#気動車
ACT.92『特急街道から出て〜最後の函館本線〜』
空席だらけの列車
乗車して、少し驚いてしまった。
観光列車、キハ261系5000番台…ラベンダー編成。この編成は夏季ラベンダーシーズンには車両運用を調整し、函館本線と富良野線を直通運転する臨時特急であるフラノラベンダーエクスプレスに充当されている。
ラベンダーシーズンともあり、乗車している乗客は多いのかとフリースペースに入ったが、予想以上の空席で拍子抜けしてしまった。観光特急としての知名度
ACT.91『2つの観光列車』
滝川到着
旭川から速攻で移動し、そのまま函館本線は滝川に到着した。
この駅では、北海道を周遊中の観光列車・『ロイヤルエクスプレス』が方向転換の為に『機回し』をする駅なのである。
旭川から特急/ライラックですぐに向かったが、まだ列車は停車しているようであった。
珍しい列車の入線とあってか、滝川駅では駅員による撮影への注意喚起放送を流すなど少し賑やかな雰囲気になっていた。
早速、その観光列
ACT.86『飛ばせる線路』
石勝線、再び
追分駅に戻ってきた。列車を待機する。
南千歳方面に向かって札幌方面に戻るのがこの旅の現状の締めくくりに相応しい…状況であるが、時刻表を確認してみると新夕張方面に1本の列車が見えた。
「少し乗車して、1駅か2駅先で下車すっか」
そうした思いで、駅に入る釧路方面の特急列車を待機した。
やってきた列車に乗車する。キハ261系1000番台による特急列車、おおぞら/9号である。
「ま
ACT.85『膝下解明』
キハの裏で
当日の天気は、曇天の中に陽射しが時折差し込むといった状態であった。そうした中で、屋外に保存されているこの場所のメイン的な存在であるキハ183-214を撮影する。夕日を受けて輝く国鉄色は、日本人のDNAを刺激する格別の情景である。
さて。こうして炭鉱鉄道の開発歴史や石勝線の開通と安平町を形成した歴史を2つ眺め、保存車も共に観察した。
しかし、この場所には隠れてまだ保存車がいるので
ACT.83『新たなヒーロー』
道東の星と共に
昼下がりの札幌駅。
土曜日の夏季。8月をもう少しで迎えようとする中の札幌は北の大地といえど暑く、自分の中では滞在時間で慣れているとはいえ、車両を見てようやく自分が北海道に滞在していると気付かされる。
ディーゼルサウンドを掻き鳴らし、高架駅に滑り込んできたのはキハ261系1000番台。
現在の道南方面と札幌を結ぶ特急/スーパー北斗。そして今回乗車する石勝線で道東と札幌を結節
ACT.75『かつての本線』
夏空の下を
列車は北見を発ち、留辺蘂に停車した。そしてまず、列車の転換点となる遠軽まで走り抜けていく。そしてその前に立ちはだかるのは常紋峠という厳しい難所だ。
この峠を貫いて掘られたトンネルには犠牲者が多く発生し、工事関係者の犠牲を弔う慰霊碑も設置されているのだとか…
北海道の鉄道を待ち受ける難所に立ち向かい、乗車中のキハ283系は遅延の原因と化した温度上昇の線路を踏み締め走っていく。
『
ACT.72『北見の出会いより〜残り香に思う〜』
北見市到着
石北本線の特急列車、オホーツク号に乗車して北見に到着したのは昼にも近い11時を過ぎた段階であった。札幌を6時50分に出発し、旭川から長い道のりを経て、遠軽でスイッチバック。そしてその先、生田原での常紋越えに挑み、列車は北見に出てきた。
自分が下車した時、北見は凛々とした夏晴れの空の下、快晴の天気であった。旅は既に後半に入っているのだが、その中でもこの北見で迎えた天気はここ1番の状
ACT.69『夕闇を跨いで』
継承された花
北海道の県花として、現在では『はまなす』は多くの人々に認知されている。
JR北海道でも、昭和63年以降にそれまでの青函連絡船の廃止に伴う青函トンネルの開通。そして深夜の移動手段の代替手段として寝台急行・『はまなす』を昭和63年以降に札幌から青森まで運転した。寝台車と座席車を併結して走行する姿とその走りは、多くの鉄道ファン・旅人に愛され平成28年の北海道新幹線開業までその使命を果
ACT.62『更なる場所を見据え』
若人の活躍を後にして
深川市では、地元。クラーク国際高の甲子園全国出場に一花添えているようであった。
『出場おめでとう!!』
と若者たちの活躍を送り出すようなホワイトボード展示が、自分の旅している時期が夏である事。そして記念すべき地元の一行事に立ち会っている事の思いを満たす。
クラーク国際高は、令和5年の全国高校野球選手権大会の北北海道代表の高校として出場する事になった深川市の高校である。最
ACT.61『深川下りて』
留萌の隆盛にて
かつて、留萌本線は北海道を代表する1幹線・1支線の1つであった。キハ22形による準急『るもい』・急行『はぼろ』。北海道の更に北を目指す路線の代表格として君臨した。
昭和30年以降、昭和40年を近くしてこの場所は大いに活気を呼んだという。そして、こうした優等列車の走行する環境の中で留萌は増毛〜深川を結ぶ留萌本線においての中核としての機能を果たした。貨物・旅客。両面の発展はこの留
ACT.50『若人の国鉄』
聖地追分
まず。この記事を記す前に。
大長編北海道の最中になりましたが、なんとか50話目まで記す事が出来ました。これも皆さんのスキ、そして閲覧や支援のおかげでございます。これからも様々な旅路を記して参りますので何卒。
というわけで…この追分は、日本鉄道史と国鉄を愛する自分にとって『聖地』としての要素が非常に強い。
何より、その中には国鉄の中で動力近代化計画の最中で最後まで蒸気機関車が残存
ACT.47『本当の洗礼は』
山線との別れ
長万部に到着した。
この駅は、C62形急行ニセコの時代に重連が切り離された駅であり、この駅からC62形急行ニセコは重連を解放して本務機と客車だけを従え、連絡船の待つ函館に向かっていたのだ。
そして、そんな函館まではあとこの場所から100キロ近くある。この旅路では北海道の中で最も南の都市として長万部の街に訪れた(中継地点としてであったが)のだが、それでもまだまだ道南の街は遠い気
ACT.46『変わる山線へ』
駅周辺と新幹線
前回も記したように、この倶知安の駅周辺には現在非常に新幹線の建設に向けた動きが盛んである。新函館北斗から延伸された札幌に至る北海道新幹線の延伸線路は現在の函館本線は山線の経路と同じような経路を進行し、この倶知安で乗客を出迎えるのだ。
その事に関しては、また後ほどにしておこう。
六郷駅の胆振線跡を自転車で出発し、再び倶知安の大通りに出た。この大通りが倶知安のメインストリートと
ACT.44『ピストルは鳴らされた』
港町を離れる
遂に、小樽市を離れる時が来た。山陰本線の綾部付近で事故遅延し、20時間以上かけて到着した北海道最初の街。そして、カモメが鳴き鉄道の起源や歴史を感じ、多くの優しさや人々と交流した街。そんな小樽から離れる時が来た。
自分の宿泊した区画…ゲストハウスでの宿泊だったが、自分の宿泊した区画は自分しか寝ていなかったので、(2段ベッドが4つほどあったのに)悠々と目覚ましのアラームを設定しその