幸せになりたい気持ちはあるけど、自分が幸せに値すると思えない。
今までのクセでつい自分の幸せを拒否しちゃう。
でも本当に幸せを拒否したいのかと掘り下げてみると、幸せになりたい気持ちはあるにはあるけど、自分が幸せに値すると思えないから、拒否しちゃうことに気付いたんだ。
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それならどんな人なら幸せになるに値するのかな?
人間それなりに良いとこダメなとこ両面ある生き物で、大切な人はじめ知り合いの人もみんな、善悪両面な人間性を丸っとひっくるめて幸せになってほしいとは思えるのに、何故自分だけ特別扱い的に幸せに値すると思えないんだろう?
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あ、もしかしたら、私は自分を別格に特別視したいのかもしれない。
人は幸せになって良いけど自分は別格だから、皆と違って特別で、幸せには値しないと思ってるのかもしれない。
でも、私ってそんなに別格視するほど特別な存在なの?
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そこを掘り下げてみると、どうやらこの感覚の根底には“特別な人間でありたい”という願望があるみたい。
特別な私は平均的な幸せを享受する皆と違って、不幸せでいることの方が自分を別格視できるし特別感味わえるから、幸せになることは都合悪いと考えてることに気付いてしまって。
いやいやいやいや、私そんな特別でもないでしょ。
ありがたいことに周りのサポートもあって引きこもりからちょっとだけ上手く抜けられて、心理学の勉強がハマってメンタルの領域の説明が多少上手い程度だよ。
これはへりくだる訳ではなく、同じような人なんて特別でもないくらい普通に居るだろうし、私そんな別格でもないかと思い至ってしまいました。
それでもそんな凡人の私、がんばり屋なところもあるし、一生懸命に向き合えるし、嫌いじゃない。
別に特別じゃなくても、居ていいじゃん?
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そう思えたら何だか心が軽くなって、幸せになることへの抵抗感や罪悪感が緩んで、素直に幸せを受け取れそうな感じがしました。
今までのクセで自分の幸せを拒否しちゃうモードについ何度でも入るだろうけど、その度に今の軽くなった感覚を思い出して、私は幸せになって良いと、何度でも許可したいと思ったのでした。
生きづらさ応援の活動をしています。