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施川ユウキ『バーナード嬢曰く。 5』 : 〈町田さわ子〉的レビュー

書評:施川ユウキ『バーナード嬢曰く。』第5巻(REXコミックス)

本巻の「あとがき」は、2020年の4月6日、新型コロナウィルス騒動の真っ最中に書かれたものだが、私がこのレビューを書いている今日・同年5月24日も、私の住む大阪では非常事態宣言こそ解除されたものの、まだまだコロナの影響下にある。
と言うか、今日は約一ヶ月半ぶりに自粛閉店明けの紀伊国屋書店梅田本店に行って、本をまとめ買いしてしまった。そのうちの1冊が本書である。いつものように『ド嬢』を、刊行即買い即読みができなかったのは、この営業自粛の期間中は、意識的に新刊のチェックをしないで過ごしたからだ。

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なんで新刊をチェックしなかったのかというと、紀伊国屋書店が開いている平時は、嫌でも会社帰りに足を運んで新刊をチェックして、そのあげく読めないほど新刊を買ってしまうのが常なので、この期間中は溜まった積読本を少しでも読もう、特に古典的なのを、と考えたからである。

で、まず読んだのが、長年の懸案だった志賀直哉
夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介などなど、日本の近現代文学史を飾る代表的な(教科書に載っているような)作家の代表作くらいは、ひととおり読んでおきたいという気持ちはあるものの、いろんなジャンルの本を読んでいては、それもなかなか容易なことではなかったわけだが、今回やっと、志賀直哉の短編集『小僧の神様・城の崎にて』を読むことができた。
しかし、これに収められていた、志賀自身の不倫事件を書いた連作を読んで「なんだ、このクソ野郎は!」ということになってしまった。たしかに、清澄な文体の冴えた短編も少なくない優れた作家だが、こんな奴を「小説の神様」呼ばわりするのは、いくらなんでも持ち上げすぎだろう、とそう思ったのだ。
しかし、1冊読んだくらいで、そう決めつけることもできないと、結局は新潮文庫で刊行されていた残りの4冊『和解』『清兵衛と瓢箪・網走まで』『暗夜行路』『灰色の月/万暦赤絵』と読んだ上で、自分なりの「志賀直哉論」をAmazonへレビューとしてアップし、決着をつけた。
そしてその後に、これまでどんな「志賀直哉論」が書かれてきて、志賀の今の評価があるのかと思い、「志賀直哉論」でググってみると、中村光夫の『志賀直哉論』を見つけたので、これも読んでみた。こんな機会がなければ、中村光夫を読むことなど生涯なかったかもしれない。読んでみると、中村の志賀評価は、だいたい私と同じだったので、(自分なりの志賀論を書いた)あとで読んで良かったと、ド嬢(町田さわ子)のようなことを考えた。

そんなこんなで、コロナによる自粛期間だから読めた古い本としては、他に、鈴木幸夫編『推理小説の詩学』中江兆民『三酔人経綸問答』ベネディクト・アンダーソン『菊と刀』正宗白鳥『作家論』福本博文『心をあやつる男たち』といったところ。前々から「これ(くらい)は読んでおかねば」と、とにかく気になっていた本の、ごく一部だ。
しかし、これらを読んだおかげで、未読の「気になる本」として、永井荷風の『墨東奇譚』葛西善蔵の『子をつれて』ほか何冊かを、古本で買ってしまった。だが、今日は紀伊国屋書店で新刊を11册も買ってしまったのだから、そっちはまた、積読の山に埋もれさせてしまいそうである。

一一で、なぜ肝心の『ド嬢』第5巻の感想も書かずに他のことばかり書いたのかいうと、書こうと思っていた「町田さわ子と神林の友情物語」の部分については、すでに多くのレビュアーが書いていたからで、紀伊国屋書店の再開に合わせて出遅れてしまったためとは言え、人と同じことを書いてもつまらないので、他の人は書かないであろう、ちょっと捻ったことを書いてやろうと、町田さわ子のようなことを考えたからである。

ちなみに、今はヒトラーの『わが闘争』を読んでいるのだが、なかなかウザい文体で、かなりしんどい。

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初出:2020年5月24日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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