記事一覧
note開設にあたって
初めまして。眞田真紀子と申します。
イタリア語の全国通訳案内士として2018年に稼働した矢先の新型コロナウイルスによるパンデミックで、予定していた仕事を今年の予約分は現在のところ少なくとも9月分まで、ほぼ全てを失いました。これからもキャンセル続出となるのは間違いないでしょう。
今年の仕事もそうですが、来年もどうなるか皆目わからない中、いま自分ができることって何だろう、と、この数ヶ月は考え続けて
「間違える」ことが「悪」の日本文化
会議で間違ったことや稚拙なことを言えない。
間違えたら嫌だし恥ずかしいから、授業で手を挙げられない。模範的な回答を思いついたら手を挙げる。
先生に名指しされて仕方なく答えたら、簡単な問いにもかかわらず間違った、或いは頓珍漢な答え方をしてしまい「そんなこともわからないのか」と周囲がなぜか上から目線となって嘲笑の目を向けたり、見下した態度をとったりする。
ドラマでも、また普通に放送されるバラエテ
今のうちにとデジタル本やら紙本やらと読みたい本が目の前にどんどん積み上がってきてしまった。家の中に埋もれていた全集まで引っ張り出し、その日その時の気分で十何冊と並行して読み進めている状況…ここ数日は読む時間が割けなかったので、日中に手に取るのは久しぶり。読むのはやっぱり楽しい。
NHK「新日本風土記」日本橋〜地元に根差すという生き方の根底にあるもの&今の政治の行方
録り溜めていた番組の中から「新日本風土記」の日本橋編を視聴(2014年7月18日放送のものがコロナ禍で再放送された)。エピソード一つ一つが昔ながらの日本の心意気と矜恃に溢れていた。
「民度」という言葉が最近は脚光を浴びているようだが、日本の民度の高さは、こういう江戸の町人文化のような伝統の中にあるのだろう。真っ正直にしかし知恵を絞って丁寧に働き、仲間やお客さんを敬い、生まれてくる子供たちや土地を
生活目線で考えたイタリアの新型コロナ感染パンデミックとウイルスが蝕むもの
5/24(日)、5/25(月)と2日間にかけてFacebookに投稿した記事をまとめ、少し書き直した。国家的政策やシステムの話は抜きにして、イタリア人の文化生活習慣や地理的環境など身近な生活経験からの考察として、そこから派生する所感も含めて記しておきたいと思う。なので、感染の話題に関しては科学的知見ではなく、あくまで所見であることを断っておきたい。
======================
子供は大人より現実をありのまま受け取るセンサーのような生き物である(日馬富士の浴衣地マスクからの一考)
我が家は家族全員花粉症で、特に母は1970年代のオイルショック経験世代主婦だから、必要以上に(スペースも無いのに)家にストックを置いておこうとする癖が今だに抜けず、それが幸いして何とか騙し騙し昨年の不織布マスクで凌いでいくことができた。しかも私はほぼ失職状態となったし、花粉にまみれてそれを家に持ち込む外出仕事から解放されて(←というと大いに語弊があるけれど)自宅に引きこもっていれば良いから、その分
もっとみる日本はヘンなところで贅沢なのだ〜イタリアでの就職活動番外編覚書
5月21日付けでFacebookに投稿した内容のコピペ。
最初の記事と語調がいきなり違いますが、記事により変幻自在となる可能性は大アリです。
==========================
イタリアでは箱ティッシュを買うなんて勿体なくて携帯用(しかも日本製のように洗濯したら超悲惨、な目には絶対遭わない頑強この上ない頼もしい奴。さらに4層になった1枚1枚を丁寧に剥がして薄い一枚づつを出し