付。
 4 「遊行上人三十一祖京畿御修行記」天正八年1580正月二十四
    日条。

 これらについては、後述する。

これが光秀の雌伏時代である。

 「遊行上人三十一祖京畿御修行記」には、「十ヶ年居住」とある。
 
 光秀には、十分な時間があった。
 光秀は、兵法に通じていた。
 ならば、兵法書等に目を通すこともできたと思う。
 また、己の人生を振り返ることもあっただろう。
 「このままで、終わって堪るか」
 そう、思っていたのかもしれない。

◎明智の再興。

 光秀は、歴とした戦国武将*1。
 正に、男盛り。
 その前半ぐらいの年頃であろう。
 まだ、若い。
 体中のエネルギーが煮え滾(たぎ)っていた。
 諦めるを良しとせず。
 「我が家の復興」
 何としても成し遂げる。
 「悲願」
 その思いを胸に秘めて。 

◎この一事が光秀の原動力になった。

 天文十六年1547。
 光秀は、主君土岐頼純を亡くした*2。
 これによって、美濃における全てを失った。
 「土岐の随分衆」から、「牢人」へ。
 明智氏は、没落した。

 だからこそ、その様な思いに至ったのではないか。

 そして、その情熱は、冷めず。
 以来、天正十年1582まで、実に、三十五年もの長きに亘って、光秀の
 心を支えつづけた。
 すなわち、精神構造の根底にあった。
 それが、光秀の行動力の源泉=原動力になっていたものと思う。 

 そう、考えるが、如何だろうか。

◎光秀は、忍耐強く、執念深い。

 光秀は、忍耐強く、かつ、執念深い。
 言い換えれば、粘り強い。
 この点については、信長と同じである。
 光秀は、信念の人。
 一途な男なのである。

 信長と出会ってから後。
 すなわち、永禄十一年1568以降。
 光秀は、その一事に、全力を投入する。
 正に、水を得た魚。
 ここで、光秀は、頭角を現す。
 目覚ましい活躍、勲功、大出世。
 そして、やがて、見事、大願成就。
 これらが、そのことを証明している。 

 *1【参照】目次小 9光秀という男 1フロイスの証言  小 
    第51話
     
光秀は、坂本にいた。
     坂本城は、明智の誇りであった。『日本史』
    ☆これが光秀の実像である。
     光秀は、織田家の新参者だった。『日本史』
    ☆光秀は、典型的な戦国武将だった。『日本史』
    ☆光秀は、信長と同じタイプの人物だった。
     光秀は、築城に秀でていた。『日本史』
     光秀は、信長に従順だった。『日本史』
     光秀は、信長の気性をよく知っていた。『日本史』 

    第52話
    
☆光秀は、兵法に精通していた。『日本史』
    ☆光秀は、信長の天下布武に大きく貢献した。『日本史』
    ☆信長は、光秀に志賀一郡・丹波一国を与えた。『日本史』
    ☆光秀は、度々、主を変えている。
    ☆光秀は、主替えによって立身出世した。
    ☆光秀は、忠義心が希薄だった。
    ☆光秀は、下剋上の人だった。
    ☆光秀は、立身出世のために主君を利用した。

 *2【参照】目次小 11光秀の年齢 3土岐の随分衆 
    第72話
    
☆光秀の明智氏は、土岐頼武の家臣だった。
    ☆光秀は、土岐頼純の家臣。
     斎藤道三による下剋上が始まった。
    ☆頼純は、道三に殺害された。「春日文書」
    ☆光秀は、主君を失った。
    ☆光秀は、越前へ逃げた。「遊行上人三十一祖京畿御修行記」
    ☆光秀は、まだ、独身だった。
     道三の下剋上、成る。『信長公記』  

  【参照】16光秀の雌伏時代 5遊行上人
    第203話
     
光秀は、頼純の家臣だった。
     頼純は、斎藤道三に殺害された。
     光秀は、主君を失った。

  【参照】16光秀の雌伏時代 1光秀と越前
    第153話
     光秀は、貧しかった。
      「立入左京亮入道隆佐記」「遊行上人三十一祖京畿御修行記」



 ⇒ 次へつづく 第152話 16光秀の雌伏時代 1光秀と越前 
 

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