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“今ここ”に生きるって結局どういうことなの?

過去を思い出して悲しい気持ちに引き戻されたり、まだ起こらない先のことを危惧して不安になったり。
“今ここ”が大切だとは聞くけど、具体的にじゃあどうすればいいの?ってずっと悩んでた。

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月初からやってた大断捨離が九割方終わりました。
我ながら別人の部屋みたい。
メンヘラ引きこもり時代からの淀みや澱を、ごっそりさらえたので精神的にも相当スッキリしました。

片付け整理をしながらも耳は暇なので、kindle bookを音声読み上げて耳で読みながらやってたのだけど、読んでた本の中に響いてくる内容があって、ふと手が止まってしまいました。

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どんな状況にいても今この瞬間をいい気分で過ごすことを心がける。

とその本に書いてあるのを読んでふと、根源的な疑問が浮かんでしまいました。

生きてたらいい気分になったり悲しい気分になったり色んな気分が起こるけど、その心の反応はなぜ起こるんだろう?

認知療法以前のとても根元的なところで、認知が歪んでようが歪んでなかろうが、何か起きた出来事に対して悲しくなったり心地よくなったりする、心が反射的に反応して起こるレスポンスを生みだすシステムは、いつどこからインストールされたものなんだろう?

と、疑問を思ってしまったのです。

(うーん、ちょっと言ってることわかりにくいかも)

例えば。
大切な人と会えない(離別や死別)ことに対して、悲しいという感情が湧き起こること。
心臓がギュッとするようなあの感覚に、私たちは悲しいとかつらいという名前を付けてるんだと思うんだけど、これは何なんだろうね。

逆に可愛い犬や猫など動物の子供を見て心がほっこりするようなあの幸せな感覚。

ないがしろにされたと感じる時に、胸の辺りがモヤモヤするようなあの嫌な感覚。

これらは誰かに教わったわけではなく、植え付けられたものではないよね。
認知の歪みの元になる思考パターンは教わって得るときや学んで獲得しちゃうものもあるけど、沸き起こる感情は外部から植え付けられたものではなく、自分の中からのものだと思うから。

どこからだかわからないけれども、私たちはそれぞれが心の反応システムをすでにインストールして生まれてきていて(それがバグってる人がサイコパスって言われたりするのかな)、そのシステムがどこから来たかは分からないにせよ、きっと何らかの意味があって心地よい感情や不快な気分があるんじゃないかなぁと思ったのです。

それなら。
“今ここ”で沸き起こる感情は、なにかしらの警告やメッセージが含まれたものもあるんじゃない?

心地よい感情が沸き起こった時は、きっともっとやれサイン。
不快な気分になったり、違和感を感じた時は、ちょっと待ってちょっと待って、そうじゃない方がよくない?ってサイン。
それらを何がしかが教えてくれてるのが感情なのかもしれないと、ちょっとスピリチュアル的な内容になっちゃうけれど思ったのです。

そうするとつまり“今ここ”に生きるということは、瞬間瞬間その時の自分に沸き起こる感情にしっかり向き合い続けることなんじゃないかなぁと、自分の中で結論付けてみました。

* *

あなたが今いる場所を例え気に入らないとしても、私はあなたがある場所を良いと思うんだ。

その場所は今は心地よくないかもしれないけど、その心地よくない場所から心地よい場所まで行く途中経過、目的地までの旅はとても楽しいことだと知っているから。

心地よくなるのを邪魔するような考え方は手放せたら良いよね。

本当の自分の中心で脈動するエネルギーが、本来のものとしてシンプルに活用できたらいいね。

今居るここは多少しんどいかもしれないけど、肩の力を抜いて、本当の自分を再発見する気楽な旅をみんなで楽しみたいなと考えています。

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