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母の麦茶は冷たくて温かい。

今朝、ペットボトルの麦茶が目に入った。
これは、そこでふと僕の頭に過った話である。

最近というわけではないのだが、
これは僕が中学生ぐらいの時だったと思う。

様々な場所で母の老化を感じるのだが、この麦茶の話はなんか胸があったかくなり感慨深いし、ちょっぴり寂しい。

皆さんの家の麦茶はどんな感じだろうか。

僕の家では、もともとパックを水に浸して1から作るタイプの麦茶だった。
半透明の冷えた入れ物の形は、今でも鮮明に体が覚えている。母の淹れてくれた麦茶は、なんだかこってりしていて、とても美味しかった覚えがある。

麦茶はその家ならではの味が出ると、小学生の僕は感じていた。色んな家に行っては、その家の麦茶を飲み、おお、こういう味なのかと、勝手に評価していた。本当にそれぞれの家庭で違うのだ。びっくりするぐらい。僕はその、まるで絵のような麦茶を、感じながら小学生時代を過ごしていたのを覚えている。

我が家の麦茶に対する思い出は、毎日のように積み重なっている。暇さえあれば麦茶が出てきて、喉を潤しているし、家の外に出ても買うのは麦茶だ。とにかく僕は麦茶が大好き。というかもう生活の一部になってしまっている。飲み物として、冷たいのに何故か心があったまる感慨深いものは、他にないと思う。

そんな麦茶の我が家の歴史が変わったのは、中学生の時だった。突然、2Lのペットボトルの麦茶を母が買ってきて、冷蔵庫に入れるのを見た。そのときの僕は、ああこれからペットボトルになるんだと、ちょっぴり残念がったのを覚えている。今思うとそれは、母が歳を取った証拠であったのかもしれない。

今までは麦茶を日々の家事の中で作れていたのに、次第に体力がなくなってきて、麦茶を買って済ませるようになった。こう思うと、麦茶が示す、母親の成長を感じて、ちょっぴり寂しくなってしまった。

日々、生活が簡略化されていくのは良いことだが、その分、簡略化される前の想いの部分は削れていく。これはなんとも寂しいことだと思う。手作りというものは、愛という感情がいつでもこもっており、なんだかあったかいものだ。今思うと、母が作ってくれた麦茶は、冷たかったけど、温かかった。

母の手料理を食べられるのも、あと少しかもしれない。今僕は大学四年生だ。結婚すれば奥さんの手料理を食べるし、社会人になれば日々の業務に忙殺され、外食を余儀なくされるだろう。今現在の日々の中で、母の手料理を食べられていることは、当たり前のことではないと思うと、感謝の心が溢れ出す。

家の中での様々な変化が、母の老化を表していると思うと、その変化に気づきたくなくなる。

母が遠くに行ってしまうような気がして寂しさを感じた、ペットボトルの麦茶に気付いて、
今日も僕は、それを一気飲みする。

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