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憂鬱な気分が持つ、この中毒性は何物だろう?

鬱やメンタル不調から回復するのはいい事なのに、回復している自分に何となく淋しさを感じる。
メンタルが悪いのはつらいけど、つらさと同時に重だるいような心地良さも、無くはない。

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今回は表題の"憂鬱さの中毒性の理由"に結論、付きません。

不登校から引きこもりになって、一番強い薬を最大量飲むほどにメンタルの調子を崩していたところから、投薬治療しかしない主治医を自分の希望で変えて転院してから、落ちるばかりだったメンタルは回復へ方向性を変えはじめました。

メンタルが回復するのは良いことで、徐々に少しずつですが、つらさの度合いが減っていきました。

それなのになぜか、良くなっていく自分に淋しさを感じることがあったのです。

辛いどん底の自分が、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の中に出てくる後ろから主人公を追う罪人のように、足を引っ張るように縋り付いているようで、良くなろうと上がっていこうとする自分を元に戻させるような圧力とも言えるような心の動き。

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憂鬱な気分にどっぷり浸かるのは、嫌だけど、気持ち良さもあるはず。
世の中を呪い、自分を憐れむ自己憐憫の感覚はときに快楽を伴う。

それはダメだと分かっててもやめられない甘いものみたいに。
良くないと気付きつつもかじりつくSNSのあの感覚にも似てるかもしれない。

この憂鬱の甘い中毒性の感覚は、私だけが感じるなにか変態的で倒錯な感覚なのかもと、はじめはそんな自分を残念に思ってたのだけどそうではないみたい。
たまに似たようなことを書いてる記事に遭遇するから、何も私だけの特別な感覚ではないのだと思うの。

それならこの中毒性がどんなものなのかと少し調査してみても、調べ方が悪いのだろうけど、理解が深まるようなページは見つけらなかったのです。
ググっても出てくるのは依存性のことばかりで、憂鬱な気分への中毒性には辿り着けずで。

でも、依存と似たようなものなのかもしれない。
抑うつの気分もきっと甘だるいような依存性を持つのでしょう。

だって本当につらいだけなら、直火の炎の中に手を入れたままに出来ないように、その中に居られずにもっと必死にもがくだろうと思うから。

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つらいだけではないモラトリアムな憂鬱は、甘さも伴う痛みだと感じるのです。

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