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安野モヨコ 『還暦不行届』 : 庵野秀明との対決

書評:安野モヨコ『還暦不行届』(祥伝社)

マンガ家・安野モヨコによる、夫・庵野秀明の観察日記。一一という紹介で良いだろうか?

「日本三大オタク」などと呼ばれることもあるほどの人だから、庵野秀明が「普通じゃない」というのは容易に予想のつくところだが、それにしても、あの『新世紀エヴァンゲリオン』の監督(今なら『シン・ゴジラ『シン・仮面ライダー』の監督)が、日頃はどんな人なのだろうかと興味を持つ、オタク読者向けのエッセイ漫画であったのが、シリーズの前巻の『監督不行届』(2005年刊)であった。
で、今回は、その庵野秀明が還暦を迎えたのをきっかけに、同じテーマで「note」に書いたエッセイを中心にまとめたものが本書『還暦不行届』である。したがって、一コママンガなどもあるけれど、基本、活字本だ(ちなみに「note」の方は有料記事である)。

なお、前の『監督不行届』については、刊行後ずいぶん経っての2021年に、安野モヨコの新聞連載マンガ『オチビサン』と合わせて、レビュー「人恋うる 〈小さきもの〉への愛:安野モヨコと庵野秀明」を書いている。

さて、『監督不行届』の刊行から、じつに10年ぶりの刊行となる今回の『還暦不行届』には、一部に「なんだ、マンガじゃないのか」との不満もあったものの、前回と同様十分に面白かったし、活字であるぶん、内容的にも、より直截に語られている部分もあって、活字読みとしては、むしろ今回の方が興味深かったと言えるかもしれない。

安野モヨコについては、さほど詳しいわけではないが、本書で当人が「虐待」経験があるということを書いているし、代表作である『ハッピーマニア』を読んでも、ある種の「精神的な偏り」があるだろうことは感じられた。何もない人は、あんなキャラクターは描かないだろうなと思えたのである。

『監督不行届』や、今回の『還暦不行届』を読んでいると、安野モヨコは、本当に「よくできた嫁」だというのがわかる。
だが、そうであり得るのは、むしろ旦那の庵野秀明が一般的な生活能力に欠ける、子供のような、ある種の「欠陥人間」だったからではないかと、思えないでもない。つまり、安野モヨコの結婚相手が、世間並みの「常識人」であったら、かえってうまくいかなかったのではないか、などと思えたのだ。
もちろん、庵野秀明の方にも、妻である安野モヨコへの相応の気遣いがあってのことなのだが、しかし、やはり庵野秀明の方に欠陥があったから、その欠陥を補おうとする苦労の中で、むしろ安野モヨコは「癒されていた」のではないかと、そんなふうに思えた。まさに「破れ鍋に綴じ蓋」というわけである。

いずれにしろ、二人はお似合いの夫婦であり、良くもこれだけの相手を見つけたものだと感心せざるを得ず、羨むべきカップルだと言えるだろう。
夫婦とは、相互の欠陥の有無よりも、むしろ「組み合わせの妙」こそが大事だということなのかもしれない。

 ○ ○ ○

さて、庵野秀明に2年遅れで、一昨年還暦を迎えた私だが、こっちは寂しい独身者であり、わが破れ鍋にマッチした綴蓋を見つけることは、ついにできなかった。
だから、この二人の仲良し夫婦ぶりは、じつに妬ましい。

しかし、言い訳ではないが、実際のところ、私は独身でいても、特に寂しいというわけではない。ただ、この二人のように見事なまでに組み合わさった夫婦を見ていると、さすがに羨ましくはなる。
しかしまた、私自身、相当な破れ鍋だから、結婚するにしても、相手がよほどうまく具合な欠点を持った綴蓋でないと、うまくいかないに決まっている。
つまり、私のような「個性派」にぴったりの人を見つけるというのは極めて困難なことだし、仮に私にはもったいないような立派な女性だったとしても、私の「破れ」具合に合うような人じゃないと、きっと私の方が「独りでいた方が、自由で良かった」などと不満を漏らし始める蓋然性は、我がことながら、かなり高いと推測し得るのである。

