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『声優 宮村優子 対談集 アスカライソジ』 : 「庵野秀明の演出的要求」と プロフェッショナル魂

書評:宮村優子『声優 宮村優子 対談集 アスカライソジ(明日から五十路)』(KADOKAWA)

「みやむー」の愛称で知られる人気声優・宮村優子が、50歳を迎えるにあたって企画刊行した対談集である。
対談の相手は、以下の6人。

・ 岩田光央(声優)
・ 高河ゆん(漫画家)
・ 森恒二(漫画家)
・ 三間雅文(音響監督)
・ 緒方恵美(声優)
・ 林原めぐみ(声優)

これに、「宮村優子へのインタビュー」と「庵野秀明特別寄稿」が付録する。

本書は、コロナ禍で、直接人と会ってゆっくりと話す機会がなかなか持てないという悩みから「50歳を迎えるにあたっての記念企画として、会いたいと思っていた人たちとじっくり話す機会を作ろう」ということから出てきた企画である。

個人的なことを言えば、私は「宮村優子」という声優には、特に興味はなかった。
宮村が、というよりも、私より年下の声優にはあまり馴染みがなく、したがって興味も持たなかった、ということだ。

これまでにも何度となく書いてきたことだが、私が「現役のアニメファン」だったのは、『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)から『超時空要塞マクロス』(1982年)まで。
それこそ、日本初のテレビアニメーションシリーズである『鉄腕アトム』(1963年)の時代から、ずっとアニメを視つづけてきたのだが、自覚的に「アニメファン」になったのは『宇宙戦艦ヤマト』ブームからで、最後が『超時空要塞マクロス』なのは、この作品が「嫌い」だったからだ。
何が「嫌い」だったかというと、要は「アイドルとメカ」という、いかにも「オタク」なノリが、「正統派のアニメファン」を自認する者としては我慢ならず、「時代は変わった」と、そう思ったのだ。
また、おおむね、その頃に就職したので、自由になる時間がグッと減ったため、余暇は「読書」に費やすことにし、意識的にアニメファンを「卒業」したのである。

したがって、私が「声優」にも詳しかったのは『マクロス』の時代までで、そこから『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)までは、十数年のタイムラグがあり、声優の面子も大幅に変わっていたから、『マクロス』以降の声優にまで、新たに興味を持つことはなかった、というわけである。

ちなみに、私のアニメファン時代におけるアニメ声優の「(男の)御三家」と言えば「富山敬神谷明森功至」という感じで、では、「女性声優の御三家」は、というと思いつかない。
たぶん、その頃までは(少数例外を除いて)「男児向けアニメの男性主人公」が当たり前の時代だったから、女性声優の「御三家」などという発想がなかったのだろう。

(神谷明と富山敬)

とは言え、あえて「メインの女性キャラ(ヒロイン)」を演じていた女性声優といえば、思い出すのは、吉田理保子杉山佳寿子といったところだろうか。
「男児」役の女性声優としては、野沢雅子小原乃梨子藤田淑子といった人たちが長らく活躍していたが、どちらかというとシリアスな活劇が好きだった私は、そうした名優たちのことは知っていても、特に好きとか嫌いとかいうことはなかったし、今の女性声優のようにアイドル扱いにすることもなかった。
端的に言って、当時の声優というのは、一般人に比べても特に「美男美女」というわけでもなく、そうだと、かえって例外的存在として、妙に目立ったりもしたくらいだったと記憶する。

(声優を多く輩出して有名な「青二プロ」の、10周年記念イベントのライブ盤アルバム)

そんなわけで、『新世紀エヴァンゲリオン』によって、同時代のアニメにも多少は興味を持つようになった私だとは言え、それとてあくまでも「作品本位」であって、声優にまでは興味がなかった。

したがって、宮村優子についても、名前くらいは知っているし、『新世紀エヴァンゲリオン』で人気が爆発して、アイドル的な活動までしている「イマドキの声優」であるという認識くらいまでならあった。

また、ある時期には「ちょっと変わった人」だという噂も耳にしたし、アンチがいることも、なんとなく知っていた。人気が出れば、アンチが出てくるというのも「時代の趨勢」だし、アンチの声が聞こえてくるのは、時代がすでに「ネット社会」に移行していたからだろう。私が現役のアニメファンだった頃は、まだ「インターネット」の時代ではなかったのである。

 ○ ○ ○

しかし、そんな、さして興味のなかった宮村優子の「対談集」なんてものを、なぜわざわざ買ったのかというと、それは今年(2023年)劇場公開された映画『シン・仮面ライダー』(庵野秀明監督)とのからみで、「もしかすると、参考になる情報があるかも」と直感したからである。

すでに『シン・仮面ライダー』についてはレビューを書き、作品自体の評価については決着がついているものの、それでも気になったのは、映画公開後しばらくしてから始まった「庵野秀明バッシング」だった。

きっかけは映画公開後に、NHKがテレビ放送した番組『ドキュメント 「シン・仮面ライダー」 ~ヒーローアクション挑戦の舞台裏~』(2023年) だった。

この番組では、同映画の制作現場における、庵野秀明監督の「気難しく」「スタッフへの情け容赦のない要求」といった側面が強調されていて、それが「時代にそぐわない」「パワハラではないか」といった声が、ネットを中心に湧き上がったのである。

また、こうした「声」が、ネット記事として面白おかしく採り上げられ拡散されたのは、ひとつには『シン・ゴジラ』(2016年)『シン・ウルトラマン』(2022年)という「シン」シリーズ特撮映画で、大ヒットを飛ばしてきた庵野秀明の新作映画として、当然のごとくの大ヒットを期待されていたにもかかわらず、『シン・仮面ライダー』は、あきらかに前2作ほどの盛り上がりに欠け、観客動員数が伸び悩んだからであろう。

つまり、先のドキュメンタリー番組をきっかけとして、「成功者がつまづくと、途端にバッシングが始まる」という、例のパターンが発動したのである。

(『ドキュメント 「シン・仮面ライダー」 ~ヒーローアクション挑戦の舞台裏~』より)

