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イタリア留学への決意(昔話)

イタリア留学を心の中で決めた日からの自分の節約ぶりは、自分で自分を褒めたい徹底ぶりだった。缶コーヒーひとつ買うことさえ自分に許さなかった。

当時のカタギの職場では融資係で、バブル崩壊後は金利が大暴落したことで通常の住宅融資や無担保ローンに加え、住宅借り換えローンの相談者が後を絶たずで、融資係はたいてい他の皆が出勤する前から仕事を始め、残業が許される時間まで仕事をしていた。(あまり残業を許されていなかったので、最初の渋谷支店時代などは毎日4時半に起きて始発に乗り、お弁当屋さんでおにぎりを買うとおばちゃんがいつもサラダを無料サービスしてくれたものだ。その朝ごはんを休憩室で食べながら、皆が出勤する前に申請書をひたすら書き続け、店舗が開くと自分の席へ移動していた)

職場の仲間にはいつも恵まれていた。仕事はキツくても、尊敬できる楽しい人たちに恵まれていたことはとても大きかった。

しかしこのままじゃ自分が潰れる、と、イタリア行きのタイミングを職場の後輩に相談したことがあった。この職場を自分が無責任に辞めてしまって良いものなんだろうか、と。すると後輩が言った。

「仕事のことは心配しなくていいよ。俺がなんとかするし、組織なんて回っていくものだから。自分がやりたいことあるなら、それ優先したほうが良いんじゃないかな」


その言葉に背中を押されて、自分が計画していたイタリア行きを1年前倒しにすることを決めた。

2店舗目の世田谷支店で最後に働いた日が、1997年11月末日。
吉田松陰の神社がある世田谷支店だったので、その御守りもイタリア行きのお供の一つとなった。

※写真は塔の上からボローニャBolognaの街並み(1998年)

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