つまり、私の「嫁」というのは、単に「性格が良くて、美人なだけ」では、ダメなのだ。
私の「破れ」具合にマッチした、「ひび綴じ」がある人でないと、きっとうまくいかない。だから、私の嫁探しは、「聖杯」探求の物語のように大変なことになるのがわかりきっているので、家で本を読みDVDを視て、文章さえ書いていればゴキゲンな私としては、わざわざ見つかるあてのない、「聖杯」を求める旅に出ようとは思えない。
それに、なにしろ私は、「前期澁澤龍彦」タイプなのだ。「書斎のダンディズム」なのである。

そんなわけで、同じ「破れ鍋」でありながら、庵野秀明と私は「どこが違うのだろうか」と、セルフ考察することにした。

本書には、庵野秀明の「困った」部分が色々と書かれているから、「ここは勝ったな」とか「ここは負けたな」とか「ここはそっくりだな」とか「ここは真逆だな」というところが色々あって、そうした点は、たぶん世間一般のみなさまよりも、私の方が、はっきりと際立っていると思えたからである。

まず「違い」からだが、当然のことながら「創作的才能」の違いには、歴然たるものがある。
そして、これが「彼我の格差断絶」を生んだというのは間違いのない事実だから、わかりきった話とはいえ、この点は最初に確認しておかないわけにはいかない。
つまり「あんな変人でも、良い嫁さんをもらえたのは、やっぱり庵野が、二人といない才人だからだな」ということである。くそっ……。

庵野秀明は、とにかく「天才」なのだ。
絵の上手い人たちの職業であるアニメーターの中でも「天才」と言われたのだから、「絵の才能」と「動かす才能」が並外れているというのは、周知の事実であろう。

しかし、本書で紹介されている、庵野が中学生時分に参加した、「動物ねんど工作コンクール」の受賞作が、とにかくすごい。
本書には、その時もらった最優秀賞の賞状の写真が掲載されており(P40)、その賞状には作品の写真が貼り込まれているのだが、これが「彫刻科の美大生の作品かよ!」と言いたくなるくらい完璧なのだ。
写真が小さいとは言え、美術館に飾ってあってもまったく違和感がないであろうそのリアリズム作品は、テーマも「ヤギとヤギのねんど細工を作る少年(自分)」というもので、安野モヨコも、

『すでにメタ視点である。』(P35)

と、的確なツッコミを入れている。

この作品を提出されたコンクールを主催した大人たちは、さぞや驚愕しただろうし、審査員には、教育委員会の人や学校の先生などは無論、美術の先生や、もしかすると彫刻家もいたかもしれないが、そんな人でも「俺より上手い……」と、ビビったのではないだろうか。それほどまでに、完成された作品だったのである。

この作品を見せられたら、庵野秀明は絵が抜群に上手いとか天才だとか言う以前に「これは、物が違う」としか言いようがなく、対抗心も悔しさも湧いてこないだろうと、そんな異次元の才能の持ち主だったのだ、あやつは。

私もよく、自分のことを「栴檀は双葉より芳し」だなどと言って、昔から「クセのある匂い」であることには自信を持っていたが、庵野秀明の場合は、その匂いが数百キロ先なまで届くようなシロモノだったのだから、もはや比較の対象ではなかった。上手下手以前に「スケール」がまったく違っていたのである。
喩えて言うならば、私が仮面ライダーなら、庵野はウルトラマンである。戦いようもない巨大な相手だということだ。くそう……。

で、まあ、蟷螂の鎌を振りかざしたところで、カマキリ男なみの健闘もできないまま潰されるのはわかっているので、「ダメなところ」で対抗しようと思う。
だが、こちらでもなかなか手強い相手だ。

まず、「風呂が嫌い」という点で、私は庵野秀明と同じである。
だが、庵野は独身時代、1ヶ月も風呂に入らなかったことがあるというから、やはり私よりも強者だ。
もちろん、私も「警察官」というお堅い職業ではなく、個人事業主で、風呂に入らなくても特段問題にならなかったのだったら、なかなか風呂に入らなかっただろう。
だが、それにしても、退職して、ほとんどを家の中で過ごすようになり、風呂に入らなくても人様に迷惑をかけることがなくなった今なら、昔のように風呂に入らなくてもいいのである。

