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水谷緑 『私だけ年をとっているみたいだ。 ヤングケアラーの 再生日記』 : ある警察官の記憶

書評:水谷緑『私だけ年をとっているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記』(文藝春秋)

「ヤングケアラー」の問題については、かねてから気にはなっていて、何冊か本も買っていたが、なかなかそちらまでは手が回らなかったので、マンガで読みやすそうな本書から読むことにした。

とても可愛い表紙イラストだが、しかしいちばん響いたのはタイトルだ。

『私だけ年をとっているみたいだ。』

その、あまりにもつらくて重い言葉が、私の胸にズンと響いたのである。

私は、昨年(2022年)7月末に、40年間務めた警察を退職したのだが、その40年間は、ずっと「交番のおまわりさん」をやってきた。つまりほとんどの場合、「犯罪」とは直接関係のない地域住民と接する仕事をしてきたわけだが、そうした40年間において、どうしても忘れられない思い出というのが、いくつかある。

もちろん、楽しい思い出もあったはずだが、すぐには思い浮かばず、思い浮かぶのは、よほど特殊な事例か、そうでなければ、自分の無力を感じて「忸怩たる思い」にとらわれたような経験だ。

私は決して仕事熱心な警察官ではなかった。むしろ仕事なんて、しなくて済むのであればしたくはなかったし、警察の仕事とは、おおむね「うっとうしい」部分が多いと感じていた。
今年4月の満期定年退職を前に、たったの半年を我慢できずに、昨年7月に早期退職したのは、私と仕事をつないでいた老母が、昨年亡くなったからである。
独身だが、母の面倒だけは見ていたので、そう簡単に退職できなかったのだが、その糸が切れた途端に、仕事を続けるモチベーションがなくなってしまったのだ。自分の身ひとつなら、もう仕事を辞めても何とかなる程度の蓄えはあった。

そんな「元警察官」として、今も忘れられない「取扱事案」のひとつが、子供にからむものだった。

私は、わりあい子供が好きなのだが、しかし、自分の子供をつくって育てようとまでは思わなかった。
私は、まずは自分が楽しく生きたい人間であり、自分以外の責任までは可能なかぎり引き受けたくはなかった。母がそうであったように、いったん引き受けた責任については、ちゃんと最後までやり遂げなければ気が済まない性格だったのだが、だからこそ逆に、自分から責任を背負い込むようなことは、ずっと避け続けて生きてきた。
仕事で昇任しようとしなかったのも、結婚しなかったのも、結局はそういうことだ。「世間並み」であろうというメンツのために、「世間並み」の選択をして、それで「過分な責任」など背負いこみたくはないと、そう考えてきた。そして、今でもその選択が、間違っていたとは思わない。

そして、そんな性格の私だからこそ、ある「子供にかかわる事案」が、今でも忘れられない。

もう30年近く前の、私が三十代だったことの話で、まだ「児童虐待」なんて言葉がなかった時代である。つまり、親が、子供を殴って躾けるのは「当たり前」、であるばかりか、そうしてまで躾けるのが「親の責務」だとさえ考えられていた時代だ。

警察も、当時は「民事不介入」を原則としていた。
警察の仕事は、法を犯した犯罪者を捕まえること(刑事=刑罰法令に関わる事)であって、そうではない「民事」には口を挟まない、挟むべきではない、と考えられていた。それをするのは、法に定めのない「越権行為」だと、そう考えられていたのである。

しかし、実際のところ、「刑事」と「民事」の境界は、曖昧だ。そこに明確な「線引き」など不可能で、裁判における「判例」主義がそうであるように、基本的には「前例踏襲」であり、微妙な部分については「社会(世間)の常識的価値観」に従って判断せざるを得ないし、「裁判」ですら、「裁判官の自由心象主義」として、その「時代の良識」に従っているのである。

だから、警察も「民事には口を挟まない」。本来、当事者同士で解決すべき問題に、関係者ではない「国家権力機関」が介入して、その影響を及ぼすべきではない。どうしても解決できないというのであれば「民事裁判」を行なって、その「調停」に従えば良いだけであり、警察が介入すべき話ではない、と考えられていた。

だから「家庭内の問題」も、基本的には「民事」であって、警察は介入すべきではない、と考えられていた。
例えば「親が子を殴って躾けした」場合、これは「暴行罪」になるのか?

