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じゃんぽ〜る西『おとうさん、いっしょに遊ぼ ~わんぱく日仏ファミリー!~』 : ぼくたち男の子、きみたち女の子?

書評:じゃんぽ〜る西『おとうさん、いっしょに遊ぼ ~わんぱく日仏ファミリー!~』(FEEL COMICS・祥伝社)

「子育てエッセイ漫画」である。
私は、自覚的に子供も持たなければ結婚もしなかった人間ではあるけれども、子供はわりと好きである。と言うか、身も蓋もなく言ってしまえば、可愛いものが好きなので子供も好きなのだが、言い換えれば、可愛くない子供は好きではない。
自分の子供を持てば、脳内ホルモン的に、嫌でも可愛く感じるようになるのだろうが、そういうのは嫌だし、この先の世界を考えれば、子供を持つということには、重大な責任がともなうと思うので、個人主義の快楽主義者である私としては、堅実賢明にも、子供は持たないことにしたのだ。

で、なぜ本書を買ったのかと言えば、表紙に描かれた男児が可愛かったのはもちろん、その表情がとてもリアルなのに感心したからだ。いわゆる「萌え」的な可愛らしさではなく、リアルな子供の表情として可愛かったので、作者の子供に対する観察眼に敬服して、購入することにしたのである。

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さて、このような作品に対する、読者の反応というのは、おおむね「可愛い」と「あるある」だというのは、容易に想像できよう。だから、私はそのようなことは書かない。
本書は、「幼児観察&考察マンガ」として十二分に興味深く面白かったのだが、多少、疑問に思ったところもあったので、その点に限定して、思うところを書いてみよう。

まず、作者の次男は、とても本好きである。まだ幼いから、特に絵本が大好きなのだが、著者である父親のじゃんぽ〜る西は「この子は絵本のどこに惹かれているのか?」という問いを立てて、我が子を観察する。

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これは、とても重要な視点だ。と言うのも、多くの親は、子供が本好きだというと、それだけで喜んでしまい、子供がどのように本を楽しんでいるのかということまでは考えないからである。
しかし、言うまでもなく、本の楽しみ方というのは、大人と幼児では同じではない。同じところもあるけれど、全然違ったところもある。その違ったところを観察によって見つけることで、作者は幼児にとって大切なものが何なのかを考えていくのである。

しかし、問題は、作者の子供が二人とも男の子だという点だろう。
本書の帯には、『子供の心、いっしょに覗いてみませんか?』という惹句があるけれど、果たして、著者の子である次男の観察結果を、どれだけ一般的なものとして理解していいのだろうか。

例えば、著者は、その観察から、子供は「本」を、その「中身」だけではなく、「物」として愛着するのではないか、という仮説を立ててみせる。つまり、本が紙の束であり、頁をめくっていくという動作的な快楽が、本にはある。また、絵本などが、しっかりしたハードカバーとなっているのは、子供向けに頑丈に作ってあるというのは無論だが、その手応えが、子供には喜ばれるのではないか、と考察したりする。
また、男の子は概して「働く車の本」が好きである。「働く車」が好きで、さらに言うならダンプカーやショベルカーのような大きくて頑丈な車が好きだし、少し大きくなるとパトカーや消防車が好きになることが多い。

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さて、このように、著者の次男に見られる傾向は、子供を持つ親からは「あるある」として喜ばれるのだろう。しかし問題は「女の子ならどうなのか?(同じなのか?)」といったことであり、であるにも関わらず、そうした点にまでは、著者の考察は及んでおらず、読者の多くもまた、たぶんそうした点に気づいていないところに、私は疑問を感じたのである。

つまり「共通点」を見つけるのは、たしかに面白い。しかし、その場合にしばしば、「違い」の方が見過ごされがちだというところに、問題が残るのだ。

例えば、「本好き」ではない子供もいるし、男の子でも「働く車」が好きにならない子もいる。逆に女の子でも「働く車」が好きになる子も稀にいるだろうが、一般に女の子は「可愛いもの」が好きになりやすく「お人形さん」などを可愛がったりするが、これは「先天的な性差による傾向」なのか、それとも「生育環境と、そこでの文化的刷り込みによるもの」なのか。あるいは、その両方なのか。

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無論、このような問題は、そう簡単に答えの出るものではないだろうから、1冊の「子育てエッセイ漫画」には、荷が勝ちすぎていよう。
しかし、問題は、著者がそうした「差異」の問題については、さほど気を配っておらず、自分の息子から、普遍的な傾向を無邪気に読み取ろうとしている点なのである。

『子供の心、いっしょに覗いてみませんか?』と簡単に言うけれど、本作で覗けるのは、著者の次男の心の一部であって、普遍的な『子供の心』ではない。
「そんなことはわかっている」と言う人もいるだろうが、大人の方こそ「子供」を「子供」として、安易に類型化して見ているのではないかと、私は疑ってしまう。
例えば、男の子が「車の本」が好きで「大きく強そうなものが好き」だった場合、「さすがは男の子だな」とあっさり納得してしまい、そこにあるはずの「ジェンダー」の問題を、あっさりとスルーしてしまうのではないだろうか。

息子が「男の子らしく」、娘が「女の子らしい」のは、実は、彼・彼女らが、もともとそうなのではなく、親が無意識のうちに、そのように育て上げたということではないのか。
そのへんを「疑ってみる視点」が、こうした「子育て本」にも必要なのではないだろうか。

言うまでもないことだが、子供は親の「人形」ではないから、そう思いどおりには育ってはくれず、いずれ「可愛くなくなる」かもしれない。その時に、その「可愛くない子供」を尊重できる親であるためには、「可愛い可愛い」で満足しているだけではダメだと、独身の私は、誰よりも「可愛くない子供」たちのために、「大きなお世話」をしたいのである。

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