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坂月さかな 『星旅少年3 Planetarium ghost travel』 : 死と不死のナイトキャップ

書評:坂月さかな『星旅少年3 Planetarium ghost travel』(パイコミックス)

これは、静かで切ない、終末の物語である。

『ある宇宙、人は「トビアスの木」の毒によって「覚めない眠り」につきはじめていた。そして、ほとんどの住民が眠ってしまった星は「まどろみの星」と呼ばれた。これは、「まどろみの星」を訪ね、残された文化を記録・保存する、プラネタリウム・ゴースト・トラベル社(通称PGT社) 星旅人・登録ナンバー303の物語。』
「ダ・ヴィンチweb」・『星旅少年』紹介ページより)

第2巻刊行から約1年。記憶力のない私には、細かい設定などを忘れてしまうに十分な時間をおいての刊行なのだが、前の2巻はすでに積読の山に埋もれて行方不明。しかしまあ、おおよそのことは、読んでいるうちに少しづつ蘇ってきたから、大勢に影響はない。

第1巻、第2巻で描かれたのは、「まどろみの星」を訪ねてまわる 星旅人・登録ナンバー303の、その星にわずかに残された人々との、出会いと別れの物語だと言えるだろう。
人々の大半が「トビアスの木」の毒によって「覚めない眠り」につき、自身もまたその木に変じてしまう。その木には、真っ赤な宝石のごとき結晶体の実が成り、そこにはその人の記憶が記録されているのである。
「303」は、そうした記憶を確認し記録しつつ、数少ない生者たちと接触して、その人たちにとって大切な「ありし日の記憶」を聞くことにもなる。

この物語世界の特徴は、「まどろみの星」に残された数少ない人たちが、そうした「終末」を、恐れているわけでもなければ、嘆いているわけでもない、という点にあろう。彼らはただ淡々と、その運命を受け入れて、日々の生活を、それまでと変わらずに送っている。近い将来、自らにも定められた眠りにつくのを静かに受け入れつつ、かつて身近だった人たちとの記憶と共に、残された今の生を生きている。それが唯一正しい生き方であり、死の迎え方ででもあるかのように。

したがって、本作は、SF的なリアリズムの物語ではなく、主情的な詩の世界だと言えるだろう。それはすでに、「死者の世界」から「失われた現実世界」を懐かしんでいるかのような、現実的なにごりの濾過された、「青く透きとおった結晶体に封じられたがごとき記憶」の世界である。

第3巻では、これまでの「出会いと別れ」の物語ではなく、「303の過去」が語られる。星から星へ旅する、飄々として不思議に明るい少年「303」とは、どういう出自を持っているのか、その謎が明かされるのだ。

トビアスの木の毒に冒されたため、本来なら植物化して眠りにつかなければならないはずの、一人の少年がいた。そんな彼のために作られた、記憶(魂)移植のための数多くの「代替身体」のうちの一体。それが「303」号であった。
ある時、いまだ魂を持たぬために昏々と眠る「代替身体」たちへの、届くはずのない少年の呼びかけに応え、唯一目を覚ました不思議な代替身体「303」。少年は、彼を「弟」と呼んで可愛がるが、しかし、ついには、代替身体としての使命に目覚めた「303」は、自分の使命を果たそうと少年に迫る。だが、少年は「303」への「記憶」の移植を拒否し、自分のかわりに生きることを託して、その「思い出」だけを残して永遠の眠りにつく。

「代替身体」の体に乗り換えつつ永遠に生きるのではなく、「記憶」を引き継ぐべき相手に、命を譲る。それこそが、本当の意味での「永遠に生きる」ということなのではないか。それが、かつて「303」を「弟」と呼び、「303」が「兄さん」と呼んだ人の思いだったのではないか。

だからこそ、「303」は、眠りにつかんとしている星々を巡って、人々の記憶を慈しむのではないだろうか。

これは、そんないかにも切なくも優しい物語であり、死ぬもの悪くはないと思わせてくれる物語だと言えるだろう。
そしてこれは、避けられない運命に対する、ひとつの合理的な態度だとも言えるだろう。
だが、私は、こういう「夢」を拒否したいと思う。それはたぶん、私たちの誰ひとりとして、「303」のような孤独な生には堪えられないからだ。

いつまでも忘れないでいてくれる役目の少年を一人残して、自分は安らかな眠りにつくというのは、やはり、あまりに身勝手な望みなのではないかと、そう感じるからである。

確認してみると、私は「第2巻」読了の際にはレビューを書いていない。
これは、この物語がどう展開するのかが、まだ見定められてはおらず、それを見定めたから書きたいと考えるようなひっかかりを、この物語に覚えていたからであろう。

本作がこの先どうなるのか、まだ予断は許されないとしても、しかし本作を、「ナイトキャップ(寝酒)」として、安易に消費してはならないという直観が、私には早くからある。

それはたぶん、私たちの前に、現実の「終末」の姿が見えているからでもあろう。


(2023年9月16日)

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