これも、結局のところ、裁判でもそうであるように、「程度もの」でしかない。
もちろん、昔だって、子供を躾けるのに「殴らないで済むなら、殴らないほうが良い」とは考えられていたが、この考え方は、裏を返せば「躾けのためなら、殴ってもかまわない」というのが「世間の常識的了解」であった。だからこそ、殴る親は、当たり前に殴っていたのであり、たまにそれが行きすぎて、大けがをさせたとか殺したということになった場合に、初めて警察が、それを「犯罪」つまり「刑事事件」だと判断して介入する、ということになっていたのである。

しかし、こうした警察の「民事不介入」というのは、当然のことながら「消極主義」に直結してしまう。要は「家庭内の話」や「金の貸し借り」などといった「民事」を、警察に持ち込むな、ということになる。
大人なら、そんなことは自分たちで解決すべきだし、それができないなら裁判があるんだから裁判をしろ、というふうに考えるのである。

しかしながら、前述のとおり「刑事」と「民事」の境界は微妙であり、結局のところ「結果論」でしかない。

警察の消極的な「民事不介入」という「方針」を転換させた「桶川ストーカー殺人事件」なども、当時の警察官の感覚では「誰が誰を好きになろうと勝手」であり、男が女性につきまとったり待ち伏せしたりしたとしても、直接手を出さないのなら、それは「犯罪」ではないから、警察は、その相手に対して「とやかく言う権限は無い」というものだった(昔のマンガには、好きになった人を電柱の陰からじっと見つめる片思いの人物、なんて描写が、当たり前にあった)。

だから、ストーカー被害者の女性が、警察署に何度も相談に行っても、相談を受けた警察官の本音は「そんなの、被害届を受けられるようなことではない(民事でしかない)のだから、どうにもできないよ」といったところだっただろうし、せいぜい親切そうな対応をしたとして、自分自身は動かないですむ「受持ち交番のおまわりさんに、パトロールしてもらうように言っておきます」ということで済ませただろう。
そして、受持ち交番に電話を一本入れて「悪いけど、こういう相談が来てるから、たまにパトロールして、パトロールガードを入れてやってよ。そしたら安心するだろうから」と伝えれば、自分の仕事はそこで終わり。それで責任は果たしたことになり、あとは「交番のおまわりさんの仕事」となる。

しかしながら、「刑事」に掛からない「雑務」は、こんな調子で、交番へとどんどん引き継がれてくるから、交番勤務の警察官の方も、本音としては「自分が対処しないからといって、そんなに気安く引き受けるな。こっちは、そういう要望がどんどん溜まっていくばかりで、それらすべてに対処することなんて、どだい無理なんだ。こちらにはこちらの日常業務もあるんだから」ということにしかならない。
しかし、そうは言っても、警察のシステムは現にそうなっているのだし、面倒ごとは弱いところに押し付けられるのが「世の常」でもあれば、「そんなことできません」と喧嘩ばかりしているわけにもいかない。結局、最後は「嫌なら、出世してから言え」と、「階級」でものを言われておしまいなのは、目に見えた話なのである(昔は「上に向いて唾を吐いたら、自分に返ってくるぞ」という言葉があった)。

で、そんなわけだから、「桶川事件」の被害者となった女性の場合も、警察の対処が、まったく不十分なものであったことは想像に難くない。だが、当時は、それが「警察の常識」であり、おおむね「世の常識」でもあったのだ。

例えば、今でも「別れた彼氏(彼女)が押しかけてきて、帰ってくれない」といった110番などが、当たり前にかかってくる。昔だと「借金取りが来て困っている」とかいったことの方が多かったが、いずれにしろ基本的には「民事」でしかない出動要請の110番通報は、内容を微妙に変化させながらも、今も昔もかかってくる。
こうしたものは、本来「警察の仕事」ではないはずなのだが、件数的には、こちら(民事トラブル)の方が多くて、むしろこちらこそが「日常業務」だと言えるだろう。

