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庵野秀明展 : 無邪気で屈折していた少年の 葛藤と成長

大阪・阿倍野ハルカスで開催中の「庵野秀明展」に行ってきた。

とても素晴らしかった。
『シン・ゴジラ』『シン・ウルトラマン』よりも面白く、純粋にワクワクさせられた。
2013年に開催された「庵野秀明館長 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」も面白かったけれど、今回はそれ以上だった。これでは、『シン・仮面ライダー』も「庵野秀明展」を超えられないのではないかと、今から心配になった。それくらい、面白かったのである。

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何が面白かったのかというと、アマチュア時代の作品や資料の展示が、とにかく素晴らしかった。
はっきり言って、『新世紀エヴァンゲリオン』以降の作品は、資料も含めて、おおよそのことは知っているので、それほどの驚きもなかったのだが、アマチュア時代の展示は、同時代を生きた、アニメ・特撮ファンとして、往時の感情が、思いがけず湧き上がってきたのである。

私は、ミニチュアや模型のファンだから「庵野秀明館長 特撮博物館」の時は、ミニチュアの本物を(写真や映像ではなく)直に見ることができたのが良かったのだが、今回はそれに加えて、例えば、アマチュア時代のアニメ作品の原画や特撮作品の設定資料といった、若きオタクの息吹を直接感じられる、貴重な展示物が少なくなかった。学生時代の茶色く変色した、謄写版(ガリ版)印刷の同人誌(個人誌?)などもあって、それだけでも感動的だった。

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庵野が若い頃に視て影響を受けた作品というのは、だいたい私と同じだから、例えば『宇宙戦艦ヤマト』の原画が展示されていると、それだけで感動した。
もちろん、雑誌に載ったテレビ画像やセル画などは見たことがあったが、けっこう代表的なヤマトの止め絵の原画は、印刷ではなく、手描きの鉛筆線画あるがゆえに、手描きの描線が生きていて、本当に素晴らしかった。

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また、その横に参考展示されていた、「アニメージュ」創刊号や「ロマンアルバム 宇宙戦艦ヤマト」、『OUT』誌のヤマト特集号などは「ぜんぶ持ってるぞ」などと思ったり、かの『『宇宙戦艦ヤマト』記録全集』は、展示されていたのが後版の普及版だったのだが「庵野は、最初の3巻本の豪華本は買わなかったのだろうか?」などと考えたりした(豪華本は、当時の定価で3万円。私は親に借金して購入し、数年がかりで返済した)。また、聖悠紀版のコミカライズ作品も、ああ懐かしき『超人ロック』の聖悠紀! という感じだった。

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『機動戦士ガンダム』第1話の、安彦良和による修正原画も、実に素晴らしく、それには安彦のサインらしきものが入っていたから、これは庵野が安彦から直接もらったものなのか、などと考えた。
(余談だが、安彦良和の絵も、加齢のせいで変わってしまった。昔ほど柔らかくも可愛くないのがよろしくなくて、今度の映画『ククルス・ドアンの島』のキャラクターデザインも、最近の絵柄に合わせたもので、そこがなんとも残念)

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それにしても、自主制作映画の『帰ってきたウルトラマン』は、30数年ぶりに見たが、本当に素晴らしい作品だった(さっきから「素晴らしい」を連呼していて、本当に芸のないことなのだが、そうとしか言いようがない)。

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この作品は、昔、大阪・桃谷にあった「ゼネラルプロダクツ」で視ているのだが、今回、あらためて視てみて、記憶にあるよりも素晴らしいと感心した。
とにかく、ミニチュアワークが徹底しており、しかもアングルがじつに素晴らしい。本当に、見たい「画(え)」だけで構成されているといった感じの作品で、『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』のような最新技術で作られたものよりも、ずっとずっとワクワク感があって面白かったのだ。

一一だが、どうして、こんなふうに感じるのだろうか?