これについても、私は庵野秀明を擁護するレビューをすでに書いているから、特にそれに付け加えることはないのだが、しかし、私が気になったのは、問題とされた『シン・仮面ライダー』の制作現場での「庵野監督が生み出す重苦しい空気」というのは「今に始まったことなのか?」ということであった。

私の感じからすれば、庵野秀明という人は「もともとそういう人」であったはずで、それは『シン・エヴァンゲリオン劇場版Ⅱ』(2021年)に取材したNHKのドキュメンタリー番組『さようなら全てのエヴァンゲリオン ~庵野秀明の1214日』(2021年)を視ても「同じだった」という印象があったからである。

つまり、庵野秀明は、少なくとも『シン・エヴァンゲリオン劇場版Ⅱ』と『シン・仮面ライダー』の両作で、同じような「気難しさ」を持って制作にあたっていたはずなのだ。
ということは、『シン・ゴジラ』だって、基本的には似たようなものであったろう(『シン・ウルトラマン』は、樋口真嗣が監督を務めたので、事情は少し違っていたかもしれない)。

ならば、大ヒットした『シン・エヴァンゲリオン劇場版Ⅱ』『シン・ゴジラ』では、猫も杓子も「さすが、庵野監督!」「庵野監督、天才!」などという声しか聞こえてこなかったのに、『シン・仮面ライダー』が興行的に少しつまづいた途端に「パワハラ疑惑」が出てくるのというは、ちょっとおかしな話ではないか。

それが「パワハラ」であり「許されない行為」だというのであれば、どうして『シン・エヴァンゲリオン劇場版Ⅱ』『シン・ゴジラ』の時には、同じ批判をしなかったのか。

「結局おまえらは、成功者にはすり寄って、人がつまづいた途端に、ザマアミロとバッシングを始めるような、ゲス野郎なんだということだろう」と、私は言いたかったのである。

実際、庵野秀明に関する、こうした「手の平返し」は、過去にも見てきた光景で、その時にも私は「同人誌」に、そうしたものを批判する文章を書いた。
無論、そんなことで何がどうなるわけでもないことくらいはわかっていたが、だからと言って黙っていられないのが、昔も今も変わらない、私の性分なのである。

私のことはさておき、その「過去の光景」とは、テレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』の 最終2話に関わる騒動である。

当時、『新世紀エヴァンゲリオン』は、まだまだ一般には知られていなかったものの、オタクやマニアには、熱狂的に支持されていた作品であった。

だが、庵野秀明は、そうした「オタクのノリ」に、だんだん違和感を覚えるようになったようで、最後は、その期待をわざわざ裏切るような「所詮、この作品は、紙に描かれた作り物なんだよ」という、ファンを突き放すような「メタ・メッセージ」を込めた、言うなれば、それまでの「作品」をぶん投げるような、そんな意地の悪い(批評的な)ラストをつけてしまったのだ。

当然オタクたちは、この仕打ちに激怒して「庵野秀明バッシング」が始まり、一時期、庵野はノイローゼになって自殺すら考えるところまで行った、というようなことがあったのである。

だが、前述したとおり、もともと「オタク」的なノリが嫌いであった私は、このテレビシリーズの「最終2話」を、ことのほか高く評価した。
もともと「体制(大勢)批判的に批評的」なものが好きであり、「メタ」構成が好きな私だから、それもごく自然な反応だったわけだが、それだけにバッシングを受けた庵野秀明には同情し、彼を擁護しないではいられなかったのである。

 ○ ○ ○

では、今回、本書『声優 宮村優子 対談集 アスカライソジ』に、何を期待したのか。

それは、『シン・ゴジラ』以前の庵野秀明、テレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』の頃の庵野秀明はどうだったのかということであり、本書に登場する、それぞれ『新世紀エヴァンゲリオン』で、アスカ、シンジ、レイを演じた、宮村優子緒方恵美林原めぐみの3人ならば、そのあたりのことも語ってくれているのではないか、と期待したのである。

一一そして、この期待は、ドンピシャリと当たっていた。

『 OKテイクがわからない

緒方:この間『ポプテピピック』(第二期)第9話の収録をしたよね。
宮村:楽しかったー!
緒方:あれは何なんだろう、どうなるんだろう。『ポプテピピック』の第二期、さっぱりわかんなくない? いや、第一期から既にわかんなかったけど! 第二期に比べたら一期はまだわかった気がする! ちっともわかんなかったけれど、宮村と一緒だったので、とりあえずがんばった。けれど、オンエアでどうなるのかさっぱりわからない。あの作品も『エヴァ』と同じく、どのテイクが使われるかわからない(笑)。
宮村:アドリブをなんでもしていい、みたいなパートがありましたね。
緒方:アドリブで、というからやったら「それはなしで」とか言われたり(笑)。
宮村:たしかに! 裏で「大人の事情さえ許せばこっちを使いたい……」とかそんな話をしていましたよ(笑)。
緒方:いま、考えてみるとあれは我々らしいのかもしれないしれないね。〝任侠モノみたいな感じで戦うボブ子(緒方)とピピ美(宮村)〟っていう(笑)。「全然かわいくやらなくていいです」と言われて「おお、そうですか」と。
宮村:一緒にやれて楽しかったです。『シン・エヴァ』のアフレコは個々に行われたから掛け合いができなかったですよね。シンジにレーションを食べさせるシーンを一緒にやりたかった。
緒方:『シン・エヴァ』は、みんなバラバラに呼ばれて録ったから全貌がわからなかったよね。しかも順撮りでもなかったから、どんなふうになるか、たぶん我々声優たちは誰ひとりとしてわかってなかったんじゃないかなあ。そのくらいバラバラにやっていた。アスカは納得しながらできた?
宮村:改めて遊戯機用の収録で順番にやっていくことで気づくこともありましたね。というのは、演じているときは、何パターンも演技をしていて、そのどれが採用されているかわからない。そのわからなさと言ったら『ポプテピピック』の比ではなく……。遊戯機搭載用の声を演じるとき、採用された演技を再び演じるので、それでようやく、通してそういう感情でいるのだということが確認できた。本編に使われているのは私たちが13テイクくらいやったお芝居のひとつですからねぇ。
緒方:そうそう! 何がOKになっているかわからないんだよね! 例えば通常のアニメだったら、3〜4テイク録って4テイク目に「OK」と言われたとしたら、体の中のどこかにその4テイク目が残っているもので、だからそのアニメが何かコラボなどやるときも、「あのときの4テイク目を録った自分の記憶」みたいなものを掘り起こしてきて「こんな感じ」と思ってやるのだけれど、『シン・エヴァ』になると、例えば15テイク録ったりすることもあって、しかも「OK」と言われたからってその15テイク目が使われているとは限らない(笑)。カットによっては3テイク目とか7テイク目とかだったりするので、我らは把握できないんだよね。
宮村:そうそう。わからないです、絶対に。しかも、アフレコ時にこういうふうにやってみてとおっしゃるけれど、その注文通りやることを庵野さんはあまり望んでないように思います。言われたとおりに演じたものは「嘘くさく聞こえる」と思われている気がします。
緒方:庵野さんが言われたことをどう自分なりに解釈した上で、プラスアルファ、何かを乗せて演じるかはとにかく難しいよね。
宮村:むずいですよね。だから遊戯機用の声を録るときはあらかじめ本編を通してみて、認識したうえでやっています。
緒方:完結したと言いながら、こうしていまだに何かのコラボなどで継続的に音声を録っているから完全に終わった感じがしないね。コロナ禍で打ち上げもしてないし。
宮村:そうなんですよ! みんな「いつか打ち上げしようね」と合言葉みたいに言ってるけど……。
緒方:監督はいまだに「意地でもやる」と言ってくれているみたいだけれど……。』

