自分が素晴らしくてもいいじゃない?え、だめ?

誰がなにを言ってきたとしても、どう扱われようと、自分を素晴らしい存在だと思いたい気持ちを根底にみんな持っているんだと思うの。

だから大切にされてないと感じるようなことや、尊重してもらえない様々なことが起こると、本来自分が思ってる状態と違う!って嫌な気持ちになるんじゃないかな。

だからまずはシンプルに、私は自分のことを素晴らしい存在だと思ってあげたい気持ちに屈服してみる所からはじめるのはどうでしょうか。

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最近屈服がブームのようです。

屈服って乱暴なことでもあるという自覚は書きながらもあって、それでも屈服って大事だなと思うのです。

メンタル的な変化をしていく中の次のステージに上がるためには、今居るステージをやりきらなきゃ階段が降りてこないと経験から思うからです。

苦しんで苦しみまくって、もうこれ以上無理ってところまでやりきると、力みが抜けて屈服しざるを得なくなるというか、どうでも良くなるというか、受け入れられる瞬間を何度も経験したのです。

本当はそんなに苦しまないで次のステージに行って回復できたら一番良いし、たまにはそういう人も居るのかもしれないけど、周りのメンタル回復した人からも話を聞くに、やりきって屈服してた先の回復は多いんだよね。

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スーパーマリオとかのゲームの面をクリアしなきゃ次に行けないのと似た感覚。

今の面がつらい・気に食わないからと、中途半端に逃げたり向き合わなかったりしてると、ずっと次の面に行く階段が出てこないと思うんだけど、どうかな。

つまり、今のしんどい自分ごとそのまま受け入れると腹をくくったら、まずその面が進むようになって、面の最後に居るボス(自分の一面)を攻略できて、そしたらステージアップの階段がピカピカと降りてくるの。

(ゲームやらないから分からないけど、今でも面の概念は通用しますか)

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私もいきなりメンタル回復してきた訳じゃなくて、色々失敗して挫けてきたから思うのは、今もがいているその苦しみも、尊いなと思ったりするのです。

だからやっぱり私たちは素晴らしいのだと、屈服しちゃえたら良いなと思うのですよ。

生きづらさ応援の活動をしています。