自己中って、言葉通りの意味なら感覚として自分を中心にすえるという意味なのかもしれない。

私は今、どんな感覚でいるのかな。
を、常に追っかけていたい気分のここのところ。

そしていかに心地よくないものを選ばないかを大切にしたいのです。

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自分の感覚にフォーカスしていると、あまり他人様のこと考える時間が少なくなっていて、良い感じに自己を中心に腰をすえられて落ち着いた感覚が増えています。
自己中心的と言っても自分勝手にはなってなくて、自分が居心地良くいるために他者へ配慮することもできてるし、バランスの良い自己中感。

と、ここまで自己中心的について考えてみてふと思い立ってしまったけど、
自分の感覚で世界を見聞きしてるんだから、自己中心って当たり前のことではないのだろうか。

今の技術だと自分の目や耳などの感覚で世界を捉えるしかなくて、どうやっても他者の感覚は自分の経験から推測・想像するしかなくて、その想像も結局は自分の見聞きしてきた自分の経験で作られたモノサシで測るというのに、どうしたら自己中心にならずに居られるというんだろう。

ということは。
自己中と言われる時に使われている意味は言葉通りの自己を中心という意味よりも、自分勝手という意味の方が強いのかな。

ふむ、それだとしたら納得できるかな。
そしたら私は自分勝手ではない自己中心的な生き方を追求していきたいな。

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自分を中心にしっかり腰を据えて生きられないのであれば、私は誰の人生を生きるというのだろ?

別に自分の人生を生きなくても構わないとも思うけど、せっかく生まれてきたし、その生まれた人生は百パー楽しいいことだけではないんだから、自分のために生きないのはもったいない気がするの。

楽しいが人生を占める率をいかに上げられるか、そのパーセンテージをどこまで上げられるかのゲームだと人生を思うと、私のびしろしかないじゃーん!って、ちょっとワクワクしてきた朝です。

生きづらさ応援の活動をしています。