そう考えてみた。
ここで「やっぱり怪獣映画は、ミニチュアワークだよ。CGはつまらない」などと言ってしまっては、単なる「年寄りの懐古趣味」に終わってしまう。しかし、それでは、自分は良くても、文章を書く意味はない。

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今回、庵野の学生の頃のアニメ、特にその設定画などを見ていて気づいたことがある。
それは「少女が、上手くもなければ、可愛くない」ということだ。

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動いていれば、それなりに可愛いのだが、止め絵として見た場合、特にどうということのない「ロリコン少女」だし、その後の「キャラクター原案」画などを見ても、魅力的な少女が描けていない。

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例えば、『トップをねらえ!』の主人公タカヤ・ノリコのキャラクターデザインも、庵野が原案を描いて、それを美樹本晴彦が仕上げたものだが、庵野原案のノリコは少しも可愛くないのだ。

ところで、これは私が若い頃から経験的に感じてきたことなのだが、メカを描くのがやたらと上手い人というのは、たいてい人物がヘタなのである(逆パターンも、普通にある)。

私が副部長をやっていた高校のマンガ部にも、抜群にメカの上手い奴がいたのだが、人物を描かせると全然ダメで、デッサンまで狂ってしまう。と言うか、妙にフニャフニャした線で人物を描いてしまい、おおむね「平面的」なのである。
これは、「メカニック・デザイン」などをやっている、プロのアニメーターにも、おおむねそのような傾向があるようで、そういう人はたいがい、人物の作画せず、メカ専門と決まっている。両方が上手い人というのは、意外にいないのだ。

で、今回の展覧会で、庵野の学生時代の作品を見て「あ、この人も、あのタイプだったのか」と気づいた。

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(庵野版 MATアロー1号)

メカはやたらと上手いし、こだわって細部まで描き込むのだが、人物になるとそれがない。
人物を描いていても、こだわっているのは、アングルや動きであって、「顔」を「美形」に描こうとか、「微妙な表情」を描こうとか、表情の芝居をさせよう、といったこだわりがあるようには見えない。
だから、庵野の場合だと、ロボットや巨神兵といったものは、「人型」として描かれているのではなく、きっと「生体メカ」的な感覚で描かれるからこそ、凝ることもできるのではないかと考えてみた。

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そして「結局、庵野秀明が描きたいのは、人間ではなかったのではないか?」と気づいてしまった。

たしかに庵野秀明は「メカの描写や見せ方、魅力的なアングル」だけの作家ではない。
その世界観の想像力も半端ではないし、創造した世界の中で、適切にキャラクターを動かす能力もある。だからこそ、『新世紀エヴァンゲリオン』のような歴史的傑作も作れたのだろうが、しかし「庵野秀明は、人間が描ける演出家だ」というのと「庵野秀明は、人間を描きたい作家だ」というのは、話が別である。

シリーズ作品を作ろうと思えば、「メカや戦闘シーン」ばかりの作品にすることはできず、人物を登場させ、そのドラマを描かないわけにはいかない。そして、その部分も手抜きするわけにはいかない。そこで手抜きをすれば、作品として失敗し、せっかくの「メカや戦闘シーン」も死んでしまうからだ。

だが、こう書くと、「しかし、『新世紀エヴァンゲリオン』は、人物描写にも凝った作品であり、そのドラマ性が大きな魅力であったことは否定できないし、片手間で描けるような薄っぺらなものでもなかった。つまり、やはり庵野秀明にも、人間描写への欲望があり、それ相応以上の力量もあるのではないか」と反論されるかもしれない。

たしかにそうだ。たしかにそうなのだが、しかし『新世紀エヴァンゲリオン』の場合は、当時の庵野が、好きであろうがなかろうが、文字通り「好むと好まざるとに関わらず」、とにかく持てるものの全てを注ぎ込み、その結果としての、あの複雑な人間関係の物語が描きえた、ということなのではないか。
つまり、必ずしも、好きであんな「屈折した人間関係の物語」を描いたわけではなかった、ということだ。

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言うなれば、自分個人の「やりたいやりたくない」は別にして、どうしてもすべてを注ぎ込まなければならなかった「勝負作品」だったから、あるいはもう、過去の名作へのオタク的オマージュ作品では済まされなかったからこそ、『新世紀エヴァンゲリオン』はあのような「人間描写に深みのある作品」になったのだとしたら、そこに、望まず注ぎ込まれたものとは、いったい何だったのだろうか。

