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本能寺の変1582 見えてきたもの 7-4 不忠者 第1~12話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

見えてきたもの 

7 光秀の決意 4 不忠者 第1~12話 

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重要 ◎目次 
→重要 ◎目次小 抜粋区分 第1~20話 第21~40話 第41~ 話 

光秀は、度々、主君を替えている。

 土岐氏 → 不明 → 細川藤孝(?) → 足利義昭 → 信長

光秀は、二度、主君を裏切った。

光秀は、二度、下剋上を実行した。

 一度目 元亀四年1573 将軍足利義昭 → 追放
 二度目 天正十年1582 信長     → 殺害

光秀は、不忠者。

忠義心の薄い男だった。

これを、言い換えれば、次のようになる。

光秀は、きわめて、自立心の強い男。

独立心の旺盛な男だった。


その光秀が、肚を決めた。

・・・・・・・・・・。




 ⇒ 次へつづく


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 「本能寺の変」
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