(P134〜137)

見てのとおりで、『シン・仮面ライダー』をめぐる「出演俳優たちの証言」と重なる部分が、数多く見られる。

例えば『『シン・エヴァ』は、みんなバラバラに呼ばれて録ったから全貌がわからなかったよね。しかも順撮りでもなかったから、どんなふうになるか、たぶん我々声優たちは誰ひとりとしてわかってなかったんじゃないかなあ。』という、緒方恵美の証言は、『シン・仮面ライダー』に出演した俳優陣の、公開にあたってのコメントで目にしたものと、まったく同じである。曰く「私自身、まだ、どのように仕上がっているのか知りません」。

あるいは『15テイク録ったりすることもあって、しかも「OK」と言われたからってその15テイク目が使われているとは限らない(笑)』というのは、くだんのドキュメンタリー番組の中で紹介されていた撮影風景のところで、さんざテイクが重ねられたあと、監督が「OK」を出していたはずのカットが、完成した映画には無かったと、私たち自身が気づかされたところでもある。

(緒方恵美)

また、宮村優子の『アフレコ時にこういうふうにやってみてとおっしゃるけれど、その注文通りやることを庵野さんはあまり望んでないように思います。』という証言からわかるのは、『シン・仮面ライダー』では、さらに進んで、そんな「指示」さえ、ろくに出さなかったとはいえ、いずれにしろ「これまでどおり」とか「言われたまま」の演技では「ダメだ」と、庵野が以前からそう考えていたことも、ここからは窺える。

つまり、こうした演出姿勢は、少なくとも『シン・エヴァ』の頃にはすでに在ったというのがわかるし、その意味で、何も『シン・仮面ライダー』に始まったことではない、ということなのだ。

