理解されたい願望、理解されない決めつけ。
「私は正しく理解されない」
それが今日久々に新しく見つけた、私の思い込みのマイルール。
きっと、今までADHDでたくさん失敗をしたその度に、“違うそうじゃないんだ”って思ってきたみたい。
私の頭の中には、目の前の現実がこうなっていくだろうと思える流れのイメージがあって、その向かいたい方向に行きやすくなるような言動をしているつもりなのに、自分の見立てが甘かったり勘違いが多くてそうならないことが多かったの。
自分の見立て通りにならないことだけでも残念な感覚で結構なストレスなのに、場や相手が想定したものと私が考えた流れも一致してなくて、怒られることもしばしば。
そうすると、いや違うんだよ私が辿りたかった流れはそうじゃないんだ!と悲しい思いがあふれて、その分自信も削れてきてたのでした。
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でももういい加減に、この思い込みも手放してみたいなと思ったよ。
私自身が“世界から理解されない”と決めつけてしまったら、実際にそうなる出来事ばかり呼んでしまうし、そういう色眼鏡で見てしまって、普通のことでも歪んだ認識で見ててしまうから、理解されないと感じる出来事がますます増えるばかりになるはずだよね。
でも、そんなの嫌だ。
私は理解されたいし、この世界やこの世界で触れ合う人を理解したい。
そう強く思えたので、自分で作ってしまった思い込みを手放してみようとも思ったのです。
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きっと何度でも元の“理解されない”という境地に立ち返ってしまうと思うんだ。
そして立ち返るたびに、その思い込みが正しいと思える根拠になるような出来事を拾ってしまうのでしょう。
でももう理解されないと感じる経験はご遠慮申し上げたい。
それなら私自身がその思い込み自体を手放すと決めるしかないんだよね。
そして何度でも思い直すの。
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理解されたいと願わなくなるぐらい自然に理解されちゃう日まで、私はウズウズしながら、楽しいことしたりして待ってみることにします。
生きづらさ応援の活動をしています。