しかしだ、やっぱり1週間くらいは平気でも、10日ほどもすると、頭などが痒くなってくるから、結局は風呂に入ってしまう。だから、1ヶ月も風呂に入らなかったという庵野秀明が、いかに並外れたツワモノだったかが、身にしみてわかる。

私はこれまで、「note」にも何度か「3ヶ月くらい風呂に入らなくても、人は死ぬことがないと、松本零士が書いていた」などと書いて、自身の風呂嫌いを正当化していたのだが、それにしても、この「3ヶ月」というのは「仮の話」でしかなく、庵野の「1ヶ月」は実話みたいなのだから、やっぱりすごい。

そうすると、「どっちが、風呂に入らないか」という点でも、私は庵野秀明に負けていたのだ。
だがしかし、庵野は結婚してから、風呂を嫁から習慣づけられるようになり、今では毎日、風呂に入っているようである。しかも長風呂。
一一堕落したものだな、庵野秀明よ。

この点に関しては、孤高を保って、堕落しなかった私の方が、「勝った」と言わせていただこうか

あと「服を買わない」「気に入った服ばかり着ている」「それがダメになるまで着倒す」「また、できるかぎり同じ服を買おうとする」といったところも、だいたい同じだ。
しかし、庵野の場合はこれも、嫁がコーディネートするようになって改善、いや堕落したそうだから、これも私の「勝ち」である。

それから「同じ服ばかりを着る」という特徴と共通することなのであろうが、「新しいことをやりたがらない」という点も共通している。
もちろん、「好きなこと」に限ってなら、放っておいても手を出すのだけれど、とにかく、すでに「好きなこと」「やりたいこと」が明確にあって、それがやってもやってもやりきれないほどあるのだから、おのずと、興味のないことには手を出さないし、必要があることでさえ、できるかぎり避けてしまう傾向があるので、おのずと一般的には「新しいことには手を出さない」ということになる。
つまり、この点については、庵野は私に似ているのだ。逆かもしれないが、まあどっちでも同じことであろう。

その一方、「車の運転」ということでは、私と庵野秀明は、鋭い対照を見せている。

早くに運転免許を取ったものの、運転が嫌いで、長らくペーパードライバーでいたという点は、まったく同じである。だが、そこから先が、ちょっと違う。

私の場合は、大学受験に失敗して浪人していた時に、親から「免許でも取りに行け。就職する時にあった方が良い」と言われて、自動車には全く興味はなかったが、素直に自動車教習所に行った。大阪・十三に、たぶん今もある「塚本自動車教習所」である。

ところが、この頃の教習所の教官といえば、どこでもたいていは「無愛想・不親切」なことで有名だった。
今では、そんなことをしているとお客さんが来ないから、ずいぶんにこやか親切になっているようだが、当時は、黙っていても客が来る時代だったということなのだろう。

ともあれ、私は、もともと車の運転には興味がなかったし、実際やってみても、あまり向いているようには思えない。そもそも運動神経だって良い方ではないのだから、車の運転にも向いていなかったのかもしれないが、それ以前に、教官が不親切かつ威張っていたので、すっかり萎縮してしまい、余計にうまくいかなかったのだ。

当然、当時も私は、それなりに向こう意気が強かったから、ただ単に教官のおっかなさに萎縮していたというわけではない。無愛想に威張ってるからこそ、腹の中では強い反発心を抱いてはいたのだが、しかし、運転がうまくいかないのは事実だから、そこを指摘されても反論ができない。
こっちが正しいという自信があれば、喧嘩もするのだが、緊張のあまり同じミスを何度も繰り返したりして、われながら情けない思いをしていたので、そこを指摘されても、悔しくはあれ反論はできなかったのだ。

そんなわけで、教習所に良い思い出はないし、車の運転にも悪印象が貼りついてしまった。

警察官になってからは、好んで交番のおまわりさんをやっていたが、大阪府警の場合、大阪市内の警察署の交番勤務員の足は自転車であり、それ以外の市域外の警察署は自転車とバイク、というのが基本だったから、車を運転する必要はなかった。

