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自分の人生を自分で決めて選ぶも良し、選ばぬも良し。

○○した方が良いって言うからやったのに、上手くいかなかった!とよく母親を責めていました。
でも私は自分の意思で体を動かしている人間であってロボットではないので、他人に何言われてもどう行動するかの最終判断をしていたのは自分なのに、それに気付けず母親の方を責めてしまっていたのでした。

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私の個人的な考えになってしまうのですが、生きる上でしないといけないことってそうないなと考えています。

もちろん生きるのが楽になるためにやった方が良いことはたくさんあるし、日本で生きる上では法律で定められてる義務とかもあるのでしょうが、~するべきと思い込んでるものは自分でそう決めているだけで、絶対であるものはそうないはずだと、何ごとも当たり前にならないように気を付けています。

そんな私の価値観で自分の人生をどう選んでいくかを考えると、周り(特に親)の言うことに従ってイエスマンとして生きるのもありだし、自分で自分の人生を決めていくのでも、どちらもありだと考えています。

世間では後者の方が良いとされるのでしょうが、イエスマンにもメリットがあります。
自分の頭使わなくて良いので、知識なくても勉強もしなくてOKで難しいこと考えなくて済むし、責任も回避できちゃう楽さ。

自分で自分の人生を選ぶとしたら無限に近い選択肢の中から、何が自分に良いのか調べて考えて挑戦しないといけなくなります。
失敗もあるでしょうからその時にまた別の良さげな方法考えなきゃですし、もしかしたら何かの責任かぶらなきゃいけないかもしれません。

なので、楽さを選んでイエスマン人生選ぶ人が一定割合いて、私はそういう生き方もありだと思うんです。

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少し話変わるかもしれないけど。
引きこもりだった時期も今振り返ると、自分でお金を稼がず親の庇護下で生活することは、働くうえで請け負わなきゃいけない責任や労力を免除されてる分、自分の人生で選べる選択肢を減らすという生き方だったなと。
当時はメンタルの調子が悪くて負いきれなくて免除されてるものがあること、解っていないまま不満ばかり持ってたんですね。

それが途中からは、自分で働くときに請け負う責任や労力を背負ってでも、自分で自分の選べる人生の選択肢を広げたくなって(=好きに生きたくなって)、でも初めから上手くなんて行かなくて七転び八起きしながら、自分の人生の幅を広げてきたのだなと振り返っています。

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自分の人生をイエスマンで言われるまま生きる時期もありだと思うし、好きに生きるために自分で考えて選ぶのも、どちらもまた一興だと思うのです。

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