だが、「桶川事件」のような取り返しのつかない「結果」に終わった事例があったからには、警察当局としては「刑事・民事を問わず、市民からの相談には積極的に対処すべきである」という「きれいごと」の方針転換をする。「やれません」では済まないから「やります」ということになったわけだが、現場としては「そんな安請け合いをして、それで本当に現場は回るのか?」と考えてしまう。

昔より、取扱う事案の範囲が広がり、おのずと取扱件数が増えたからといって、そのぶん警察官の人数が増えたわけではない。それに、昔より、警察官の「権威」が下がったせいで、警察官自体が狙われたり被害を被ったりする事案が増え、さらに女性警察官の割合も増えたので、昔なら一人で処理した事案にも、二人三人で派遣されるようなことが増えたから、そのぶん、むしろ警察官の人数は減ったも同然なのである。

(ドラマ『ハコヅメ』より)

では、そんな、基本的には無理のある警察業務が、どのように回されているのかというと、無論、一人当たりの業務が増えたのは当然だが、それでも処理しきれない分については、「最低限のことはやっている」という証拠としての「書類作り」ということになる。

例えば、市民の要請に応じてパトロールを強化していたとしても、実際に事件が起こってしまえば「本当にパトロールしていたのか?」と疑われるし、それに「いや、していた」と反論しても、所詮は水掛け論でしかないから、あらかじめ「何月何日何時何分から何時何分まで、どこそこをパトロールした」という書類を「いつも」作るのである。
つまり、何をしても、やった「証拠」として必ず「書面に残しておく」のだが、これにかかる時間が馬鹿にならない。こんなことに費やしている時間があれば、もっとパトロールもできるわけだが、結果論で責任が問われるのならば、保身のための証拠は、是非とも必要であり、その結果、現在の警察の仕事は「書類作り」の占める割合が非常に高く、非効率的なものになっている。
経済学者のデヴィッド・グレーバー言う『ブルシット・ジョブ』によって、忙殺されるようになっているのである。

つまり、たしかに警察も変わるには変わった。決して「民事だから」といって門前払いにするようなことはなくなったが、だからと言って、持ち込まれたそれらの案件に、満足に対処できるようになった、というわけではない。
言うまでもなく、警察官は「法に基づいた職務執行」をしなければならないのだから、できることは、今も昔も、基本的には変わっていない。できないことはできないし、してはならないのだ。

そして、ここで話を戻せば、昔は「子供が親に虐待されている」というような通報は、ほとんどなかった。
前記のとおり「親が子を殴るのは当たり前」だったから、他人もそれに口を挟まなかった。何しろ「自分もそうして育てられてきて、自分も自分の子にそうしているのであり、それが正しい」と思っている人が多かった。だから、そんな通報など多いわけがないのだ。
また、当時は「携帯電話」が無かったから、気になったら「即通報」ということにもならなかった(昔だと、例えば出先で児童虐待が疑われる子供の泣き声を聞いても、それで公衆電話を探すとか、家に帰ってから110番する人は少ない。その間に気持ちが冷めてしまうからだ)。

しかし、昔の警察官が、今なら「児童虐待」に当たるだろう事案に接するのは、例えば「夫婦げんか」の当事者による通報なんかである。「夫に殴られた」またはその逆などの通報は、昔からあった。

しかしまた、そういったことで、わざわざ警察に通報してくる人というのは、たいていの場合「程度が低い」人たちだった。
少しは「世間体」を考える人なら、「夫に殴られた」とか「妻が暴れて、言うことを聞いてくれない」といったことで、110番するようなことはなかった。警察が来たところで、やれることは限られているし、世間に恥をさらすことにしかならないと考えるからだ。
言い換えれば、「夫婦げんか」で110番通報する人というのは、たいがいの場合、頭に血が上って、そうした判断ができなくなっており、とにかく「腹が立つから、警察に通報してやる」くらいの人が多かった。例えば「夫婦で飲酒していたあげくのケンカ」といった、実にくだらないものだ。

一方、「夫婦げんか」で派遣される交番の警察官は、「しょうもない」と思いながら現場に向かう。「これも仕事だから仕方がない」と、そうウンザリしながら。

なぜ、こんなくだらないものにまで警察が対処しなければならないのかと言えば、それは、その事案が、現場に行って確認しないかぎり、実際にはどんなことになっているか、なるのかが、わからないからである。

