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平方イコルスン 『スペシャル vol.04』 : 解決されない世界でつかんだ〈友情〉

書評:平方イコルスン『スペシャル vol.04』(完結・リイド社)

完結編となるこの第4巻は、実に2年ぶりの刊行である。
なお、既刊の1〜3巻までについては、まとめて2年前に下のレビューを書いている。

そこでも書いたとおり、当初はこの作品も、作者が得意とする、癖のつよい学生たちの「日常系コメディ」と理解されていたが、第2巻あたりから、物語の背後に隠れされていた「不穏な陰謀」が浮き上がってきて、これまでの作品とはちがった「暗さ」を見せ始める。

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前のレビューでも指摘したとおり、本作の基本線は「他者を求める心とその怖れ」だということが出来よう。
主人公で転校生の葉野さよこは、学校にいる間はずっとヘルメットをかぶったままの変人「伊賀さん」に興味を持ち、彼女に近づこうとする。

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さよ子自身、人間関係には臆病なので、なかなか積極的に踏み込むことができないのだが、それでもやがて2人の間には、ほのかな友情が芽生えていく。

しかしまた、伊賀さんが、どうしてヘルメットをかぶったままでいるのかという謎にまでは踏み込めないでいたのだが、あるきっかけで、さよ子は伊賀さんのヘルメットの下に隠された謎の一端に触れることになり、中身は全く不明なままだが、その背後に存在する「陰謀」を否応なく知ることになる。

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そして、完結編となる本第4巻では、この「陰謀」の部分が大きく展開を見せ、「日常系」と見えていた物語が、「セカイ系」的な世界観へとずれ込んでいく。
ハッキリとは描かれてないものの、伊賀さんには、先天的なものか後天的なものかはわからないものの、ある種の「超能力」的なものがあり、それを独占しようとする謎の組織が、伊賀さんを囲い込もうとしていたのだ。

軟禁されていたその組織の施設から逃亡する伊賀さんとさよ子だが、物語はそこで終わって、その後、2人がどうなったのかも、ハッキリとは描かれていない。ただ、サイレンが不気味に鳴り響くところで場面は途切れ、2人の行く末が、あまり明るいものではなさそうなことを暗示している。

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そして、「終」が告示された後、たぶん書き下ろしであろう、「その後」らしき情景(2頁)が描かれている。
それは、砂浜で「伊賀さんらしき人物」が、海に向かって椅子に座っており、その横に立つ、「UJD」の文字を書かれた防護チョッキと思しきものを身につけた、30歳前後の男性と、遠距離海上の船について会話を交わしているのである。

「伊賀さんらしき人物」というのは、ヘルメットをかぶって椅子に座っている人物は、後ろ姿しか描かれていいないからであるが、伊賀さんと見て間違いないだろう。2人の会話は、次のとおりである。

ヘルメットの人物 「あの船って… 漁とかしてるんですか?」
男性 「船…… 見えますか ここから/すごいですね 私にはちょっと見えんですが/今 見えるとしたら巡視ですね/まぁ今日のこともあって いろんな人が乗っています」
ヘルメットの人物 「船までわざわざ… ありがとうございます」
男性 「いやぁそこは 帰ったらあらためて またいろんな人にね/向こうからも こちらは見えているはずなので……手でも振ってあげてください/多分 喜びます」
(ヘルメットの人物、海に向かって小さく手を振る)
ヘルメットの人物 「いろんな人って… 私が知っている人もいますか?」

この情景を普通に解釈すれば、超能力を持った伊賀さんは、何らかの組織(「UJD」か?)に迎えられており、さよ子とは引き離されている。さよ子の安否は不明だ。
伊賀さんは、やむなく組織に従順に従っているようだ。
男性の「巡視」という言葉からもわかるように、男性の所属する組織と敵対する何らかの勢力があって、伊賀さんの超能力は、そのために利用されいているらしい。

また「今日のこともあって、いろんな人が乗っています」という男性の言葉からは、伊賀さんの能力について、何からの説明会か実験のようなものが行われ、あるいは開かれようとしており、伊賀さんの能力はすでに高く評価され、歓迎されているらしいことが窺える。だから「手でも振ってあげてください。多分、喜びます」ということになるのではないだろうか。

