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藤生 『ひみつのおねえちゃん』 : ウソ漫画の中の「真実」

書評:藤生『ひみつのおねえちゃん』(バンブーコミックス・竹書房)

本書は、2019年に、同年の新刊『えりちゃんちはふつう』を紹介した作者の、2012年の旧著となる。

5年前のことで今では記憶も定かではないが、『えりちゃんちはふつう』が、あまりにも「つらい」、でも「素晴らしい」作品だったので、その際に、同じ作者の他の作品を検索したという記憶はある。
ただ、その時に目についたのは『女×女のうまくいかない恋愛エッセイ parlor』『マザーファッカーズ●底辺BL作家の日常●』といった作品で、「ああ、この人は、日頃はBL漫画や百合漫画を描いている人なのか。そっちは興味がないな。また自伝的な作品が出たら読もう」と、そう思ったように記憶する。その時すでに、本書『ひみつのおねえちゃん』は刊行されていたはずだが、たぶん、タイトルと表紙絵を見て、普通の子育て漫画なのだと思い、スルーしたのではないかと思う。

今回、本書を読んだのは、いつもレビューを書いているKashmirの新刊などのチェックに使っている「ブックオフ・オンライン」を見ていた時に、「そういえば、『えりちゃん』の藤生の新刊は、もう出ているだろうな」と、そう思って、ひさしぶりにそこで、藤生の著作を検索からである。
表示された新旧の著作の中で、前記のような「BL・百合系」ではない作品として、やはり本書が目についた。だが前回とは違い「どんな作品だかわからないけど、1巻本みたいだし読んでみるか」と、軽い気持ちで購入したのである。

しかし、その購入時もそうだし、本書を読み終えてこのレビューに着手するまで、私は本書が、『えりちゃん』よりもずっと古い作品だということには、気づいていなかった。逆に『えりちゃん』より後の、比較的新しい作品だと思い込んでいたのである。
なにしろ、「ブックオフ・オンライン」の本書ページに記されている「刊行日」までは見ていなかったし、郵送で届いた本書は、帯付きのきれいな本で、とうてい10年以上前の本には見えなかったからである。

だから私は、本書で、『えりちゃん』の作者である藤生の、「その後」を知ろうという気持ちで読んでいった。実際、作中の時制としては、本書に描かれているのは『えりちゃん』の「その後」である。
『えりちゃん』は、著書の子供時代を描いた作品であり、一方、本書『ひみつのおねえちゃん』は、著者が大人になった後、姉がシングルマザーとなって、4人の子供を連れて実家に帰ってきてからの、主に、その姉家族との交流を描き、子供の楽しさや可愛らしさを描いた、ちょっと変わった「叔母」目線の「子育て漫画」だと言えるだろう。

本書を、そうした「変則的な子育て漫画」として読めば、実際のところ「まあまあ」といった感じではあった。
たしかにそれなりに子供の面白さをよく描いているのだけれど、だからと言って、特別に「鋭い」というような印象も受けず、総合的かつ客観的に点数をつければ、「80点」といったところだった。

だが、私は本書を読んで「あのえりちゃんが、問題ある両親を含めて、それなりに受け入れられる程度の関係を、家族として持てるようになったのなら、それは、ひとまず良かった」と、そう感じた。
作品の良し悪しではなく、「えりちゃん」の、いや、作者「藤生」のその後として「こういうことなら、良かったんじゃないか」と、その「ぬるさ」にこそ、むしろ救いを見出したのである。

実際、『えりちゃんちはふつう』でもボカして描かれていたけれど、著者・藤生とその姉と兄は、親からの「虐待」の中で育ってきた。
本書の「あとがき」マンガでも描かれているとおり、父親は「絶対暴君」であり、子供たちへの暴力も辞さなかった。また母親は、そんな夫との関係もあって、自分の欲望を優先して、子育てを蔑ろにする人だった。
家自体、決して豊かではなく、むしろ貧乏だったようだが、両親は、自分たちだけで美味しいものを食べても、子供たちに同じものを食べさせようとはせず、おこづかいも与えなければ、着衣さえいい加減だった。
しかし、幼かった藤生や姉兄は、その幼さゆえに、そのことに自覚的ではなかった。まさに『えりちゃんちはふつう』だと、無邪気にそう思い込んでいた。どこの家でも、こんなものだと思い込んでいたから、自分たちが特別に不幸だとも思ってはいなかったのだ。

(『えりちゃんちはふつう』より)

だが、やがて否応なくその現実に気づく年齢に達すると、姉と兄はさっさと家を出ていってしまい、置いて行かれたかたちの藤生自身の「その後」は、本書『ひみつのおねえちゃん』の「あとがき」マンガに描かれたとおり、次のようにして「現時点」へと繋がっていく。藤生は、中卒で働きながら、漫画家になっていくのである。

