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白取千夏雄 『 『ガロ』に人生を捧げた男 全身編集者の告白』 : 想いと現実の狭間、 そして 〈生と死〉

書評:白取千夏雄『『ガロ』に人生を捧げた男 全身編集者の告白』(興陽館)

若くして、伝説のマンガ雑誌『ガロ』の副編集長にまでなりながら、編集部員の一斉退社事件などを経て、『ガロ』の終焉に立ち会った著者が、白血病による自らの短い余命と向き合いながら書いた、未完の回顧録である。

特定のマンガ家は別にして、私自身は、いわゆる『ガロ』系の前衛的なマンガには、さほど興味はなかったのだが、高校生の頃は漫画部の副部長もやっていたし、マンガやアニメには今なお継続的に興味を持っているので、マンガ史的な部分において、『ガロ』についても、一定の知識は持っていた。
しかし、私が何よりも驚かされたのは、『ガロ』の版元である青林堂が、いつの間にか「ネトウヨ」出版社に変わっていた事実である。

青林堂が、内紛でガタガタして活動休止になったという程度のことは、風の噂で耳にしていたが、あんなマイナーマンガを専門とする弱小出版社が、この長期にわたる不況を乗り切れるわけもなく、内紛くらい起こりもすれば、潰れても仕方がない、程度に考えていたので、この「噂」自体にはさほど興味がなかった。

しかし、「ネトウヨ」に関しては、私は20年以上もバトルを繰り広げてきた奇特な人間で、「ネトウヨ」についてなら、常に最新研究にまで目を配っていた。
だが、まさかマルクス主義階級史観で江戸の社会を描いた『カムイ伝』で知られる『ガロ』の青林堂が、左派の本ではなく「ネトウヨ」本を出すようになろうとは、あまりに真逆で想像のしようもなかったため、初めて気づいた時には心底驚いた。「同名異社」ではないか、とまで疑ったほどだったのだ。

そんなわけで、そのあたりの裏事情が書かれていることを期待したのだが、残念ながら本書はそういう本ではなかった。

著者はまず、自身が『ガロ』に関わるようになってから青林堂を去るまでのことを回顧的に語っており、その一部として社内紛争当時のことも語っているのだが、著者の語る内幕は、世間が噂したような、ヤクザに乗っ取られて云々といった派手な話ではなく、不況と経営方針に対する編集部内の対立と誤解によるものだという、ごく常識的なものに終わっている。
ある意味でリアリティーも説得力もある説明になってはいるが、著者自身も強調しているとおり、それはあくまでも「新しい時代に対応しようとして、編集部員の反発を招いた側」の、個人的な見方であり言い分であって、何が真相なのかは、本書を読んだだけではわからない。
また事実、付録的に収録されている元関係者の言い分では「白取さんも、わかってはいなかったと知って驚いた」という趣旨の、白取の現実理解を否定するものであり、結局は、関係者それぞれの立ち位置から語られたものしか残されておらず、正確なところは今もよくわからないまま、総括はなされていない、という事情が理解できるに止まった。

(『ガロ 』編集部の白取千夏雄)

しかし、以上が本書のすべてではない。
そのあと、白取自身の闘病記が始まるのかと思いきや、それは「最愛の妻の突然の死」によって取って代わられ、ある種の「亡妻哀悼記」に変貌していく。
著者の妻は、やまだ紫のペンネームで知られ、『性悪猫』『しんきらり』といった名作を遺した、玄人好みのマンガ家であったが、白血病の夫を遺して、脳内出血により急死してしまう。著者は、この年上の妻に、妻としても作家としてもベタ惚れしていたので、「手記」と呼んでいいだろう本書の内容は、「編集部時代の思い出」を語っていた部分での、やや斜に構えたところが無くなって、これでもかというほどの「愛妻の思い出語り」に変貌する。

青林堂(初版)版『性悪猫』

しかし、それにも止まらず、すでに機械で生かされているだけの状態にある妻を思って「もういい。もう頑張らなくていいんだ」と念じ続ける著者が、「家鳴り」を「妻の霊的な通信」として理解するような部分では、著者自身「どうせ理解してはもらえないだろうが」としながらも、やはり鬼気迫るものがあって、著者の「冷静と狂気」は、意外に紙一重のものだと知ることもできた。

妻を失った著者は、その後、編集者としての経験を生かした仕事をしながら治療を続けていたが、その中で本書を編集した、筆名「劇画狼」と出会うことで、再び小規模ながら出版社を始め、そうした中で、自身の近い将来の死を想定して、本書の執筆編集を進めたのであった。

このように、大雑把に言えば、結果として本書は「三部構成」になっているが、基本的には「なりゆき」でそうなったものであり、一冊の「手記」としては、ややまとまりを欠くものとなっている。

本書において著者自身は、その「冷静と誠実」を前面に押し出しながらも、どこかで「自分を偽ってまで、演じている部分」が感じられもした。
著者は「死が間近にあるとわかっている自分が、いまさら嘘をつく気もないし、その必要性もない」というような断り書きをしているけれども、残念ながら、人間はそれほど単純なものではない。死が目前にあるからこそ「美しい虚構」を遺したいと思うことだって、決して珍しいことではないはずなのだ。

(やまだ紫)

妻の「霊魂」の存在を信じたらしい著者自身の描写は、しかし、本当にそう信じていたかどうかというと、私には疑わしく感じられる。白取は、信じたのではなく、亡妻のために「心から信じている自分」を演じなければならなかった、のではないだろうか。
それは、ある意味では「他人の目を意識した、冷静な計算」、著者の口癖である『理詰め』によるものだとも言えるし、同時に「狂気」だとも言えるもので、両者にさほどの逕庭は無かったということなのではないだろうか。

初出:2021年3月23日「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年4月10日「アレクセイの花園」

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