要は、庵野は「(俳優の)当たり前の(演技の)向こう」にある「一期一会のリアル」を求め続けている演出家、だということなのである。

『 声は小さいけれど心に響き届く

林原:宮村と私が対談するとなったら、読者の皆さんはおそらく、『エヴァ』のことを聞きたいと思うよね。これは有名な話だけれど、オーディションでは私がミサトもアスカも受けていて、当時『スレイヤーズ』のリナ=インバース役の印象が強かったから私はアスカかな〜と勝手に思っていた。宮村がレイちゃん役を受けていて「あなたは死なないわ! 私が守るもの!」と全力で叫んでいたことも語り草になっているよね。万が一、宮村が綾波レイだったらどうなっていたんだろうね(笑)。
宮村:絶対にああいうレイにはなってなかったでしょうね。
林原:元気な綾波ちゃんがいたかもしれない(笑)。だって『エヴァ』の放送前は、そこそこの設定はあったとはいえ、庵野さんはライブ感覚でキャラを作るという斬新な手法を考えていて、役者から何かを感じ取りながら、すくい上げながらやりたいって言っていたよね。結局、私たち声優の個性が役に投影されたよね。
宮村:そうですね。ミサトにしてもアスカにしてもレイちゃんにしてもシンジにしても。
(中略)
宮村:(略)複数の役を担当するというと、林原さんにはペンペンという人気キャラがいます。ペンペンをやるとき、当時の音響監督の田中英行さんが「ペンペンっていうペンギンが出てくるんですけど、やりたい人?」と希望者を募ったら、「はい」と林原さんが手を上げられましたよね?
林原:手を上げたんだ(笑)。
宮村:そのとき私の記憶では、林原さんと山寺さんのお二人が「はい、はい!!」って手を上げられたと思うんですよ、で、田中さんがお決めになられたと思うんですよ。
林原:あら、あの人がペンペンをやっていた可能性もあるのね(笑)。
宮村:そうなんです。だけど、林原さんになったのは、「ちょっとやってみて」みたいなオーディションのようなものがあったのか、田中さんが「じゃあ林原さんで」と言ったのか、どっちだったか覚えてないんですが……。
林原:私も覚えてない。手をあげたかどうかはわからないけれど、「やるやる!」と言ったことは覚えている。
宮村:「やるやる!」と林原さんが言ったのがすごく早かったことが私には印象的だったんですよ。
林原:すごくやりたかったの、人じゃない役を。
宮村:あはははははは(笑)
(中略)
宮村:ペンペンをやることで(※ 精神的な)バランスを取ろうとしていた林原さんですが、アスカの出番が来る前からスタジオに出入りしていた私は、初めて現場で林原さんが綾波レイちゃんをやっていらっしゃる様子を見てビックリしたんですよ。
林原:「あの人が! 声を! 出してない!」ってこと?(笑)。
宮村:出してない! と。
林原:「あんなに私を怒った人が!」(笑)。
宮村:いやいやいやいや! それはないですけれど!(笑)「えっ! マイクってすごい性能してるんだ!」ということにまず驚いたんですよ。現場で自分の耳には何も届かないものが、ちゃんと録れるんだって。当時、私、ダビングも見にいかせてもらっていたんですよ。それを見ていたら「現場にいたとき、私の耳に届いてこなかったレイちゃんの声にこんなに感情が入っている!」とびっくりしました。私は舞台で育ってきているから「声を出さずにこんなに感情が届くことなんてあるの!?」とカルチャーショックだったんです。
林原:山さんも「ちっちゃーよ声」とか言っていたんだよね(笑)。私は「そういうふうにやれって言われてるの!」と反論していたけれど(笑)。
宮村:すぐ隣で演じている人にもよく聞こえないくらいの小さい声ってすごいですよね。
林原:私も「本当にいいのかな」と思いながらやっていて、でも「もっと抑えて、もっと抑えて」の連続だったからね。
宮村:そうして林原さんが綾波レイのキャラを確立させたら、その後、綾波レイ的なキャラがたくさん現れましたよね。
林原:そう、何十、何百の。
宮村:クローンの綾波レイがいっぱい(笑)。
林原:小声で、しゃべらず、抑揚がないスタイル。
宮村:でも林原さんのレイちゃんには、抑揚がないけれど、あるんですよ! なんで!? 聞こえないような小さな声でも、強く心を動かされるんですよね。
林原:レイちゃんの声は濃縮ジュースのようで、感情がないわけではなく、怒りも悲しみもグッツグツと煮え立っているけれど、それをどう出していいかわからない状態にいて、それがときには突発的に出ることもあって、レイを演じることは彼女の心の内にある感情を外に出すときに平たくする作業なんだよね。でもこの話は、さっき話した「台本を読まない」(※ 後の引用部参照)ことを勘違いしたタイプの人が読むと、ただ平たくすればいいと思うかもしれないよね。でも、平たくした口ぶりの中にどんな思いがあるか。演じるにはそこがないとね、と私は思う。グツグツした感情をあんなに平たい声にもかかわらず、皆さんには届いていたのだと思うと感慨深いよね。
宮村:届きますよー。視聴者の皆さんは抑揚のない綾波レイを見て衝撃を受けていただろうけど、林原さんが演じているところを実際に見て、そのあと映像で綾波ちゃんの口から微かな声なのにしっかりした感情は出ている様子を聞いた私には二重に衝撃だったんですよ。自分の中に何もない、どうしていいかわからない、そんなレイちゃんが、シンジくんが何か言うことでちょっと変わるところは強烈に刺さりました。
林原:そう思うと、『エヴァ』はまるで未開の地を開拓していくような仕事だったよね。私に限ったことではなく全員が。アスカはアスカで、登場したときは、はっちゃけていて気が強くてかわいくて……という、ある種のわかりやすさを持っているキャラかと思ったら、紐解けば紐解くほど内面の闇が深くて……(笑)。
宮村:病みまくり(笑)。でもそうなんですよ。10数話まで楽しい学園モノアニメだと思って参加していたのに……。
林原:まさかそんな……っていう展開で。テレビシリーズ放映時、声優たちはみんな疲弊していたよね。
宮村スタジオタバックで録音していましたよね。当時はまだフィルムをかけてアフレコしていた時代だったからスタジオのなかが暗かったというのもあってよけいに暗い感じで……。台本ができていない回のときにスタジオに行くと、みんながずーんっと下を向いて待っていた……。
林原:そう、台本がなかなかできないし、内容が暗くなっていくしで、みんなうつむいていることが多かった(笑)。』

(P154〜160)

ここもそうだ。

林原めぐみの『『エヴァ』の放送前は、そこそこの設定はあったとはいえ、庵野さんはライブ感覚でキャラを作るという斬新な手法を考えていて、役者から何かを感じ取りながら、すくい上げながらやりたいって言っていたよね。結局、私たち声優の個性が役に投影されたよね。』という証言からは、庵野秀明が『シン・仮面ライダー』でも、役者やスタッフ(例えば、アクション監督らのアクションスタッフ)に、同じことを要求していたにすぎない、というのがわかる。
「ルーチン」や「指示どおりの仕事」をするのではなく、「自分の持っている、自分にしか出せないものを、極限まで絞り出してみせろ。それが、作品に貢献するということだ」といったようなスタンスだ。

また、林原の『山さんも「ちっちゃーよ声」とか言っていたんだよね(笑)。私は「そういうふうにやれって言われてるの!」と反論していたけれど(笑)。(中略)私も「本当にいいのかな」と思いながらやっていて、でも「もっと抑えて、もっと抑えて」の連続だったからね。』という証言からは、庵野が「アニメの演技の常識」に挑戦していたというのがわかるし、そんな「非常識な要求」をされた声優たちも、よく言えば「戸惑った」、悪く言えば「内心では反発もあり、ストレスも抱えていた」というのがわかる。
こうしたことがあったから、林原や、ベテランの山寺宏一ですら、「息抜き」になる「ペンペン役」に、自らすすんで立候補したのである。

(山寺宏一と林原めぐみ)

当然、この時の「音声収録の現場」は『テレビシリーズ放映時、声優たちはみんな疲弊していたよね。』(林原)、『当時はまだフィルムをかけてアフレコしていた時代だったからスタジオのなかが暗かったというのもあってよけいに暗い感じで……。台本ができていない回のときにスタジオに行くと、みんながずーんっと下を向いて待っていた……。』(宮村)、『そう、台本がなかなかできないし、内容が暗くなっていくしで、みんなうつむいていることが多かった(笑)。』(林原)ということになった。

(アフレコ風景を調整室から・『新世紀エヴァンゲリオン』のものではない)

