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山口つばさ 『ブルーピリオド』 : もちろん 〈フィクション〉だ

書評:山口つばさ『ブルーピリオド』第1巻、第2巻(アフタヌーンコミックス)

長編マンガはほとんど読まないので、この作品を知ったのも、すでに第7巻まで刊行されており、「マンガ大賞2019」の第3位にもランクインして、人気作品として評価や売れ行きも定まった、その後のことである。
この作品を「試し」に読んでみようと思ったのは、以前から「小説家」としても高く評価していた美術家の会田誠がひさしぶりに刊行した長編小説『げいさい』を読み、それに関連しての、本作作者・山口つばさとの対談記事「日本一受験倍率が高い 東京芸術大学絵画科卒の二人はなぜ美大受験を描くのか」を読んだからである。

さて、試しに2巻までを入手して読んでみた感想だが、まずストーリ−マンガとしては「王道」をいく作品で、広く評価されるのもよくわかるし、また、芸術系の人間の生態や心理をじつに的確に描いた佳作であるとも思った。
ただし、同じことを別の言葉で言い変えるなら、これは「無難な傑作マンガ」だとも言えよう。つまり「エンタメ」としては満足いく出来ではあるものの、「芸術」作品ではない、ということだ。

無論、こんなことは作者自身、十二分に自覚しているだろうし、そのうえでこういう「エンタメ作品」を描きたかったのだろうと思うから、「芸術ではない」という評価は、決して否定的評価ではないというのも理解してくれるだろう。世の中、「芸術」であれば無条件に有り難い、というわけではないのである。

その上で、本作について、以下に個人的な感想を述べておきたい。

本作が「エンタメ」に止まらざるを得ないのは、言うまでもなく、主人公が「天才」だからである。
もちろん、主人公は、初めから芸術的な才能を全開にして、他を寄せつけない「わかりやすい天才」としては描かれていない。なぜなら、それでは「お話」にならないからである。

野球マンガでも格闘技マンガでも将棋マンガでもそうだが、「王道」を行く「万人ウケする」マンガというのは、「多くの読者」に近い位置から、主人公の「成長」を描くもので、いきなり読者の劣等感を刺激するような「高み」から、物語を始めたりはしないものなのだ。
仮に、主人公の成長していった先が、人間を超えた「神の領域」であり、そんな人間は「もともと非凡」であるに決まっているとしても、それを最初から正直に出してしまっては、読者を選ぶことになってしまう。だから、主人公の「天才」は、最初は隠されていて、それがひとつひとつステージを上げていくごとに、「小出し」にされるのである。
作者はそのようにして、まるで「平凡な主人公」が「熱意と努力」で「天才たちのひしめく世界」へと駆け上がり、駆け抜けていったかのように「読者を欺く」のだが、この「王道」的構成は、本書でも忠実に遂行されている。

本作の主人公が「非凡=天才」だというのは、「努力が実る(報われる)」という点に明らかである。
若者向けの作品においては、主人公の「努力が報われない」というような「リアルな描写」は、きわめて例外的なものである。これは、読者である若者たちへの「教育効果」(「努力は報われるよ」という、有益だが不確実な、励まし)ということもあろうが、より根本的には「物語を破綻させないため」である。

平たく言えば、主人公の成長が完全に止まってしまえば、物語はその推進力を失って座礁してしまう。だから、多少の曲折は、物語展開の単調化を避けるために必要だとしても、主人公の成長が完全に止まるのは、物語の完結までは、決してあり得ないことなのだ。
仮に「才能の限界によって、その道から脱落する」という「平凡かつリアルな現実」が、その物語の中で描かれるとしても、その「現実」を担うのは、主人公の友人だのライバルだのであって、決して主人公ではない。主人公は、そうして脱落していく人たちの「現実」をも背負って、さらに「天才」の道を歩むよう、「作者という神」から運命づけられた存在なのである。

実際、「才能の有無」というのは残酷であり、熱意や努力だけではどうなるものでもない。
無論、熱意や努力は「最低限必要なもの」であり、その意味では「熱意や努力も、才能のうち」なのだが、それだけでは、芸術家志望者が夢見るような「一流の芸術家」にはなれない。
もちろん、二流や三流で良いのなら、なれる人はぐっと増えるし、現にそういう人たちが大勢いて、それぞれに活躍したり、芸術の世界から去っていったりしているのが、この世界の「現実」なのだが、物語の主人公には、そういう、脇道はゆるされない。
彼が、いかに苦しもうと苦労しようと、時にはそこから逃げようとしても、結局のところ彼は、その「王道」を進んでいくことを、作者から運命づけられているのである。

したがって、本作の主人公は、まぎれもなく「天才」である。「最後には勝つ」ことが保証された「才能」、そんな現実にはあり得ない才能を与えられた彼を、「天才(の持ち主)=神に愛された人」と呼ばずして、ほかにどう呼べるだろうか。

本作のなかで語られる「芸術論」や「芸術家像」は、きわめてオーソドックスかつ正しいものだと思う。だが、いずれにしろ、それらが問題となるのは、あらかじめ「才能」を与えられた人たちの間での話だ、という「現実」は否定できない。

「天才たちの物語=勝者たちの物語」にも「葛藤や挫折」はあるだろうし、それはそれでドラマティックでもあれば感動的でもあろう。
しかし、「熱意や努力」だけではどうにもならない「現実」があるという点を、主人公を通して、真正面から描けそうにない点において、私は本作の続きに、いまひとつ惹かれないというのもまた、否定できない現実なのである。

初出:2020年9月25日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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