彼女の文章は自分を受け入れない他者への怒りであふれている
読ませていただいているその方のブログ。
生きづらさを抱えながらも、出来る範囲で活動をがんばってらっしゃる方。
こっそり応援させてもらっている方。
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彼女は取り組まれている活動や、精神的変化や体調についてを書かれてる。
ただその行間から、とても強い怒りの匂いがするの。
戸惑いや嘆きは書かれてるけど、直接的な怒りの内容としては言及されてないし、本人もそんな匂いをさせてるなんて思ってないのかもしれない。
もしかしたら私がHSPで受け取るものが特殊だから感じる匂いなのかもしれないけれど、とても強い怒りの匂いを私は受信してしまう。
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彼女は世間や家族に売れ入れてもらえないことを嘆いていて、その気持ちは察するに余りある。
問題を解決するためにやったら良いだろう実効性のあることは、そのブログを読んでていくつか脳裏に浮かぶのだけど、彼女はそれをしないだろうことも想像がつくのです。
状況が変えられない、理解もされない!と抱えた怒りでグラグラ心煮え立つステージから、移ろうとしないように見えるから。
ただ私はそのステージから抜けないといけないとも思ってないのです。
私自身の経験として、つらいし嫌やだけどそのステージに拘ってしまう時期もあったから。
抜けたい気持ちもあるにはあるけど、何でなんだろう、怒っていたい時があったんだよね。
たなみにだけど、そのステージを早く抜けるには、怒る自分を見て見ぬふりせずに、怒る自分をちゃんと受け入れて見つめ直して、怒りの感情をちゃんと味わいきることだと思ってるよ。
味わいきらないことには、何故か次のステージに移る階段への扉が開かないみたいなんだよね。
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そして彼女の怒りの裏には、期待がある。
というか、心理学的には怒りの多くは満たされない期待が起こさせるもの。
世間や家族が自分を受け入れてくれることへの期待を手放せなくて、でも実際は自分の持つ期待に沿わない現実の、受け入れてもらない現状があるから、彼女はああも怒りを匂わせるのだろうなと私は読んでいます。
ということは、期待をどうしたら手放せるか。
これも私の場合だけど、期待して叶わなくて怒って怒って怒って、怒ってもどうにもならないじゃんと諦めることでした。
諦めることって、時に生きやすさのための薬になるんですよね。
どうがんばっても私の父の毒っぷりは変わらないし、私は女という性別を変えられないし、持ってる難病で薬飲まなきゃ半分が死ぬ体質であることは治らない。
どんなに怒っても嘆いても腐っても変えられないなら、もう諦めるしか選択肢なくて、しがみついてた期待を捨てて受け入れちゃったら、楽になったんだ。
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私は、彼女は絶対回復すると信じているんだ。
実際に回復するかは別の話として、彼女の可能性を信じてる。
(それは全ての人に思ってることでもあるんだけど。
今絶望のさなかに居て、やさぐれてて、回復なんて望んでないような人でも。
それはあれだけ落ちた私がそうだったからなのかもしれない)
彼女のことは勝手に愛おしく思う。
その怒りの匂いすら。
ここで勝手に信じていて、勝手に応援しています。
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