さらに、もともと車には興味がなかったし、なにしろ「趣味人」であり、初版本を含む書籍代に馬鹿ほどお金を遣い、絵まで買ったりした時期もあったので、好きでもないし、その必要もない自家用車を買おうなどとは、一度として考えたことはなかった。

また、仕事ではバイクにさえ乗れれば良いので、それで問題はないし、私が若い頃はパトカー乗りというのは、車の好きな者が志願し、その中から選ばれた者がパトカー乗務員となる、一種のエリートだったので、私はお声もかからないのを良いことに、仕事では、ずっと自転車かバイク、家では自転車で済ませていた。

それに私の場合、「二輪」の方は、意外に性に合っていた。
小学校に上がる前から、近所の遊び仲間たちと、自転車を連ねて近所を走り回っていたのだが、いま考えてみたら、他ではあまり思い当たらない光景なのだが、当時の子供はそんなこともしたのではないだろうか?

ともあれ、それくらいだから、幼い頃は、自転車を飛ばして走り回るのが楽しかった。これがひとつ間違っていたら、年を重ねて「暴走族」になったのかもしれないが、私にはそれ以外に「絵を描く」「アニメを視、マンガを読む」「プラモを作る」という明確な趣味が、小学生の高学年頃にはすでにあったので、「走り屋」にはならなかったのであろう。

ともあれ、もともと「自転車」で走り回るのが好きだったので、仕事でバイクに乗ることは、まったく苦にならなかった。
ただし、ひとつだけ問題があった。

今だから告白するが、幼い頃は「おとなしい子」と言われていた私なのだが、いつ頃からか父親に似て「せっかち・短気」な性格に変わっていった。だから、自転車であろうとバイクであろうと、チンタラ走っていることができなかった。

目的地目指して、一散に走るというのが、私の性格から出た走行スタイル(?)だったので、仕事でバイクに乗っている時でも、たいがいは「スピード違反状態」だったのだ。
私が若い頃は、世の中もおおらかだったから、おまわりさんがバイクを飛ばしているからと言って、スピード違反だとは考えずに「現場急行か?」と考えてくれていたようだが、もう20年も前には、そんな甘い話は通用しなくなった。
車載カメラやスマホなどが徐々に普及して、おまわりがスピード違反しているところをバッチリ撮影されたりするようになったのだ。だから、私も、スピード違反をしないように気をつけなければならなくなったのである。

ところが、何度目かの転勤で、大阪北端の警察署に異動することになった。そこは、京都府に隣接する「山あい」の警察署で、所轄の受持ち面積の3分の2は「山」だという田舎だったので、最寄の終着駅への電車本数も少なければ、駅から先のバスの本数も少なかった。
そのため、これまでとは違って、1時間も早く出勤しなければならなくなったし、駅から警察署前までのバスも、朝の通勤時間でさえ1時間に1本ほどで、それに乗り遅れると、遅刻確定というような場所だった。だから、その警察署の署員だけは、例外的に「自動車通勤」が認められていたのである。

ところが私は、30年近くペーパードライバーだったので、怖くて車の運転ができず、当初は電車とバスで出勤していた。しかし、当直勤務明けで仕事あがりの翌日のお昼前ごろだと、そもそもバスが走ってないので、毎回、駅まで同僚の自家用車で送ってもらわなければならない。それで、いつまでもその好意に甘えているわけにもいかないから、庵野秀明と同様、長らく「無事故無違反のゴールド免許」は持っていたものの、ひさしぶりに自動車教習所に通い、そこであるていど練習をしてから、中古の小型車を購入して、それで通勤するようになったのであった。
この中古車は、当時の価格で百数十万円ほどの軽の四駆だったのだが、現在に至るも私が自分だけで買ったものとしての最高金額をキープしている。その次が、ある有名な推理小説の初版本だというのだから、まったく困ったものである。