つまり、「現場」が暗くてストレスフルだったのは、何も『シン・仮面ライダー』に始まったことではなく、「四半世紀(25年)以上も前」のテレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』からして、そうだったのだ。

だから、『シン・仮面ライダー』に出演していた俳優たちが、本気で庵野秀明のファンであったと言うのなら、「こんな現場だとは思わなかった」という感想は、ちょっと「違う」とも言える。

無論、これは『シン・仮面ライダー』の出演俳優やスタッフだけの話ではなく、庵野のこうした「創作姿勢」をまったく理解していなかった「にわかファン」とて同じ、だということである。

庵野秀明が、「万能の天才」ではないというのは当然としても、それでも彼が、クリエーターとして「非凡」たり得たのは、これほどまでストイックに「創作に対する厳しさ」を「貫いてきた」からだということを、少しは感じ取ってしかるべきだった。
ただ「天才!天才!」と「無内容に絶賛し、褒めそやす」のではなく、そのクリエーターとしての「葛藤と苦闘」に、少しは思いをいたすべきであったし、それはテレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』をめぐる騒動を多少とも知っておれば、容易に想像のつくことだったのである。

しかし、そうした面に「まったく気づかない」というのは、ある意味では「時代の趨勢」だったのでもあろう。
林原と宮村の間で交わされる、次のような「俳優の世界での変化」も、結局は同じことだ。
要は「人と人とが率直に、全力でぶつかり合う」ような「創作の現場」ではなくなってきている、という現実である。

『 先輩・林原めぐみのしつけとは……

林原:いやー、どこまで話していいのだろう、宮村のことを(ニヤリ)。
宮村:全部、全部話して!
林原:全部はないでしょう(笑)。
宮村:全部……カットするので(笑)。まずは林原さんとの出会いの話からはじめますね。私がアーツビジョンに入った頃、林原さんはすでに大人気声優でした。一度、何人かの新人たちが林原さんのラジオ番組に呼ばれて行ったことがあったんです。
林原:そのラジオ『林原めぐみのTokyo Boogie Night』がこの12月で1600回になるの(インタビューは2022年11月26日に収録)
宮村:おおすごい。
林原:宮村がゲストで来てくれたのは『エヴァ』が始まる前?
宮村:『エヴァ』より前だったと思います。ラジオでしゃべったかも覚えてなくて、林原さんに挨拶に行っただけかもしれません。覚えているのは、収録の前後で、私たち新人さんたちに向かって林原さんが「がんばってね」みたいなことを話しかけてくださった時、私がいらんことを言ってしまったことなんです(笑)。私、昔からヘンなノリが結構あって……。
林原:宮村のヘンなノリはもう慣れちゃったけれど(笑)、当時の私はどう対処したのだろう?
宮村:林原さんは「そういうことは言っちゃダメ」というように注意してくださったんですよ。私としては、どれだけ憧れの人でもファン的な目線はおくびにも出さず、一役者同士として接するべきと思っていたにもかかわらず、舞い上がっていたんでしょうね。
林原:それで私が躾したのね(笑)。
宮村:そう躾(笑)。私はそれで背筋がすごく伸びて、「学生ノリというか、仲良しノリというか、内輪ノリというか……じゃダメなんだ!」と自覚したんですよ。
林原:おそらく、そのときの宮村の言動は、私としては気にならないけれど、他の人が見て「あの子、何?」と思われてしまう危険性があると感じて注意したのだと思う。とはいえ、もう二度と会わない子だったら、もしかしたら何も言ってなかったかもしれないけれど、事務所の後輩だからあえて言ったのだろうと。でも、そんなふうに言われて、「何この人、怖………」じゃなくて、「そうか」とちゃんと受け取止めたね。
宮村:私はノリは変でも(笑)、言われたことは「そうか!」と真摯に受け止めるほうですから、言われる前に気づくべきなのでしょうけれど、あのときは本当にありがとうございました。
林原:それは私も先輩に教わってきたことなんだよね。
宮村:昔はそういう先輩からの躾のようなことがあったんですよね。
林原:初めてアフレコ現場に参加した『めぞん一刻』(86年)では、まだ看護学生をやりながらの仕事だったから、現場で何をしたら失礼にあたるのだろうかとつねにビクビクしてたよ。
宮村:林原さんも最初は番レギ(その番組に決まった役はないが、毎回いろんなその他大勢モブキャラなどで配役され、レギュラーキープされているレギュラーのこと。新人が勉強できるシステムでもあった)で入っていたのですよね。
林原:だからこそメインキャストの方たちの邪魔をしてないだろうかとか、自分のひと言は失礼に当たらなかっただろうかと神経を使っていた。でも、いまは現場の居方にしても演技にしても若い人に先輩が注意するようなことは減っているよね。
宮村:そうですよね。私は大阪の専門学校で10何年を教えていて。年々、生徒さんたちの教わる態度が変わってきていると感じています。昔は明確に問題点を指摘していましたが、じょじょに優しい言い方にシフトしています。ただ、なかには厳しく教わりたい人もいるだろうから、細かくクラス分けできたらいいのにと思うんですよ。養成所はいまどんな感じなんでしょうね。
林原:どうなんだろう……。学校にしろ養成所にしろ、褒めることが推奨されているのでしょう。私が養成所の一期生だったときは、業界が新人を求めていた時代で、若手を育てようという空気が業界全体にあったから、先輩たちは親身になって、ときには怒ってくれたし、一緒にお酒も飲んだ。褒めることももちろんいいことだけれど、叱ることや先輩の経験談を語ることが導きのひとつであった時代だよね。お酒の席でいろんなアニメの裏話が聞けたことは宝であって、それこそ、YouTubeとかで全42回くらいでやりたいくらいの貴重な話が聞けた(笑)。
宮村:林原さんに教えてもらったり話が聞けたりしたら、みんな嬉しいと思いますけれどね。
林原:でもね、林原めぐみに教わった、アドバイスをもらったということが独り歩きしてしまうことも考えものではあって。というのは、ひとつ反省したことがあるの。インタビューで「台本はあまり読まない」と言ったら、額面どおりに受け取って、読まない(熟読しない)ことだと思ってしまう人がいたみたいで。私の言った意味は、例えば、台本に「これ、おいしい」というセリフがあったら「こ れ を お い し い」の言い方を何度も練習するのではなく、おいしさの度合いはどれくらいかとか、この食べ物はこの人物にとってどういう価値があるのか……など、台本の中からどれだけ心の動きを読み取ることなのだ、という意味だということをなかなか理解してもらえない。
宮村:そういう当たり前の話も昨今なかなかできなくなっていますよね。林原さんは声優をやる前、看護学校で学んでいて、でも「私はこの仕事がやりたい!」と声優の世界に飛び込んで千葉繁さんに師事したことは有名ですが、子供の頃、野沢雅子さんのディナーショーか何かに行かれたときに声優の仕事を意識したそうですね。
林原:そうそう!『銀河鉄道999』の〝ディナー〟ショーではなかったかもしれないけれど、テーブルを囲んでいろんなお話を聞いたり、ロールスクリーンで映画を上映するショーを観に行ったの。そのとき観客参加のミニアフレココーナーに私が参加してメーテルの声をやったら褒められて、もともとなりたかったけれど、「鉄郎を褒められた! わたし、これになる」とより強く思ってしまったかもね。』

