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阿部共実 『潮が舞い子が舞い』 : 「参りました」と言いたくなる 天才ぶり

書評:阿部共実『潮が舞い子が舞い』第1巻(少年チャンピオン・コミックス・エクストラ)

ひさしぶりに阿部共実を読んだのだが、まったく隙のない、それでいて完璧な緩急を備えた、この「密度の高さ」は何なのだと、あらためて驚かされていた。
それぞれのエピソードが、内容的に被ることなく、それぞれに面白く、水準が高い。しかもまた、作品全体としての流れを無理なく構築しているのだから、どこにも注文のつけようがない。
普通は、一巻のなかでコレはというエピソードが一つか二つあれば、それでもうその作品は、充分に優れた作家による手堅い傑作と呼べるのだが、本巻の場合は、すべてのエピソードが高い水準で完成されているのだ。これはもう、作者が「天才」の持ち主だという他ないだろう。並みの人間業ではないのである。

私が阿部共実の作品に初めて触れたのは、2015年の話題作にして代表作『ちーちゃんはちょっと足りない』だったが、この作品には心底打ちのめされた。こんな凄い作家がいたのか。これはもう「マンガ」という一表現ジャンルを超えた、正真正銘の傑作だ。一一そう思った。
適切な表現が思いつかないのであえて使うが、これはもう「文学を超えた、文学的な作品」だと思った。
もとより、マンガが文学より表現ジャンルとして下だなどと言いたいのではない。どんなジャンルにも傑作や駄作などの個々の作品があるだけで、分類概念としてのジャンルに上下貴賤などないのは当然なのだが、私が言いたいのは、文学が得意とし、文学が突き詰めてきた「人間を描く」という表現形式において、つまり文学的描写水準において、阿部共実は極めて高度な作品を実現している、という事実なのだ。

周知のとおり、阿部共実の天才は、その非凡な「人間観察とその描写」にある。さらには「子供の体現する純粋さ」へのこだわりがあり、それ故、時に、息苦しく残酷なまでの「内面的な突き詰め」がなされもする。

だが、本作では、そうした「内面的な突き詰め」を表には出さず、高校生男女の「たわいのない中にも、懸命に日々を生きる」姿が愛情をもって描かれている。だから、登場人物たちの誰もが、読者それぞれの「愛おしい人々の記憶」とリンクしてくる。「ああ、そうだよなあ」と、記憶が鮮やかに喚起される。

言い変えれば、多くの人が日常の中で、時間の埃に塗れさせ、埋もれさせてきた記憶を、阿部は天才考古学者のごとく的確に掘り起こしてみせる。そして、その記憶は、いっとき確かに息を吹き返すのだ。

その手際は、ほとんど神がかりで、これではもう「天才の業」と呼ぶしかないのではないか。

初出:2020年6月26日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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