マガジンのカバー画像

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−

56
コロナ禍のさなか、アルベール・カミュの長編小説『ペスト』は世界各地で広く人々に読まれた。第二次世界大戦とレジスタンスのメタファー、不条理・反抗・連帯。さまざまなキーワードがこの作… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈1〉

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈1〉

 二十世紀フランスを代表する作家アルベール・カミュは、あたかも「戦後文学・思想」のアイコンであるかのように一般読者には思われがちである。殊に一九四五年の敗戦以後、「欧米の先進的文化」が雪崩のごとく流入してきた日本においては、おそらくそれが顕著なことだろう。一九五一年に邦訳された、カミュの出世作でもある小説『異邦人』の主人公ムルソーは、その虚無的で享楽的な振る舞いから「アプレゲール」の象徴であるかに

もっとみる
病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈2〉

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈2〉

 カミュの『ペスト』は、よくデフォーの同名作品と対比される。しかし、デフォーのそれはまさに「ペストそのもの」について語っているのに対し、カミュの作品はやはり、あくまでもモチーフなりメタファーとしてのペストなのだ。
 カミュ自身は、この作品冒頭のエピグラムからも察せられるように、デフォーの作品からで言えばむしろ『ロビンソン・クルーソー』の方に、大きなインスピレーションを得ているのだと見られる。
「…

もっとみる
病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈3〉

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈3〉

 中条省平は、カミュの小説『ペスト』を第二次世界大戦下での対独レジスタンス活動のメタファーであるとするような一般的な読み方に対して、「倒錯的だ」というように批判する。
 しかし、私はむしろここではもう少し、世に広くかつ根深く浸透していそうな、もっと「一般的な倒錯」について考えてみたい。それは、戦争や社会的な抑圧を、病禍や自然災害などに喩えて語ること、あるいはその逆の表現のしかたもまたもちろんあるわ

もっとみる
病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈4〉

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈4〉

 カミュの小説はまた、「不条理文学」の代名詞ともなっているのは周知のことである。彼の作品を語るのに「不条理」というワードが欠かせないのは確かなことなのだが、しかし一方で、とりあえずそのワードを入れておけば、カミュについて何か語っている気分にさせるというような、ちょっと困った言葉でもあるようだ。
「…世界というのはまぎれもなく不条理なもので、戦争もあり、天災もあり、ペストのような疫病もあり、決定的な

もっとみる
病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈5〉

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈5〉

 中条省平は、『異邦人』の主人公ムルソーが「世界が不条理なら、人間も不条理であってかまわないのではないか」と考え、自らその不条理を実践したのだというように言う。
 だがムルソーははたして、そのように自ら不条理を「意図した」のであっただろうか。むしろ彼自身としては、その行動において「何も意図してはいなかった」のではないだろうか。行為の前提に何の意図も思惑も持っていなかったからこそ、あのような不条理な

もっとみる
病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈6〉

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈6〉

 たとえ自分の思いもよらないようなことが起こったからといって、それがすなわち不条理であるわけではない。『ペスト』の中でも語られているように、人はなぜそのような出来事が起こったのかということについては、たいがいにして無知なものなのであり、その無知の対象となる出来事は、まさしく無知であるがゆえに、人にとってはまるで不可解なものであるように思えてくる。そしてその不可解なものを、無知であるままに理解しよう

もっとみる
病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈7〉

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈7〉

 病と悪と罪。人の苦を象徴するこの三つの現象は、たしかにしばしば混同されやすいものではある。なぜと思うにそれは、人の心は苦そのものに対しては、いかんせん盲目になりやすいからなのかもしれない。

 カミュは創作ノートの中で、自らの「病気」観を次のように記している。
「…病気とは、その掟や苦行の精神や沈黙や霊感を備えた一つの僧院なのだ。…」(※1)
「…理想は、病から力を奪うことであり、それによって弱

もっとみる
病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈8〉

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈8〉

 『ペスト』作中で登場人物たちが結成した保健隊の、その無私無欲で何ら見返りを求めない献身ぶりと、病疫の脅威に怯むことなくそれに立ち向かおうとする勇敢さというものは、その振る舞いを正義の戦いとして見立てるのには絶好の要素であると言えよう。この小説を読む者はそれを、まさに現代のさまざまな災害現場などにおける、各種派遣部隊やボランティア、医療従事者といった人々による「戦い」ぶりに重ね合わせて見ることだろ

もっとみる
病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈9〉

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈9〉

 カミュの創作ノートによれば、彼が『ペスト』という作品を構想する中で、主人公のリウーやそれに準ずる主要人物であるタルーなどといった中心的なキャラクターが生み出されるようになるのは、それを練り始めるようになってから割合後の方になってからのようだ。
 まず最初に浮かび上がってくるのは小役人グランの妻ジャーヌのモチーフであり、さらに続いてパヌルー神父や新聞記者ランベールなどについての素描が、そのノートに

もっとみる
病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈10〉

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈10〉

 『ペスト』の物語を読み進めていくと、印象としてリウーという人物はどうやら、たとえば「理想」などというものを、自ら強いていっさい持たない主義の人であるというのは、確かなところとして理解することができる。そればかりでなく、彼にはどうもこれといった願望や欲望というのもまた、その言動からは見受けられないようにも思えてくる。あるいはもしかするとリウーという人は、そもそも「観念そのもの」も持ち合わせていない

もっとみる
病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈11〉

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈11〉

 カミュの作品について語られるとき、『異邦人』における個人的不条理から『ペスト』に描かれる集団的不条理への展開、という論点において取り上げられることは多いし、カミュ自身もまたそれは、自覚的に意図しているところでもある。
「…『ペスト』は、同じ不条理に直面した個々の観点の深奥の等価性を描いている。…」(※1)
 ところで、『異邦人』のごく初期段階でのメモとして、カミュはこんなモチーフを書き残している

もっとみる
病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈12〉

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈12〉

 「個人的不条理から集団的不条理への展開」という論点に戻ろう。カミュの長編評論『反抗的人間』から、彼の思想を象徴する一文を取り上げてみる。
「…不条理の体験では、苦悩は個人的なものである。反抗的行動がはじまると、それは集団的であるという意識を持ち、それが万人の冒険となる。だから、自分が異邦人であるという意識にとらえられた精神の最初の進歩は、この意識を万人とわけ合っているのだということをみとめ、人間

もっとみる
病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈13〉

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈13〉

 『ペスト』本編を主として構成するものとなっている、リウーの手になるその手記によれば、オランの町を襲ったペストの病禍は、だいたい以下のようなあらましとして要約される。

 四月の半ば、医師ベルナール・リウーが自宅アパート玄関前で瀕死の鼠を発見して以来、アルジェリアの植民商業都市オランにおいてその発生が認識されるところとなったペストは、五月に入る頃になると、もはや誰の目にも明らかなほどに猛威を振るい

もっとみる
病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈14〉

病と戦のあいだには−−カミュ『ペスト』論考−−〈14〉

 カミュは『ペスト』の創作ノートに幾度となく、「別れ別れになった人びと」という言葉を書きつけている。別離と断絶。もしこの作品に戦争のメタファーが反映されているとすれば、それはカミュが戦時下において実際に目にした、巷の人々のそのような姿なのであろう。そこになおさらの意味合いを考えるならば、当時フランスのおかれた悲劇は、その国内において人々がナチス協力派とレジスタンスという形に分かれ、まさに現実的で苛

もっとみる