そして、伊賀さんが最後に「いろんな人って… 私が知っている人もいますか?」というのは、たぶん、さよ子を始めとした知り合いのことを指しているのではないだろうか。

なんとも切ない「その後」だが、しかし、私は前3巻までのレビューに、次のように書いた。

『「他者」に近づきたい。その究極は、一体化したいという願望だ。しかしまた彼女(※  さよ子)は、「他者」と完全に一体化することなど出来ないことを知っている。なにしろ、私とあなたは「他者」であるからこそ、私であり、あなたなのだから。
それで彼女は、最も好ましい距離を慎重に測りながら、踏み込んだり、退き下がったりしながら、徐々に(※ 伊賀さんとの)関係を築いていく。

しかしまた、他者に対する「理想的な距離」というのは、絶対的に存在するものではない。
というのも、「他者」の魅力とは、その「他者性」にあり、その「他者性」とは、「違い」だからだ。そしてその「違い」とは、おのずと「怖れと喜び」を喚起するものであり、どちらか一方というわけにはいかない。
多くの喜びを味合うためには、多くの危険を犯して踏み込み、多くの苦痛に堪えてこそ、多くの喜びを得ることができる。逆もまた真であり、傷つくことを怖れていては、他者から喜びを受けることもできないのである。だから、「他者」にどこまで求めるのかは、その人の覚悟次第なのである。』

さよ子にとっての伊賀さんが「他者」なら、さよ子や伊賀さんにとっての「謎の組織」もまた「他者」である。
「他者」とは、必ずしも「魅力的」であるとは限らず、むしろ「危険」なものであることが少なくないのだが、しかし、人は「他者」とか関わらずには生きていけないし、「他者」と関わることで、「喜び」を得ることもあれば、「不幸」になることも、当然あるだろう。

『(※ さよ子と伊賀さんの)その危険な道行きに魅力的と感じるか、それとも、本能的にそうした危険な道を回避する(※ 読まない)か、それはもう読者の選択次第であり、事の良し悪しではないのだろう。
だが、表現者としてはやはり、一度は踏み込むべき「人間という八幡の薮知らず」なのではないかと思う。

物語的な結末としての「謎」の解明が、どのようなかたちでなされようと、どんなに残酷な事実が待ち受けていようと、大切なことは、それを葉野さよこたちがどう受けとめるか、読者がそれをどう受けとめるか、なのだと私は思う。』

私は、前記レビューで、このように書いておいたが、案の定、この物語の結末は「ハッピーエンド」にはならなかった。
だが、私たちは、それでも作者が選択した、この結末をひき受けるべきであろう。それこそが「さよ子と伊賀さんの友情」を無にするとことなく、肯定する唯一の道だと思うからだ。

最後に、大変素晴らしいレビューを、是非とも(全文)紹介しておきたい。
Amazonカスタマーレビューとしてすでに公開されている、レビュアー「溢れ井戸」レビュー「かつてない読後感」(2022年7月1日付)である。

『平凡な転校生女子と何かよく分からないけど超常的な怪力を持つヘルメット女子を中心とした(非)日常系スクールライフコメディ、とうとうこれが最終巻です。

前巻から急激に色濃くなってきた世界の不穏さはここに来ていよいよ来るとこまで来てしまい、もはやコメディとは到底言えないような展開…これまで目を逸らして来たツケが回ってきたかのような、衝撃的で、目を背けたくなるような出来事が次々と起こります。特に第71話『強行』の初読時には、衝撃のあまりしばし呆然としてしまいました。
ただショッキングではあるものの、同時にどこかこうなることが分かっていたかのような、腑に落ちる感覚もありました。おそらく、ここまでの随所に張られた伏線が上手く深層心理に作用していたのでしょう。
また、そういった中でも序盤のコメディ時期を彷彿とさせる友達同士の気の抜けたやり取りが挟まったりと、前後の展開における温度差にも情緒が激しく揺さぶられました。

完結した今でもこの世界のことは分からないことだらけですが、それでも、キャラクター達がそれぞれに何か重たいものを抱え、懸命に生きていたことは分かります。その中でも、ハノサヨと伊賀に芽生えた友情、互いを思う心は物語の確かな求心力となって私を完結まで導いてくれました。そうして導かれた先に見た風景は、決して求めていた類のものではありませんでしたが、それでも最後まで見ることができて良かったと思います。

本作を通して、『スペシャル』というタイトルに相応しい、他にはない特別な読書体験ができました。決して楽しいだけの記憶ではなく、むしろ読み終えて強く残ったのはある種のやり切れなさや哀しさですが、これから先も大切な記憶として残しておきたい作品がまた一つ出来たことを嬉しく思います。

連載お疲れさまでした。次回作にも大いに期待しています。』

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(2022年7月17日)

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