一一それは無論、庵野秀明の「屈折した個人史」であり「親子関係」だったと言えるだろう。
それを、韜晦する余裕もなく、かなり直接に反映させてしまったからこそ、『新世紀エヴァンゲリオン』は、「人間ドラマ」としても破格の傑作になった。

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しかし、「それ以前」の「趣味に淫しておれた時代」の作品や、「それ以降」の「出し切ってしまった後」の作品では、『新世紀エヴァンゲリオン』と同じような「非常の深み」を持つ物語を作ることは、庵野自身にも不可能だったのではないだろうか。続編の映画版にしても、もしかすると「自己模倣」の域を出られなかったのではないか?

庵野がテレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』の終盤でノイローゼになったのは、強行スケジュールによる肉体的疲弊や、オタクたちの無理解に対する精神的疲弊といったことも、もちろん大きかったのだろうが、もしかすると、それまでは「個人史」として自分の中に秘めたいたものを、作品の中に開放してしまったがための「反動」といったこともあったのではないだろうか。
「秘めたる屈折」の解放は、一般的には悪いことではないけれど、それは急激なものであったり無理を伴うものであってはいけない、それは危険だ、といったことは、素人心理学的にでも容易に想像できることだ。急激な解放は、しばしば傷口を引き裂くようなことにもなるからである。

ともあれ、庵野は、そうした精神的危機を乗り越えて、それまで秘め抱えていた「屈折」を作品として昇華することに成功したと、そう評価することができるだろう。
しかし問題は、作家というのは「解放」されてしまっては「おしまい」だという点である。

作家というのは、おおむね、人並み以上に抱え込んだ、何らかの屈折やコンプレックスをバネにすることで、「常識」の枠を踏み越える作品を作ることができる。だから作家は、「成仏」したり「悟り」を開いたりしてはいけない。いつまでも「傷=煩悩」を抱えて、その痛みに悶え続けなければ、非凡な作品を描き続けることはできないのである。

そして、忌憚なく言ってしまえば、テレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』以降の作品とは、すで失った「屈折」に比肩するものを、自分の中からひねり出そうとする「もがき苦しみ」の中で生み出された作品なのではないか。
言ってみれば、「天然の爆発」ではなく「努力によってひねり出そう」とした作品だったのではないか。だから、技術的にはどんどんと進歩しているにも関わらず、どこか本質的に(テレビシリーズほど)「面白くない」「ワクワク感が無い」という印象が残るのではないだろうか。

一一こうした「物足りなさ」を感じているのは、はたして私だけなのだろうか?

しかし、「乱暴で未完成ではあったが、情熱にあふれたアマチュア時代の作品」にはあって、「プロになってからの作品」には無い「輝き」や「熱」というものは、たしかにあると思う。

たしかに「完成度」は上がっている。庵野は、努力を惜しまない完璧主義者であり、常に、以前の作品以上の情熱を新作に注ぎ込んでいる。そしてそれは、たぶん、そうしないことには、前作は超えられない、同じ程度の努力や苦労では「ジリ貧」だと、庵野自身もそう思っているからではないだろうか。

私は何も、庵野秀明を責めているわけではないし、庵野の限界を論じたいのではない。

ただ、本当なら、自身の「個人史」などからは遠いところで「好きなことだけをやっていればよかったオタク」が、憧れのプロになってしまったがために、誠実に自身をすり減らしながら死闘する姿には、ある種の痛ましさを感じて、同情を禁じ得ないのだ。一一「なぜ君は、そこまでして闘いつづけるのか?」と。

そしてまた、作品へのこだわりを捨てない、捨てられない庵野秀明という人の「誠意」と「狂気」に、私は、怖れにも似た尊敬の念を覚えずにはいられないのである。

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庵野秀明のような人にとっては、「人間を描く」というのは、言うなれば「鬼門」だったのかもしれない。
だがそれは、私たちにとっては、まさに「人間の手による奇跡」とも呼ぶべきも賜物だったのであろう。

学生時代の庵野秀明の「無邪気」な表情を見ていると、私は、人の一生の重みというものを、感じないではいられなかったのである。

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(2022年5月26日)

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