(P146〜150)

NHKの『ドキュメント 「シン・仮面ライダー」 ~ヒーローアクション挑戦の舞台裏~』を視て、庵野について「時代にそぐわない」とか「パワハラではないか」と言った人たちというのは、まさに林原の言う『学校にしろ養成所にしろ、褒めることが推奨されている』という、そんな「時代の子」、それが「正義」だと信じて疑うことを知らない人たちであり、宮村が『年々、生徒さんたちの教わる態度が変わってきていると感じています。昔は明確に問題点を指摘していましたが、じょじょに優しい言い方にシフトしています。』という場合の「変わってしまった世代の人たち」であって、彼ら彼女たちは『優しい言い方』で教えてもらうこと、言い換えれば、指導者は「猫なで声」で指導するのが「当然」だ、と思っている人たちである。

(宮村優子が講師を務める専門学校)

そして、これを私にも関わる「批評」の世界に当てはめると、「批評も、基本的には、良いところを指摘するものであり、作家の成長を促すものであるべきだ。作者を傷つけるような、批判は慎むべきである」といったようなことであり、ほとんど、そんな「時代」になってきている、というのと同じ話だと言えるだろう。
要は「駄作を駄作と言ってはいけない」のであり「下手くそを下手くそと言ってはいけない」。言い換えれば「客観的な評価を、そのまま口にしてはいけない」一一そんな時代なのである。

いつまでも「幼稚な人たち」は、「優しく教えてくれる人」が「良い教師」だと、単純に考えていることだろう。
テレビなどからも、そういう意見しか聞こえてこないし、「熱血」が過ぎて「暴力」に走った者が、謝罪だけでは済まされず、犯罪者として現に社会的地位まで奪われているではないか、というわけである。
だから、無難に「優しく教えてくれる人」が「良い教師」なのだ、と。

だが、「無難にやれること」には、同時に、それゆえの「限界」がつきまとって、「限界突破」など望むべくもない、という「当たり前」なことにも、彼らは思い及ばない。それほどまでに幼稚で、愚鈍なのである。

もちろん「刑法上の暴力」は「犯罪」である。
だが、「言葉の暴力」においては、「犯罪と非犯罪」の「線引き」など、原理的に不可能だというのは、少し物を考える人間には、わかりきった話でしかない。

だから、「保身を第一に考える人」は、「成果」を求めずに「楽しくやればいいじゃないか」という線で「妥協する」のだが、では同じように、「作家(クリエーター)」が「作品が駄作になっても、みんなで楽しく作れれば、それでいいじゃないか」ということで、本当に良いのか?

無論、そんなものは間違いに決まっている。
「クリエーター(作家)」に求められるのは、まず第一に「良い作品を作ること」であるというのは、その「作家」という肩書きにも明らかだろう。
その上で、可能なかぎり「無用のストレス的状況」を避ける努力をしなければならない、のである。

しかし、そんなことくらい、たいがいの者は、言われなくてもわかっている。
わかってはいるが、当然のことながら、そんな「理想は理想」であって、現実には「二兎を追うもの一兎を得ず」になりがちだからこそ、まずは当たり前に第一目的である「良い作品を作ること」に軸足をおく結果、十分に「仲良く楽しい制作環境」を確保することが困難になったりもするのだ。

そして「集団での仕事」の現場では、こうしたことは、言わば、当たり前の「ジレンマ」であって、それに対し「言葉の暴力、反対!」と、そんな幼稚な「正論」を振りかざすだけの人というのは、結局のところ、「無責任」でしかないのである。

自分は「何も作らない」し「みんなとの仕事に、積極的に貢献する気もない」。つまり、一切「リスクを負わない」から、そんな「お客様扱い」が「当然」だと思える。

林原が『そのときの宮村の言動は、私としては気にならないけれど、他の人が見て「あの子、何?」と思われてしまう危険性があると感じて注意したのだと思う。とはいえ、もう二度と会わない子だったら、もしかしたら何も言ってなかったかもしれないけれど、事務所の後輩だからあえて言ったのだろうと。』と言っているように、「厳しい言葉(批判・注意・警告)」というのは、言わないで済ませられるなら、誰だって言いたくはないもの。

だが、「今ここで私が言わなければ、きっと好ましくない事態になる」と思うからこそ、人から『「何この人、怖……」』と嫌われるのも覚悟の上で、あえてそれを口にする場合だってあるのだという事実を、「責任ある大人」なのであれば、考えるべきなのだ。

(『ドキュメント 「シン・仮面ライダー」 ~ヒーローアクション挑戦の舞台裏~』より)

そしてそれが、即座には受け入れがたい言葉であったとしても、その言葉が「何を意図して」発せられたものなのかを、自分なりに咀嚼し、受け入れるべきは苦しくとも受け入れるのが「大人」であり、大人になれる人間なのである。