つまり、姉が子供たちを連れて帰ってきてくれたおかげで、「子は鎹(かすがい)」となって、一応のところ「それらしい家族」にはなったのである。
だから、私は「ひとまず、これで良しとしよう。それしかない」と考えた。

無論、引っかかるところも無いではなかった。
まずは、本作が一応のところ「フィクション」だと、何度となく断られている点だ。また事実、カバーの下の本体表紙に刷られた「おまけ漫画」では、どんな嫌な性格の人間でも、虚構のキャラクターだと思えば、不思議に愛せる、という趣旨のことが描かれている。

だから、そうした意味で、本作もまた間違いなく「美化」されている部分が多々あるはずで、そこに描かれていることを、そのまま鵜呑みにすることはできない。
だがまた、作者の作風として、基本的なところで「嘘」はついていないと、そう信じて読んでもいる。作者は何度も、自分は「ウソ」を描いていると明言しているからだ。
だから、たとえ美化され、誤魔化されている部分があったとしても、それでも大筋では、この「現在」は、少なくとも昔よりは「マシ」なのだろうと、私はそう考えたのである。

あと、もうひとつ引っかかったのは、「おねえちゃん」が「ドS」なのに対して、著者の藤生を投影した「語り手」の妹が、自身を「ドM」だと強調している点であり、自分を裏切るような人間に対して、かえって「惹かれる」という性向があると、冗談めかしてはいるものの、これも何度となく語っている点だ。
子供の頃に、何度も親や家族に裏切られるような体験をし、そうした中で育ってくれば、「ドM」になるというのは、むしろ「わかりやすい心理」である。
どういうことかと言えば、「つらい」ことを、そのまま「つらい」と感じるのは、それこそ「つらい」ことだから、それを「このつらさが、なんとも良い」というかたちに転換するのである。俗な表現をすれば「ツン」に惹かれる「性向」になれれば、どんなにつらく当たられようと、どんなに裏切られようと、「だからこそ、その人に、深い魅力を感じる」というようになれる。
逆に、普通に「いい人」や「優しい人」というのは、「薄っぺら」だとか「嘘くさい」と感じられ、そこに「人間としての深い魅力」というものを感じられなくなるのである。

(『えりちゃんちはふつう』より)

だが、言うまでもなくこれは「心理的倒錯」である。
「好きなものは好き」「嫌なものは嫌」「つらいものはつらい」と言えない人、言っても救えわれる可能性が無いと諦めた人、救いの希望が持てない人は、心理的な「自己防衛機制」として、「つらい現実の中にこそ、深い真実がある」のだと、そう考えるようになるのだ。そう考えれば、いくら「つらい現実」が途切れることなく続こうと、むしろそれを「大歓迎だ」と、そんな気持ちで立ち向かっていける。いや、生きていける。
一一だから、あまりにもつらい境遇に育った人は、ある程度の知能があるのであれば、生きるために、そうした「観念的倒錯」によって、あえて「マゾヒストになる」のである。

無論、私は、そのことを、「逃げ」だ「現実逃避」だといって、非難しようというのではない。「それしかない」のだから、そこに良いも悪いもない。
抵抗しなければ殺されるというのなら、相手を殺さなければ殺されるというのなら、相手を殺すのは、当然のことなのである。
まして、「生きるために、マゾヒストになる」というのは、じつのところ「本当の自分の気持ちを殺すことで、なんとか生きていく」ということなのだから。

しかし、だからこそ、作者が「あとがき」マンガの中で語る、最後の言葉には、信じきれないものが残ったのである。

『暴力も無関心も時々の優しさも、今思い返せば、全て懐かしくいとおしい。私は、家族をありのまま、愛しています。』

(※ 分かち書きに、適宜句読点を加えています)

そう、本気で思っているのだろう。一一だがそれは、そうとでも思わなければ、つらすぎる現実だったからだというのもまた、事実である。その意味で、この言葉は「つらい嘘」だと、私には響いたのだ。

だがまた、嘘でも、それで著者が、可哀想な「えりちゃん」が、多少なりとも救われるのなら、それでいいじゃないかと、私は無理にでも呑み込まないわけにはいかなかった。

ところが、このレビューを書くために、Amazonの本書紹介ページを見ていて、本書がずいぶん古い作品であり、『えりちゃんちはふつう』よりも、むしろずっと前の作品であることに気づいて、なんとも嫌な事実を知ってしまったというような感情にとらわれた。

なぜなら、私は、可哀想な「えりちゃん」の「その後」が知りたかったのだし、「えりちゃん」が少しは幸せになってくれていればと、そう思って本書を読んだのに、実際には、本書の方がずっと前の作品であったということは、「えりちゃん」は、藤生は、本書で「家族への愛」を語った後に、やっぱり、あのつらい『えりちゃんちはふつう』を描かなければならなかったのだという現実を、この前後関係は示しているからである。

