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模造クリスタル 『スターイーター 模造クリスタル 作品集』 : 自己憐憫ではなく

書評:模造クリスタル『スターイーター 模造クリスタル作品集』(イースト・プレス)

『こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。』
 (「マタイによる福音書」より)

私は、「弱い」人間が好きではない。泣き言が嫌いだ。自己憐憫ほど嫌いなものはない。

だから、多分に自己を投影したのであろう「悩める主人公」を描く、模造クリスタルの作風が嫌いであってもおかしくない。それなのに、どうして私は、その作品に惹かれるのだろうか。

たぶんそれは、模造クリスタルが、自己の弱さを嘆くのではなく、自分と同じような弱い人たちを励まそうとする、その「強さ」に惹かれるからだろう。
模造クリスタルは、主人公たちの置かれた厳しい孤独をごまかさずに描きつつ、しかしその孤独にどこまでも寄り添っている。これは決して「自己憐憫」などではない。

そうした意味で、模造クリスタルは、弱き者でありながら、弱き者を愛する〈非凡〉という「強さ」を持っていると言えるのであろう。そして、その「強さ」だけが、自身をその「弱さ」から救うのではないだろうか。

一一そしてこれが、本書のメッセージである。

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「初出」(P255)に、

『「カウルドロンバブル毒物店」(2012年)、「スターイーター」(2014年)、「ザークのダンジョン」(2015年)は、それぞれ個人誌として発行したものに加筆修正のうえ収録。「ネムルテインの冒険」は描きおろし。』

とあるように、本書には前後10年の幅を持つ4本の短編が収められているが、これまでの公刊書で私の読んだ長編『スペクトラルウィザード』(全2冊)や『ビーンク&ロサ』が、その「孤独」を突き詰めた作品だったのに比べると、いずれもずいぶん救いのある物語で、その意味では読みやすい作品集となっている。
しかし、そこは無論、模造クリスタルの作品であって、単なる「前向き」な作品ではない。

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本作品所収の4本には、それぞれ登場人物たちの間での「すれ違い」があり、その意味では、主人公たちの抱える「孤独」や「愛」は、簡単に受け入れられたり達成されたりはしない。
むしろ、そうした期待に裏切られながらも、その中で主人公たちは、「自身の弱さや不幸」を嘆くのではなく、「他者の幸福」を願うことの中に、「救い」を見出していく。

本書末尾の作品「ネムルテインの冒険」は、旅立つ主人公たちの姿に重ねて、次のような詩で締めくくられている。

だれもがみちをまちがう
だれもがこころざしをみうしなう

でもいいんだ
きみがむかしのじぶんを
おぼえているなら

むかしのじぶんを
おぼえていれば

しんぱいいらない
かならずもとのばしょに
かえれるから

ぼうけんにでかけよう
ながれぼしに
みちびかれて

いっしょにいこう
ゆうきをだして

じゆうのみちなら
なにをしたって
いい

でもほんとうに
じゆうのみなら
やることはひとつ

わたしたちふたりで
まよえるひとの
みちしるべに…
           (P253〜254)

『わたしたちふたりで』とは、読者である貴方と作者・模造クリスタルの「ふたり」ということだ。

もちろん、困難な旅ではあろうけれど、励ましあいながら「まよえるひとの みちしるべに… 」。

一一作者は、そう呼びけている。

(2022年2月27日)

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