好きに生きるのもちょっと怖いな、練習が必要なのかも。

先日の接触事故で、自分の運転知識が足りないことを痛感して、ちゃんと免許取ろうと思いました。

一発で取ったら奢ってもらうという賭けで、五年前に取った原チャの免許を去年からお仕事で使いはじめた人。

身分証明書として四年も寝かせすぎてて、交通ルールもだいぶ忘却の彼方になってたところを、先輩のバイクのお尻追っかけて実地で走り方覚えたものの、細かいルールは怪しかったところの事故で反省したのでした。

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汎用性で言ったら四輪なんだろうけど、それより二輪の方がときめくからその気持ち大切にしたくて、単車の免許取ろうと決めました。

そしてどうせ単車の免許取るなら、ハーレーにも乗ってみたいし、一気に大型まで取っちゃえ〜とワクワクしていました。

でも家から数分の教習所だといきなり大型二輪取得は出来ないと言われて、ワクワクなテンションから泣く泣く中免取ることに。

(と言いつつも中免でもけっこーワクワクする)

そんな多少の妥協もはらみつつ、中免取るために入所申込みに昨日行ったんだけど、そこの車校は予約システムがなんか変な所だったの。

生徒が多く混み合っててなかなか教習取れないシステムだし、キャンセル待ちしたとしてもすごくがんばったらちょっとは取れるかもだけど保証はないと言われ、先が見えなのが苦手な性分の私は「そんなシステムなら(精神的に辛いだろうから)、いいです!」と席を立って出てきました。

あのお客に寄り添わないで向こうの都合だけで進める感じ、利用者をすごく低く見られてる気がして嫌だったんだ。

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でもやっぱり免許ほしいもんで、すぐググッて次に遠い教習所に質問の電話。

色々聞くとスケジュール先々まで決められる良い感じな予約システムがあって、何と数少ないいきなり大型二輪も取れちゃう教習所!

これから申し込みに行きますと伝えて、道中向かいながら考えるのです。

中免取る用に用意してた手持ちのお金だと、当たり前に大型には足りない。

貯金も更に減らしちゃうし、安全牌としてまずは中免取るのもいいかもしれないと道中の向かい始めは考えてたんだけど、いやいやこれは神様が本来取りたかった大型二輪のチャンスだよって言ってくれてるのかもしれないし、大型と中免のどっちがワクワクする?と考えた時に、大型取ろうとコンビニATMに駆け込んだのでした。

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大型を取るためのお金が無いのに無理に取るのは話の質が違うけど、取るためのお金があるのに変に安全牌を求めて妥協して中免を取るということは、私は妥協する人生を送るだけの価値しかない人間だと自分に伝えてることになるんだろうと思って、それは嫌だし、ちゃんと自分という存在は大切なのだと自分に伝えたいと思って、襲ってくるお金のざわざわがに負けずに自分の価値を信じて、大型二輪の申込書にハンコしてお支払いしてきたのです。

行動することやお金を払うことはすごく怖かったから、油断したら今までのように自分の本当の望みを無視して自分をぞんざいに扱ってたかもしれないけど、ここのところずっと意識しているありのままで等身大の自分を大切にする練習していたからそこ、今回はターニングポイントなんだと思えたはずなのです。

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何かを選択するとき、その選択に妥協はないか。

あるなら何故妥協してしまうのか、引き続き掘り下げてみたいと思います。

(そして免許は可能な限り最短で取れるようにがんばるよー!北海道ツーリングしたいのだ!!)

生きづらさ応援の活動をしています。