ともあれそんなわけで、その警察署へ車通勤するようになったのだが、やはり「二輪」に比べると「四輪」は、どうにも私の性に合わない。
バイクとは違って、車との一体感が持てないという違和感がつきまとうし、道を間違えても、すぐにその場で転回して後戻りできないというのが、とても嫌だった。だから、高速道路などは恐怖以外のなにものでもなく、できるかぎり高速の使用は避けたし、当然のことながら車での遠出はしなかった。
それでも仕事で、どうしても車を使って高速を利用しなければならないときは、本当にドキドキであった。
実際、こんなやつに、車を運転させるのは良くないと思う。いくら本人が、意地で「大丈夫です」とか言ったところで、自信の無さは、滲み出ていたはずなのだから。

しかしまた、こんな具合に、車の運転は合わないと思っていても、通勤路のように何度も同じところを行き来するだけならば、次第に馴れてくる。
そうすると、よくないことだが、ついチンタラ走っているのが我慢しきれなくなるし、信号が変わっても、前の車がすぐに発進しないとイライラする。さらに前の車が、チンタラと走っていると、煽る気はなくても、つい煽り気味になってしまい、ついには追い越してしまう。
そんなことで、喧嘩になりかけたこともあるが、なにしろこちらは警察官だから、喧嘩沙汰になれば負け(喧嘩には勝っても、警察沙汰になるとクビが飛ぶことになる)なので、そこはグッと我慢して、相手を無視して立ち去ることにしていた。

さて、ここまで長々と私の「車の運転癖」について書いたが、なんでこんなことを書いたかというと、庵野秀明との対比のためである。

庵野秀明の場合は、長らくペーパードライバーだったのが、結婚して運転をしないではいられなくなってから、運転を始めたそうだ。
必要に駆られて、運転を始めたというのは私と同じなのだが、ただ、庵野の場合は、嫁曰く「安全運転」なのだそうだ。
しかも、人に迷惑をかけるようなチンタラ運転ではないというのだから、運転が得意ではないなりに、理想的な運転ではあって、そこが私とは違う。

身内の供述だから、裁判における証拠能力は無いに等しいが、このエッセイ集の中でのものなら、まあ信用しても良いだろう。

ともあれ、そんな運転でありながら、庵野秀明は運転しながら、

『むむ!! この「飛ばし屋ひでちゃん」を抜くとはなにやつ』(P118)

だなんてことを言っているそうだ。
「暴走エヴァ」の庵野がそれで良いのかと、つい後ろから煽ってやりたくなるのだが、無論「これでいいのだ」

こうした点でも、私が「勝った」とは言えないのが、つらいところである。スピードだけを見れば、勝っているのに……。

ともあれ、私も、車通勤の警察署から転勤になった後は、あっさりと車を処分してしまった。
もともと車の運転が嫌いだから、私生活で車を運転することはほとんどないし、月極駐車場の支払いや車検など、維持費がかかるだけ。それに苦手な車に乗っていたら、いつか大きな事故をやりそうなので、かなり使い倒したその中古車をさっさと処分して、125CCのバイクを購入し、今はそれが買い物などで出かける際の足となっている。

何度か書いていることだが、退職後の私が外出するのは、映画を観に行く時か、食料の買い出しの時だけだと言って良い。
そして、前者の場合は、電車で出かけるので(この際は、さすがに前日に風呂に入る)、駅までの徒歩10分はバイクは使わない。バイクは、もっぱら食料の買い出しの時だけなのだ。しかも、買い出しに行く店(主に「業務スーパー」と「阪急オアシス」)は、バイクで5分の距離。さらに、いつも同じものを買うから、買い出しの所用時間は(家を出て戻るまでを)30分ほどという、相変わらずの「飛ばし屋」ぶりである。

したがって、厳密に言えば、そのいつも通る買い出しのための経路では、たぶんスピード違反ぎみなのだが、そこは『還暦不行届』ということで、大目に見ていただきたい。
まあ、ジジイの暴走単車を見かけたら『老人Z』だとでも思って、笑って見送ってほしい。

北久保弘之監督『老人Z』より)

誰も書いてくれないから、自分で自分の『還暦不行届』を書いたという次第である。



(2024年1月29日)

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