例えば、生活保護を受けて夫婦ともども働いていない中年夫婦が、毎日、酒を飲んではケンカをして110番してくるといったようなことも、昔はままあった。
このような場合、受持ち交番の警察官は「またかよ。あいつらは放っておいても、酒が抜けたら仲直りするんだから、いちいち相手にするだけ時間の無駄だ」と、おおよそそのように思うのだが、しかし、だからと言って、本当に放っておくことはできない。なぜなら、前記のとおり「万が一」のことがあると困るからだ。

だから、事情をよく知る、受持ち交番の警察官が「あいつらは放っておいても大丈夫です」と言っても、上司幹部は、それでいいとは、決して言わない。何かあった場合には、自分も指揮監督責任を問われるから「ひとまず行って、様子を見てこい」ということになるのである。

そして、そのようにして訪れた、ある「夫婦げんか」の家庭に、その女の子はいた。

詳しいことは忘れてしまったが、要は、両親がクソであり役立たずだったのだが、その小学校低学年くらいの娘は、異様にしっかりしていた。話を聞けば、役立たずの親たちに代わって、幼い弟たちの面倒を見、家事さえ少なからずこなしていたのだ。

それで私は、その娘がいかに苦労をしているかを知って同情し、クソ親たちへの事情聴取と、ただ「なだめるだけ」の対処を済ませた後、その娘に「君はえらいな。いろいろと大変だろうけど、頑張るんだぞ。何かあったら、君が110番したらいいんだからな。おまわりさんにできることは知れているけど、できることはするから」と、そんな励ましの言葉をかけたのである。

すると、その子は「ありがとうございます。今日は本当にお世話になりました」と頭を下げて、私を玄関まで見送りに出てくる。
どうして、あんなクソ親から、こんな子が生まれるのかと言いたくなるような、大人でもなかなかできない立派なふるまいであった。

だが、だからこそ私は、結局のところは、あんなクソ親から救ってやることのできない、結局は他人でしかない無力な自分を心苦しく思いながらも、その家を去らないわけにはいかなかったのだ。

いま思えば、あの娘が異様なまでにしっかりしてたのは、本人が立派だというのは無論だが、要は、親が役立たずだからこそ、自分がしっかりしていないと「生きていくことができない」状態に、彼女が置かれていたからであろう。
つまり、本書に描かれた「ヤングケアラー」の場合と同様で、彼女は「生きるため」に、「子供」のままではいられず、否応なく、年齢不相応に『年をとって』いたのである。

私は、その家から交番に戻るときに感じていた「無力感」を、ずっと忘れられなかったし、この先も忘れられないだろう。
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』で描かれた、イワン・カラマーゾフの「もしも、人間の最終的な救済の代償として、罪のない子供たちの、この世での涙が必要だというのであれば、そんな天国への切符など、こちらからお返しするよ」という言葉に、私は実感を持って共感する。
この世には、そんな「罪なき子供たちの涙」が、どれほど溢れていることだろう。そして、それに対して、私はなんと無力であり、かつ無責任に生きていることか。

無論、親たちには親たちの事情があるだろう。酒びたりの親、子供に暴力を振るう親にも、元をただせばそれなりの理由があり、そうなるのもやむを得ないという、不幸な事情があるのかもしれない。だから、そんな親を「クソ」だと罵るだけでは、所詮、こちらの気休めでしかなく、なんの役にも立たなければ、ましてや解決になどつながらないことは、百も承知している。
よく言われるように「虐待は連鎖する」ものであり、そんなクソ親自体が、昔は「虐げられた子供」だったかもしれないのだ。

だが、だからこそ、どこにもその責を問うことのできない「子供たちの不幸」を思うとき、私は自分の無力がつらく情けない。
それこそ「なぜ、世界はこんなにも理不尽なのか」と天に向かって、呪詛の問いを発したい気持ちでいっぱいになるのだが、しかし、その天に「神」などいないからこそ、こんな現実がある以上、私の怒りと嘆きは、どこにもやり場のないものとならざるを得ないのである。

あの少女も、無事に成長していれば四十前後になっているはずだが、幸せを掴んでいてほしいと、ただそう願わずにはいられない。


(2023年1月1日)

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