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私の履歴書

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経歴が雑多なのでとりあえずこの中に放り込み。写真はイタリア中部トスカーナ州マンチャーノの町を出ると広がる黄色い花でいっぱいの丘からの風景(1998年6月)。
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子供は小さくても世界を見ている(昔のマレーシアから始まった思考の原点)

子供は小さくても世界を見ている(昔のマレーシアから始まった思考の原点)

このコロナ禍で時間がポッカリとできたこともあるが(その割には日々が飛ぶように過ぎていくが)、特に早朝目が覚めると、これまでの人生では有り得ないほどに、過去のいろいろなことが思い出される。気味の悪いほどに。

ひょっとして、私は年内にあの世からお迎えが来るんじゃないか?というぐらい、日中でも何かをきっかけに頭から記憶の風船がブワッと膨らんでくる。メモを取っていないので、どうしても頭から離れず書いてお

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イタリア留学への決意(昔話)

イタリア留学への決意(昔話)

イタリア留学を心の中で決めた日からの自分の節約ぶりは、自分で自分を褒めたい徹底ぶりだった。缶コーヒーひとつ買うことさえ自分に許さなかった。

当時のカタギの職場では融資係で、バブル崩壊後は金利が大暴落したことで通常の住宅融資や無担保ローンに加え、住宅借り換えローンの相談者が後を絶たずで、融資係はたいてい他の皆が出勤する前から仕事を始め、残業が許される時間まで仕事をしていた。(あまり残業を許されてい

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自己紹介

自己紹介

神奈川県西部在住。

ピカソやマリア・カラスがパリにいた時代のフランス生まれ。フランスの記憶もないまま両親とともに帰国、東京に住む。幼稚園年長時に父の転勤でマレーシアへ。2年半暮らし、そのまま家族共々ニュージーランドにて1年半生活。父の任務が終了し、帰国後は小学校4年生から大学までと大学卒業後の数年間は日本での仕事で神奈川県西部に定住。大学時代、父の単身赴任先だったイタリア・ローマへ夏休みに滞在。

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note開設にあたって

note開設にあたって

初めまして。眞田真紀子と申します。

イタリア語の全国通訳案内士として2018年に稼働した矢先の新型コロナウイルスによるパンデミックで、予定していた仕事を今年の予約分は現在のところ少なくとも9月分まで、ほぼ全てを失いました。これからもキャンセル続出となるのは間違いないでしょう。

今年の仕事もそうですが、来年もどうなるか皆目わからない中、いま自分ができることって何だろう、と、この数ヶ月は考え続けて

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