したがって、庵野秀明がどうして「あんなかたちで、あそこまで要求するのか」を、関係者はもとより、『ドキュメント 「シン・仮面ライダー」 ~ヒーローアクション挑戦の舞台裏~』を視た、視聴者も「考えるべき」であった。
なぜなら、それが「鑑賞する」ということだからだ。

「なぜ、そこまで言うのか?」「監督は、何がしたいのだ?」と、そう考えてこそ「鑑賞」であって、「私が、こんなことを言われたら堪えられない!」とかいったような、いわゆる「脊髄反射」的な反応は、知能が発達する以前の幼児のごとき、単なる「痛覚反応」にすぎない。
問題は、その「痛み」が、「価値のある痛みなのか否か」「引き受けるべき痛みなのか否か」なのだ。「痛み」とは、成長のためには、是非とも必要なものなのである。

じっさい、庵野秀明が「考えすぎるほどに考える人である」というのは、次のような証言にも明らかだろう。
なお、ここでの宮村優子との「やりとり」は、庵野からの質問回答文を、対談形式に仕立て直したものであり、実際に面談でのやりとりがあったわけではない)

宮村:アニメ・特撮・漫画、ずっ〜〜と隅っこに追いやられていた文化、サブカルチャーと言われていたものを好きでここまで生きてこられた。好きで続けてこられた結果が、あれ? なんかいつの間にか日本の中心にどど〜ーんと据えられ、認められる世の中になってるって、戸惑うことありますか?
庵野:ハイ。あります。
 アニメ業界にとって、世間にとって、ひいては日本社会にとって現状が良いのか、常々疑い迷っています。
 漫画は、他に先行して日本では世間から認知されてされました。アニメも漫画より遅れてますが、今はある程度認知されていると思います。日本特撮はその映像の特殊性から漫画やアニメ程世間に認知が浸透をしている感じがしません。海外のVFX作品の方が認知されていると思います。これを何とかしたいと特撮博(展覧会『館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技)ATAC(特定非営利活動法人アニメ特撮アーカイブ機構)の設立、実写作品制作等で10年以上抗い続けています。せめて、特撮を文化として世間に認知してほしいという願いからです。関係者の力で最近その芽が出て現実的な形になってきたと思います。
 そういう活動をしながらも自分のやっていることを「これで良いのか」と時々客観視して検証しています。アニメがマイノリティーであっても世間に理解され、文化の多様性も生んでいるのは良い事だと思う反面、現実の中で生きていく人間の社会的な精神の成長を時代の流れに沿っているとはいえ阻害し、未成熟な社会を助長しているのではないか、等の検証です。
宮村:未成熟な社会ですか……。なるほど〜。そうなのかもしそうかもしれないですね。ゲーム脳とかも……。私は自分が好きな漫画とかアニメが昔では絶対ありえない、良い待遇で認められているのを見ると今の世の中がすっっごく嬉しい反面、あれ? 自分は異世界に飛ばされたのか!? と思って現実を疑ったりします。これもラノベ脳なのかな? 弊害なのかな(笑)。監督は今、どう思っていますか?
庵野:今が異世界と感じるのはアニメが日蔭者として受け入れられない社会のほうが健全なのではないか、という疑問もあるかと思います。自分もアニメはもっと謙虚で良いのではないかと、何かしらのきっかけでそう感じることが時々あります。
 昔から、アニメは世間から無視され邪険にされ疎まれて馬鹿にされていました。
 しかし今日では高度の映像表現と技術としてある程度認められ、映画興行的にも上位はほとんどアニメ作品が占めています。
 これはすごいことだし、ありがたいことだと思います。
 その一方、目にする機会が減っただけで、未だに無視され邪険にされ疎まれ馬鹿にされ続けてもいます。
 アニメーションや特撮の社会経済的、文化的な地位の向上や理解、無関心や嫌悪から受け入れない人達との共存等、まだまだ模索していかないといけない気がします。
宮村:なるほど! 嫌悪から受け入れられない人たちの共存を考えること大事ですね。私もパリピと共存する方法を模索しなくてはいけません!! その方法にはいつかアニメや声優がまた裏方に戻る日も来るかもしれませんね。
 さて、監督はアニメは特撮の存在を一般に広く知らしめた功労者だと思いますが、監督がかつて夢見た未来はどんなものでしたか?
庵野:テレビ放映時の『新世紀エヴァンゲリオン』では、大人が観て語っても、職場に関連商品を持ち込んでも恥ずかしくない作品を目指していました。それはある程度達成され、アニメを世間に広げる一端を担い、過去を含めた他アニメ作品を押し進めるといった貢献は出来ていたと思います。
 先にも書いた通り、今はアニメだけではなく日本特撮の認知と保存に向けた活動も続けています。繰り返しになりますが、そうしつつもそれが自分の望んでいる世間でのアニメの立ち位置なのか、というのはアニメ業界やファンの意識の変化とともに常に疑問が付き纏っています。
 まぁ、未だよくわからないという感じなのかなと。。。「テレビまんが」がアニメに変わってまだ40年も経っていません。これまで同様、この先もアニメや特撮のより良い環境を模索して、出来る事を実行していくしかないだろうなと。
 う〜ん。気にしすぎかなぁ。。。
宮村:やっぱり先頭を走るものとしては、できることを実行していくこと、の連続しかないんですね! 結果はついてくるものとして。 にゃるほど! わりました!!
 この先もアニメ、特撮の長としてう〜んう〜んと言いながらジリジリ進んでいただけたら嬉しいです! 今回はありがとうございました!!』

(P194〜197)

どうだろうか?