そして、さらに決定的だったのは、本書のカスタマーレビューを読んでいて、本書の中では語られていない事実に関する、次のような記述を見つけてしまったことである。

『 mon 『面白いけど…』(5つ星のうち3.0)
 2023年1月22日
 
実話じゃなかったら良かったのに…の思いから星3です。ラスト良い話にまとまっているのにその後お姉さんが子供置いて蒸発してしまったことが悲しくて仕方がない(PARLOR#12参照)…やはり「いつまでも幸せに暮らしました」は創造の中だけなのだと痛感します』

そのとおりなのだ。本書の中では『ラスト良い話にまとまっているのにその後お姉さんが子供置いて蒸発してしまった』のだそうだ。その事実が『PARLOR#12』で、作者から報告されていたのであろう。

たしかに、クセのある「おねえちゃん」だが、しかし、少なくとも本作の中では、子供たちを一所懸命に育てる「良いお母さん」であったはずなのに、結局は、自分の母親と同様の「育児放棄」をしてしまったのだ。それが、レビュアー「mon」氏と同様に、私にもつらい。

そして、こういう「くり返される、つらい体験」があったからこそ、藤生は『えりちゃんちはふつう』を描くことにもなったのだろう。
本作が描いたまま、一家が「平凡な家族」の枠内に止まっていられたら、『えりちゃんちはふつう』が描かれることもなかったのではないかと思うと、あまりにもつらい。いや、痛い。

たしかに、そういうことを知った上で読み返してみると、気になる記述はあった。
「最終回」の冒頭で、

『私の姉はシングルマザーで、4人の子持ち。現在、再婚を約束した彼氏あり』(P107)

という、本編の主人公である「姉」の紹介的な記述がなされているのだが、前半は毎度のパターンながら、後半の部分は、ここで明かされた新情報である。
だが、その後は、その姉の話ではなく、「それに比べて自分は、結婚願望もなく、いつまでも遊んでいたいダメ人間」だといった記述がつづき、その後やや唐突に、

『実は最近、何年かぶりに姉と大ゲンカ。原因は割愛するとして』(P108)

とあって、しばらく姉には会いたくないのだけれども、しかし可愛い「姪と甥には会いたい」と思っていると、その姪から電話があって、結局は子供たちに会いに行くことになる。そして、そこで顔を合わせた姉とも、何となく仲直りできた、というような描写があり、最後は、

『良い時も悪い時もいろいろあるけれど、家族なんだから、何があってもこれからもずっと、どこかでずっとずっと、繋がっていくのです』(P115)

という語り手の独白を乗せた、家族全員での「団欒」的なカットが描かれ、この物語は幕を下ろすのである。

一一つまり、この「姉との大ゲンカ」の原因というのは、先に言及された「婚約」と関係している蓋然性が高く、「何年かぶりの大ゲンカ」だというのなら、その喧嘩の理由とは「子供たちのこと」なのではないかと、そう推測されるのだ。
つまり、むきつけにいうなら、姉の婚約相手が「連れ子を望んでいない。でも、彼とはどうしても結婚したい」という話を聞かされ、妹である藤生は、激怒したのではないだろうか。
そして、その結果として、姉はひとりで「蒸発」してしまったのだ。

だが、事情はどうあれ、所詮、他人の結婚であり、他人の子供なのだから、姉が子供たちを置いて出て行ってしまえば、藤生にできることは限られているだろう。

もちろん、その後、姉の子供たちがどうなったのかはわからない。
ただ、藤生自身がそうであったように「親に面倒を見てもらえない」あるいは「親に捨てられた」という経験が、子供たちにとって、つらいものでないはずなどないのである。

「虐待の連鎖」とは、よく言われる話だが、しかし、そんな現実を知ったからといって、それが無くなるものでもなければ、そのつらい現実に、馴れられるようになるわけでもない。

私が、ときどき、こうした「生きづらさ」系の漫画を読むのもまた、それは一種の「マゾヒズム」なのだろう。
私が、こうした作品を読んで、それで世の中が少しはマシになったり、不幸な子供たちが少しでも減ることはないだろう。それでも、そこから逃げたくないというのが、単なる「マゾヒズム」などではなく、私のせめてもの「愛」なのだと信じたい。

そして、そんな私には、本作に描かれた、それぞれに個性的な「子供たち」の将来が、少しでも幸福なものであることを、祈らないではいられない。
だが、すでに彼らは、全員「成人」しているはずなのだ。

はたして彼らは、少しでも幸せをつかんでくれただろうか。



(2024年6月21日)

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