庵野の『そういう(※ アニメや特撮の顕彰)活動をしながらも自分のやっていることを「これで良いのか」と時々客観視して検証しています。アニメがマイノリティーであっても世間に理解され、文化の多様性も生んでいるのは良い事だと思う反面、現実の中で生きていく人間の社会的な精神の成長を時代の流れに沿っているとはいえ阻害し、未成熟な社会を助長しているのではないか、等の検証です。』という言葉は、例えば、高畑勲が、その著書『アニメーション、折りにふれて』の中で語っていた「問題意識」そのものであると言ってもいい。

庵野秀明は、あのクソ真面目な「高畑勲」と同じくらいに、真面目なのであり、それは少なからず、尊敬する高畑勲から、意識的に引き継いだスタンスだったのではないかと、私は睨んでいる。

だから、そんな、宮村優子が評するところの『う〜んう〜んと言いながらジリジリ進んで』いる庵野秀明という人を、私は支持し、擁護しないではいられない。
「自分が楽しい」ことしか考えないような「ノータリンの子ども大人」などに、彼を潰されせるわけにはいかないのである。

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さて、本稿の主たるテーマについては、以上で語り尽くしたと言っても良い。

ただ、これだけでは、本書の著者である、宮村優子に申し訳ないから、最後に、彼女についての、私の感想や評価も語っておきたいと思う。

『 ゆっくりと扉を閉めること

林原:私が昔、宮村は、安野モヨコさんの『ハッピー・マニア』の主人公に似ているって話したこと覚えてる?
宮村:ああ、重田加代子。
林原:そうそう。そんな話で盛り上がったときに、あなたは私の両手をがしっとつかんで「林原さん、私のフクちゃん(福永ヒロミ)になってください!」と言ったの、覚えてる? フクちゃんというのは加代子の親友で、いつも相談に乗っている人物なんだけど。
宮村:私はよく失敗するんです。例えば、ウソをついている人を見分けられなくて騙されてしまう。でも林原さんからすると「そんなもん一発でわかるでしょ!」という感じらしくて。なんか警告ランプ……パトランプみたいなものが回るらしいんですね。林原さんからすると。で、私はそのパトランプがなくて「めっちゃそのパトランプほしい! どこに売ってるんですか!」みたいな感じで。だから、林原さんにフクちゃんになってもらって一緒に住んでもらえたら私はすごくハッピーなのに! って思っていたんです。一緒に住めばはもちろん冗談ですけれど(笑)。
林原:宮村は久しぶりに会ったとき、いまどういう精神状態にいるかわかりやすいよね。上にいるか下にいるか、どっちかしかなくて。「あぁ、いま、地下3階かな」とか「いま屋上にいるな」とか。真ん中は無いのか真ん中はと(笑)。
宮村:「聞いてくださいよ、林原さん!」と会うなりテンション高く話しかけにいく(笑)。
林原:「こんなことがあってこんなことがあってひどいじゃないですかー!?」「ひどいじゃないですかの前に気づいて……」と私は思うけれど(笑)。気がつかない分、相手に向かって全身全霊で扉を開けるけれど、あるとき「あれっ? 間違っていた」と気が付いたとき、ゆっくり扉を閉めてフェードアウトすることができなくて急にバーン! と勢いよく閉めるでしょう。すると相手は当然、まだ扉が開いているものだと思って「あんなに開けてくれていたじゃないか!」となんなら逆上するわけですよ。
宮村:そうなんですよね。ただそういう時は「うん、そういうことだから、じゃあまたね……」とゆっくり扉を閉めなさいと林原さんに教わりました。
林原:これまで随分、諭してきたけれど、学んでいると思えない(笑)。
宮村:なんで学べないのかなあ(笑)。
林原:例えば、急にオーストラリアに行っちゃったのもすごいよね。ご家族の都合もあるとはいえ、仕事もあるのに、その決断もすごいし、仕事は辞めずにオーストラリアから日本まで通うと「ジェットスター(航空)、さまさまです!」と言っていたことにも驚いた(笑)。
宮村:声優一、ジェットスターに乗った女です。オーストラリアに行ったときは、私にとっては「いや、当たり前じゃないですか、行くに決まってるじゃないですかー」と100%迷いませんでしたが、いまから思えば、なんで私はあんな決断をしたんだろうなぁと考えるようにはなっています(笑)。
林原:うん。オーストラリアの日々を否定するわけでもないし、行ったことで広まった友人関係やわかったこともあるだろうから、悪いわけでは全然ないけれど、その突飛さはなかなか……。独特の気質ですよ。
宮村:ですね……。
林原:逆にそれを閉じ込めると苦しくなっちゃうだろうから気質は持ったままでいいと思う。ただ、屋上にいることを自覚しないではしゃぐのではなく、屋上にいることをわかったうえではしゃぐことをこれからは学んでほしいよ(笑)。「落ちるぞ、一歩でも出ると!」「落ちるまであと3歩だぞ!」というような危険な場所で「ヒャッホー!」とはしゃいでいるから心配になるよ(笑)。
宮村:「林原さん、聞いてくださいよー! 落ちると思わないじゃないですか! わあ〜!」(笑)。
林原:「いや、落ちるぞって言ったでしょう!」(笑)。このニュアンス、読んだかたに伝わるかしら(笑)。』
(P166〜169)

これを読めば、彼女が「どういう人か」は、おおよそ分かっていただけるだろうし、それは彼女自身、インタビューで、自分について「発達障害」「コミュ障」といった言葉を出しているとおりだとも言えるだろう。
要は「悪意はないのだけれど、視野が狭く、しばしば『一直線』『猪突猛進』になってしまう、子供のような人」だということである。

そして、この対談集での対談相手、特にかねてからの友人・仲間に関して言えば、そんな彼女を「困った奴だな」と思いながらも、その「個性」を受け入れて、目にかけてくれた人たちだと言えるだろう。
言い換えれば、宮村優子には、そう思わせてしまうような「無邪気な可愛らしさ」があるのだ。

無論、それは、常識的に言えば「傍迷惑な奴」でしかないかもしれないし、私自身、同僚としては、つきあいたくないタイプなのだが、しかし、彼女が「表裏のない憎めない奴」であるからこそ、信用できるという部分も、たしかにある。

そもそも、いくら「アスカ」に掛けているとは言え、自身の対談集のタイトルを『明日から五十路』なんてものにしてしまう「空気の読めない」奴に、悪い(狡猾・小狡い)奴などいないのである。

(2023年5月16日)

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